廃棄少女は終末世界で深海の夢を見るか

宮浦玖

黒い海と白い灰

 その日、少女は暗く冷たい鋼鉄の箱に押し込まれ、生まれ育った海の底から、地上へとてられた。


――これは棺桶かんおけだ――


 箱の中に横たわる少女――レイミア・ヴェルフェルトは、人一人がかろうじて入れるその箱をそう形容する。海底に残った家族は彼女を死んだものとして扱うだろうから、その比喩ひゆもあながち間違いではなかった。

 ちょうど顔の位置に、外が見えるようにガラス窓があるところもよく似ている。

 もっとも、そこから見えるのはどこまでも広がる海中の暗闇だけで、外の景色を楽しむことはできない。


――“クラゲ”って生き物、見られるかなって少し期待したんだけどな――


 レイミアを乗せた鋼鉄の棺桶は絶えずゆらゆらと海中を揺蕩たゆたい、少しずつ浮上していく。


「地上ってどんな場所なんだろう」


 レイミアの夢想が無意識のうちに口をついて出た。

 生まれてからずっと海底都市で生きてきた彼女にとって、地上はまさしく未知の世界だった。

 それは彼女の周囲の人々も同じだった。父も、母も、友人も、彼女の通っていた技能開発機関の監督官達ですら、地上をその目で見た者はいなかった。それどころか、皆一様にどんな場所なのかもよく知らないらしかった。

 そのため、レイミアの情報源はもっぱら開発機関のデータベースに存在するアクセスフリーのアーカイブであった。


 いわく、地上は海底と違って環境汚染の影響で大気が汚れており、常に薄暗いらしい。

 曰く、地上では食糧配給もなければ、上下水道のライフラインもないらしい。

 曰く、地上の人々は貧困の結果、限られた資源を奪い合っているらしい。そして、その過程で人の命を奪ったとしても、それが罰せられることもないのだとか。


 愉快な情報など一つたりとも書かれていなかったことを思い出し、今更になって恐怖心が彼女の胸中に芽生えた。


「ママ……パパ……」


 レイミアはベルトがいくつも巻き付いた拘束服の中から、母が隠し持たせてくれた携帯用情報端末を取り出す。

 その中には、これまでレイミアが撮影してきた無数の写真データが収められている。

 両親や同年代の友人達、あるいは近隣地区に住んでいた人々、そして時折混ざるレイミア自身――写真の中の彼らは一人の例外もなく、朗らかに笑っている。

 レイミアはそれを一つ一つ、時間をかけて見つめた。

 もう戻らない日々だとわかっていても、その行為が少女の理性を辛うじて繋ぎとめてくれた。

 そうして孤独な時間を過ごすうち、彼女は自らも気づかぬまま微睡まどろみの中に沈んでいった。


 ◇


 体が箱の中で跳ね上がるほどの激しい振動によって、レイミアは意識を取り戻した。


「じ、地震?!」


 そんな突然の目覚めに混乱するレイミアの視界を、まぶしい光が埋め尽くしていた。

 目が痛くなるような赤とオレンジの混ざった光。それが鉄箱の窓ガラスから差し込んでいたのだった。


――これが地上の……“太陽”の光?――


 しかし、三十センチ四方ののぞき窓程度では周囲の状況はよくわからない。

 ただ、箱自体の揺れがおさまっていることから、どこかの陸地に打ち上げられていることだけは推測できた。


「水の音と……なんだろ、この音?」


 箱の中で耳を澄ませると、外からはちゃぷちゃぷと水の跳ねる小さな音のほかに、不定期なリズムで響くドンッという大きな音が聞こえてきた。


 もしかしたら、この箱のすぐそばにだれか人がいるのかもしれない。

 だれでもいい、どんな人でもいい、人の声が聴きたい。


 ずっと無音と暗闇の世界にいたことで芽生えたそんな衝動に突き動かされ、レイミアは大慌てで内部にある緊急開錠ボタンを押した。

 箱内部の気圧を調整するための排気音とともに、ゆっくりと上面が開いていき、その薄い隙間から熱気を帯びた空気が箱の中に流れ込んでくる。


――やっと着いた、ここが……ここが!――


 レイミアはずっと横たえていた体を久方ぶりに起こし、はじめて見る地上の世界をその目に焼き付けた。


「ここが……」


 わずかに黄色がかった濃い鼠色で覆われた天井。

 周囲の至る所に点在する、何か大きな機械だったものの残骸。

 風に吹かれ宙を舞う、無数の白い欠片かけら

 そして、赤いライトを目のように光らせてレイミアを注視する、巨大な箱を組み合わせたような機械がそこにあった。


『識別不明な生体反応を検出。友軍認証の提示を求めます』


 レイミアの三倍はありそうな巨体から、イメージ通りの威圧的な野太い合成音声が発せられる。

 この機械も、技能開発機関のデータベースで見たことがあった。


 企業連合軍で運用されている、暴徒制圧用の無人自律兵器。

 その用途は地上の反抗勢力の無力化。手段は両腕部に組み込まれている重機関銃。


 つまりこれは“人を殺すための機械”だ。


『認証確認なし。敵対勢力と認定。対象を排除します』


 自律兵器が左腕の銃口をレイミアに向ける。

 撃たれる。撃たれれば、死ぬ。

 海底からの廃棄が決まった時も、家族と別れた時も、海中をさまよっていた間も実感のなかった“死”という概念がいねんが、今になってはじめて、明確な形を取ってレイミアの前に突きつけられている。


「やだ……助けて……」


 そんな言葉で兵器が止まるはずもない。

 レイミアはぎゅっと強く目をつむり、現実から目を背けようとするが、いつまで経っても銃声は聞こえず、痛みが襲ってくることもなかった。


「……え?」


 代わりに彼女の耳に響いたのは、金属同士がぶつかり合うような甲高い音だった。

 レイミアは恐る恐る瞼を持ち上げる。

 彼女の目に飛び込んできたのは、左腕部を切断され鋭利な断面をさらしている自律兵器と、身の丈以上の巨大な片刃の剣を握りしめる一人の少年の姿だった。


『粒子反応検出、優先排除対――』

「ごちゃごちゃ、うるせぇ」


 自律兵器は最後まで言葉を発することすら許されず、少年が握る巨大な剣の一太刀で正面から両断され、その機能を停止させた。

 その光景を目の当たりにしたレイミアは静かにつぶやく。


「ここが……地上……」


 それが海底深くの世界から棄てられた少女と、灰だらけの世界で生きる少年の出会い。

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