渓谷に潜る者

シーザー

はじめに

キャニオニングを知っているだろうか。


日本ではまだマイナーなスポーツだから、説明から始めなければならない。

簡単に言えば、沢下りだ。

沢登りの逆。

ハーネスを身に着けて、ロープ使って滝を懸垂下降していく。

上流から下流へ、水の流れに沿って渓谷を下っていく遊びだ。


俺がこの遊びを知ったのは八年前、三十四歳の時だった。


テレビだったか、雑誌だったか、今となっては思い出せない。

ただ、画面に映った光景は今でも鮮明に覚えている。


エメラルドグリーンの水を湛えた渓谷。

ウェットスーツを着込んだ人間が、滝を降り、淵に飛び込み、岩をよじ登る。

水しぶきを浴びながら、楽しそうに笑っている。


その瞬間、俺の中で何かが動いた。

三十四年間、心の底で燻っていた何かが、急に燃え上がった。



俺は海の街で生まれた。



ただし、観光パンフレットに載るような綺麗な海じゃない。

工業地帯の片隅、ヘドロが堆積し、悪臭が漂う海だった。

夏になると腐敗臭が強くなる。

海面には油が虹色に光り、打ち上げられた魚は奇形が多かった。



子供の頃、友達は皆その海で遊んでいた。

汚いと知りながら、他に遊ぶ場所がなかった。

俺は絶対に入らなかった。

どんなに暑い日でも、どんなに誘われても、あの黒い水には触れたくなかった。



その代わり、俺は綺麗な水に憧れた。


テレビで見る南の島の海。

透明で底まで見える水。

魚が泳ぎ、珊瑚が揺れる世界。

図鑑で見る山の清流。

岩の間を流れる澄んだ水。

そういう場所が、この世界のどこかに本当にあるのだと信じていた。


大人になって会社に就職し、海から目を逸らすことを覚えた。

それでも水への憧れは消えなかった。

むしろ、年を重ねるごとに強くなっていった。


休日は山に行くようになった。

登山というより、川を見に行くのが目的だった。

上流に行けば行くほど、水は澄んでいく。

岩の間を流れる水を、何時間でも眺めていられた。

でも、眺めるだけだった。

入ることはできなかった。


温泉にも通った。

特に川のすぐ横にある露天風呂が好きだった。

片手を伸ばせば川の水に触れられる、そんな温泉を探しては訪れた。

湯に浸かりながら、川の流れる音を聞く。

これもある意味、綺麗な水と戯れているんだ。

そう自分を納得させていた。



でも、違った。俺が本当に求めていたのは、もっと直接的な関わりだった。


キャニオニングの映像を見た時、理解した。

これだ、と思った。

綺麗な水の中を全身を使って進んでいく。

水と一体になって、渓谷を下っていく。

三十四年間探していた答えが、そこにあった。


すぐに調べた。

日本でもツアーがあることを知り、その週末には群馬に向かっていた。


ウェットスーツを着せられ、ヘルメットを被らされ、ハーネスを締められる。

ガイドが陽気に説明をする横で、俺は高揚感を隠せないでいた。


それが、最初の滝を降りた瞬間に歓喜に変わった。


ロープ一本で、垂直の岩壁を降りていく。足元には白い飛沫を上げる滝壺。水しぶきが顔に当たり、轟音が全身を包む。15メートルほどの小さな滝だったが、降り立った時、俺の中で何かが変わっていた。


見上げると、さっきまで立っていた場所が、別世界のように遠い。

周りを囲む岩壁は、下から見ると圧倒的な存在感で迫ってくる。

人工物が一切ない、水と岩だけの世界。

そこに、俺はいた。


ツアーが終わる頃には、俺は完全に虜になっていた。


それから八年。今年で四十二歳になる。

独身で一人暮らし。

両親は数年前に相次いで他界した。

メーカーで出荷の仕事をしているが

正直なところ、休日のキャニオニングのために働いているようなものだ。


最初はツアーに参加していたが、すぐに物足りなくなった。

もっと深く、もっと奥へ。

沢登りではつまらないとされている渓谷を、自分の力で再構築したい。

ハンマードリルでアンカーを打ち、ロープを垂らし

沢登りでは「巻き」と言われる滝を降りる。

そんな週末を過ごすようになった。


三年前には、キャニオニングを広めるための社会人サークルも立ち上げた。

月に一度、初心者向けの講習会を開いている。

参加者の多くは、俺と同じような顔をしている。

都会で育ち、自然に飢えている顔。

初めて渓谷の水に入った時の、あの表情。

俺もきっと、あんな顔をしていたんだろう。


でも、一人で渓谷に潜るようになって、気づいたことがある。


綺麗な水には、理由がある。


人が入らないから綺麗なんじゃない。

何かが守っているから綺麗なんだ。

そして、その「何か」は、人間を歓迎していない。


子供の頃、汚い海を見て思っていた。

どこかに綺麗な水があるはずだと。

今、その綺麗な水の中にいる。

でも、時々思う。俺は本当に、ここにいていいのだろうか。


これから書くのは、俺が渓谷で体験した出来事だ。


美しい水の中で出会った、美しくない何か。

透明な水の向こうに見えた、不透明な存在。

子供の頃に憧れた綺麗な世界の、本当の姿。


信じる信じないは、読む人の自由だ。

ただ、もしあなたが俺と同じように、綺麗な水に憧れているなら

一つだけ覚えておいてほしい。


美しいものには、必ず代償がある。


俺はその代償を、少しずつ払い続けている。

谷に入る度に、何かを置いてくる。

そして、何かを持ち帰ってしまう。

それが何なのか、自分でも分からない。


ただ、最近、実家の街に帰ることがある。

あの汚い海を見に行く。

ヘドロと悪臭の海。不思議なことに、今はあの海が懐かしい。

汚いけれど、安全だった。

人間が汚したものは、人間のものだ。


でも、渓谷の綺麗な水は違う。

あれは、人間のものじゃない。


それでも、俺は谷に潜り続ける。


綺麗な水への憧れは、もう憧れじゃない。

呪いに近い何かに変わっている。


次の週末も、俺は谷に向かうだろう。

ウェットスーツを着て、ロープを背負い、一人で。そして、また何かに出会うだろう。


その度に、少しずつ、俺は俺でなくなっていく気がする。


でも、それでもいい。


汚い海で育った俺が、最後に綺麗な水と一つになれるなら。


それが、どんな形であっても。

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