第一章 地上に棄てられた少女

地上に棄てられた少女:1


 “EGOコーラル 外縁部 第九十八地区”


 そこは、ドーム状の外壁におおわれたこの海底都市の中で数少ない“外を見ることができる場所”であり、レイミアにとっては昔からのお気に入りの場所でもあった。


「なにか探しているのかい?」


 ガラス壁から外をながめるレイミアの背後から、そんな問いが投げかけられる。


「地上が見えるかな、と思って」

「それは流石に厳しいな。ここは空の光すら届かない海の底なのだから」


 レイミアが振り返ると、そこにいたのは軍用コートをきっちりと着こなした一人の男性だった。彼の所属する組織のシンボルだろうか、コートの右腕にある蜂の描かれたワッペンがとくに彼女の目を引いた。

 彼は軍帽を持つ右手を胸元に当てると、ハキハキとした口調で名乗りを上げる。


「企業連合軍、地上管制部隊『ホーネット』第四部隊隊長、アルウィン・マーカスだ。この度は我々第四部隊が、あなたの地上行きまでの警護を担当することとなった」


 彼が軍帽を脱ぐと、そのブロンドの髪とさわやかな顔立ちが露わになった。どう控えめに見ても、よわい三十にも満たないであろう。

 そんな若さで企業連合軍の部隊長にのぼり詰めているところからも、彼の優秀さと真面目さが読み取れ、レイミアはすぐに警戒心を解くことができた。


「レイミア・ヴェルフェルトです。今日は、よろしくお願いします」


 礼を失しないよう、腰を曲げて会釈を返そうとするが、着ている衣服の関係で上手く体が動かせなかった。


「ごめんなさい。この格好、動きづらくて」


 レイミアは自分の首から下を一瞥いちべつしてから、気まずそうに苦笑いを浮かべる。

 今の彼女は、複数の合皮ベルトが取り付けられた拘束服こうそくふくによって、上半身を縛り上げられていた。

 目の前の軍人は『警護』と言っていたが、レイミアはすぐに、それがこちらの気分を害さないための方便だと理解した。

 彼の本当の職務は、自分が逃げ出さないように『監視』することだということも。


「では時間だ。移動をはじめよう」

「わかりました」


 アルウィンにうながされたレイミアはガラス壁の前を離れ、区画間移動用レールへと向かった。

 レールの乗り場前では、アルウィンの部下らしき軍服の若者が男女一人ずつ待機していた。上司同様真面目な人柄なのだろう、人形のように無言を貫く彼らに前後を挟まれる形で、レイミアはレール上のリフトに搭乗した。

 乗り場に固定するロックが外れた振動でリフトが大きく揺れ、拘束服を着たレイミアはバランスを崩す。


「うわっ!」

「おっ、と……大丈夫かい?」

「あ……ありがとうございます」


 アルウィンに支えられ、なんとか尻もちをつかずに済んだ。流石は軍人、優れた反射神経だ。などとレイミアが密かに感心しているうちに、リフトは本格的に稼働し、第九十九区画、産業廃棄エレベーターへと移動をはじめた。揺れも最初の一度だけで、本格的に動き出したその内部はとても静かだった。


「だが、俺にはわからないな」


 リフトでの移動中、アルウィンがわずかな不満を交えた声でそう呟いた。


「なぜ君のような年若い少女が、コーラルから廃棄されなければならないのか」


 それが自分に向けられた言葉なのだと気づくのに、レイミアはしばしの時間を要した。

 彼女は自分なりに言葉を選び、その疑問に答えることを試みる。


「ええと……軍人さんは人口調整処理ってご存じですか?」

「知識としては。海底工業都市であるコーラルにおいて、酸素や食料といった資源は有限だ。それらを過不足なく分配するため、人口の増減には厳格な管理がされている……という話だったかな」


 今からおよそ百年前、深刻な大気汚染におかされた地上に見切りをつけた『企業』はその技術のすいを集め、深海の奥底に自らが管理運営する新たな人類の生活圏を築き上げた。

 海という分厚い壁で大気中の汚染物質を遮り、科学的に生み出された清浄せいじょうな空気と水で満たされた理想郷、それがここ『コーラル』だ。


「その……私の母が双子を妊娠したんです」

「それは、おめでたい話なのではないのか?」

「『企業』の人口管理計画では、生まれるのは一人だけだったらしいんです」


 しかし、一万人にも及ぶ人々の生活、そのすべてを支えるには膨大な資源が必要となる。食料も、水も、酸素すら、この海底の閉鎖空間では無限ではない。

 無秩序な人口の増加は、閉鎖空間の破滅へとつながってしまうのだ。


 故にコーラルの管理者である『企業』は、緻密ちみつなシミュレーションのもと、住民達の健康状態、寿命、交配、出産といった生命のサイクルを徹底的に管理し、その人口を常に一定に保つよう調整を行っていた。


「つまり、双子ではコーラルの管理計画に狂いが生じてしまう、ということか」

「そういうことみたいです」


 どれほど緻密な計算を繰り返したとしても、人間の生理活動には様々なイレギュラーが起こりえる。一卵性双生児の懐妊かいにんなどは、そのイレギュラーの最たる例といえるだろう。

 そのような不測の事態に対し、『企業』は人口を一定に保つために微調整をほどこす。

 それこそが、レイミアの言う人口調整処理だった。



「双子のどちらをあきらめるのか、私もパパもママもずっと考えたけど、なかなか答えを出せなかったんです。だって、まだ生まれていないといっても、どちらも大事な家族だから」


 何不自由ない安寧あんねいの中で生まれ育った彼女達にとって、命の取捨選択などそう簡単にできるものではなかった。ましてや、それが血を分けた肉親ならなおさらだ。


「それで、試しに『企業』に確認してみたんです」

「確認? 何を?」

「私がコーラルから出ていったら、妹達は二人とも生まれることが許されますか、って」


 アルウィンは相槌あいづちも打たずに、その言葉の続きに耳を傾けていた。こんなに真剣に聞かれると思っていなかったレイミアは、恥ずかしくなって少し茶化した言い回しを混ぜることにした。


「そしたら、私の『企業』での評価ってすごく低かったみたいで、あっさりオーケーが出たんですよ」

「だから、君は妹達のために自らを犠牲にすることを選んだと?」

「……どっちも選べなかっただけです」


 ずいぶんと過大評価されているような気がして、レイミアは自嘲じちょう気味な笑みを浮かべる。


「それに、まだ生まれていない妹達と違って、私はコーラルから追い出されるだけですから、死ぬわけじゃないですし」


 もちろん、レイミアにだって恐怖がないわけではない。彼女は生まれ育った故郷を追放され、きっと二度と戻って来ることはできないのだから。

 それでも、いずれ生まれる妹達のためにと気丈きじょうに振舞う彼女に、アルウィンは最大限の敬意をもって接することを決めた。


「いや、君はとても勇敢ゆうかんだよ。私の部下に欲しいくらいだ」

「私、『企業』のお墨付きの役立たずですよ?」

「『企業』の適性検査なんて、アテにならないさ」


 すると、無言を貫いていた女性の軍人が「んっ」と咳払せきばらいした。


「みんな、聞かなかったことにしてくれ」


 アルウィンは悪戯いたずらがバレた子供のような表情を浮かべ、彼の目配せを受けた前後の部下達は揃って肩をすくめた。

 会話の終わりとタイミングを同じくして、レイミア達を乗せたリフトは目的地に到着し、産業廃棄エレベーターの扉が開く。

 廃棄エレベーターの内部には、無数の機械化された廃棄ボックスが整然と並んでいた。

 その一つ一つに再利用を繰り返した結果、限界へと至った産業廃棄物が詰め込まれているのだろう。


 ここには、価値があるものは一つとして存在しない。


レイミアはその事実に少しだけ感傷を覚える。自分自身もまた、その廃棄物の一つであることも含めて。

 レイミア達は箱の間をって奥に進み、唯一上部のふたが開いた廃棄ボックスの前で立ち止まった。



「彼女の拘束を解いてやれ」


 アルウィンは、自分達の立ち位置が監視カメラの死角であることを確認してから、レイミアの上半身を縛るベルトをあごで指した。


「ですがマーカス隊長、規則では……」

「責任は俺が取る。そもそも、ここまで来てこんなものに何の意味がある」

「かしこまりました。では、失礼します」

「あ、いえ! 私は全然大丈夫なので、お気になさらないでください!」


 アルウィンの指示を受け、女性の軍人がレイミアの拘束服のベルトを外そうと歩み寄る。だが奇妙なことに、拘束されている本人はあわててその申し出を断ろうと一歩引き下がった。

 その態度に不信感を抱いた女性の軍人は、強引にレイミアの腕の拘束を解除する。


「隊長、服の中にこのようなものを隠し持っていました」


 彼女がアルウィンに差し出したのは、片手で収まるサイズの携帯型情報端末。

 それはコーラルの住民なら、十歳を超えればだれもが当然のように持ち歩くような、とくに珍しくはない代物。だが、コーラルから廃棄されるレイミアには、当然こんなものの所持は許可されていない。


「ご苦労、それは私が預かっておこう」

「あうぅ……」


 情報端末を取り上げられてわかりやすく気落ちしているレイミアを見て、アルウィンは苦笑いを浮かべる。彼としては、純粋な気遣きづかいのつもりでしかなく、まさかこんなことになるとは思ってもいなかったのだ。

 拘束を解かれたレイミアは、しばらくアルウィンの手元の端末を物欲しそうに見つめていたが、やがて観念したのか、暗い表情のまま自ら廃棄ボックスの中に入っていった。


 その後、廃棄ボックス内外の機構に関する最終確認が部下達によって行われ、あとは現場責任者であるアルウィンの手で蓋を閉じるだけとなった。

 アルウィンが一言命じれば、レイミアは他のボックスと一緒に水圧許容域までエレベーターで持ち上げられ、外海へと廃棄される。

 箱の中の少女は膝を抱えて体を丸くし、小刻みに震えて刑の執行に身構えていた。


「……そうだな、最後に俺の目でも一応確認しておこうか」


 そんな姿を見てしまったアルウィンは、確認という名目でボックスの中に上半身を潜り込ませ、部下達に聞こえないように小さくつぶやく。


「これは仕事中に聞いたうわさだが、地上には君と同じくコーラルから棄てられた人々が寄り集まるコミュニティがあるらしい」

「え?」


 その言葉と同時に、アルウィンは部下から預かっていたレイミアの携帯型端末を、彼女の胸元に滑り落とした。

 そして、レイミアには何も言わせずに、彼はボックスの蓋を閉めてロックを掛けた。


「問題なし。では執行を」


 三人の軍人がその場から離れたしばらく後、ガタガタと激しい振動がボックスごとレイミアを揺さぶった。

 廃棄エレベーターが動きはじめたのだと気付き、レイミアはせっかく見逃してもらった情報端末が壊れないように、ギュッと胸元に抱きしめる。


「お礼、言えなかったな……」


 優しい軍人に言いそびれた感謝の言葉を、せめて心の中だけでもと思い浮かべながら、レイミアは生まれ育ったコーラルから外の世界へと棄てられていった。



――――――――――――――――――――――

TIPS:

【A.I.(After Immigrate)】


移歴

『企業』によって作られたコーラルへの移民が完遂した年を起源とする紀年法。

本作は移歴137年に相当する。


紀元前は【B.M(Before Migration)】と表記される。


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