姫騎士と聖女

 ここで視点を姫騎士エルフ、アレイナに移そう。


(妙なのがいたわね……)


 凛々しきアレイナは宿泊所の部屋で、今までの人生で経験したことがないほど、露骨な笑みを浮かべていた男を思い出す。

 逞しい水夫よりも頭一つ抜けて背が高かった男の目元は見えなかったが、それでも下品を極めていたニヤニヤ笑いはよく見え、酷く印象に残る羽目になっていた。


「姉様、早くいきましょう」

「セリア」


 記憶にある品の無さとは正反対の、無垢でポワポワした笑みを浮かべる妹セリアに、木の強そうなアレイナは姉らしい穏やかな表情を浮かべる。


「そうね」

「はい!」


 アレイナの同意を得たセリアが大きく頷く。

 基本的に森で生活するエルフは、人が拓いた街にあまり馴染めない。そのため従門として集められたかつてのエルフは、近くの森に祭壇を築いて祈ることにした。

 伝統は今も続いており、アレイナとセリアを含めたエルフたちは、森の祭壇に向かうつもりだった。


「安全は?」

「問題ないとのことです」

「なら行きましょう」

「はい姫様」


 アレイナが自身の身の回りの世話をしてくれるメイドに尋ねると、既に役人から確認を取っていたらしく、即座に答えが返って来た。

 こうしてエルフの女性陣は森の祭壇に向かうことになったが、点数を稼ぎたい男性エルフがこのイベントを放っておくはずもないし、なんなら伝統の一部と言えた。


「我々がお守りしますのでどうかご安心ください!」


 魔物蔓延る荒野のつもりなのか。

 港町に近い森に行くだけなのに、大勢のエルフの青年たちが集まり、その道中の安全を宣言しているではないか。

 実は宮殿船に付属する行事は、一種のお見合いや俗な表現をすると婚活を兼ねており、男たちは女性陣に自分の優秀さをアピールする場でもあった。

 そして内面や性格、相性というのは人間が生み出した最近の概念であり、最も長く尊ばれてきた生物の根本は、強く逞しいという本能だ。

 若いエルフの青年たちは胸を張って港町を行進し……そこにいた馬鹿に唖然とした。


「ぐが……」


 祭壇近くで寝転がっている。否。熟睡しているのは褐色肌、金髪擬きの大男。

 涎を垂らして寝息を立て、シャツをはだけて腹をぼりぼりと掻く醜態は、貞淑さと気品を求められるエルフにすれば未知のものだ。

 さしもの姫騎士アレイナと、どこか天然気味な聖女セリアのみならず、エルフ全員がポカンと固まってしまう。


「おい! 起きろ!」

「……うぇ、うぇい?」


 我に返ったエルフが、祭壇近くで眠っているチャラチャラした男、ヨウセイの脇腹を軽く蹴って無理やり起こす。

 すると彼は首を傾げて上体を起こし、あー。これはやっちまったかなと言わんばかりの雰囲気を醸し出した。


「貴様、我々の祭壇で何をしていた!」

「いやあ、すんげえ雰囲気いいところ見つけちゃって、そのまま爆睡してたんですけど、色々マズかったすかね?」

「当たり前だ! エルフの祭壇や神殿に人間如きが侵入するなど、許されることではない!」

「ありゃぁ……」


 青筋を浮かべて怒るエルフの説明で、不法侵入者ヨウセイは大事になっていることを自覚する。

 基本的に人よりも上位を自認するエルフは、下位の人がテリトリーに入ってくることを極端に嫌う傾向にあり、排他的な行動を見せることが多々ある。

 今回もまさにそれが当てはまるし、なによりまだ悪材料があった。


「追放者だ!」

「なに⁉」

「追放者が祭壇に⁉」


 宿泊所でも悪目立ちしたヨウセイを覚えていたエルフが、彼を追放者だと断言したことで、比較的温厚なエルフたちも怒り始めた。

 ただでさえ人間がエルフの祭壇に近寄っているのに、それが神から見放された追放者ともなれば不遜の重ね掛けであり、許せるものではなかった。

 ただ、いつの世も空気を読めない天然というものが存在する。


「どうされたのです?」

「セリア様、お下がりください!」


 世の穢れを知らないような無垢の聖女、セリアが騒ぎの原因を見ようと集団の先頭に出ると、慌ててお付きの侍女たちが引き留めようとした。


「どうもー名前の方はカゲイチ家のヨウセイっすー」

「エルフ王家、二の姫セリアですー」

「あ、これはご丁寧に」

「貴様! セリア様になんだその無礼は!」


 世を舐め腐ったニヤケ面のヨウセイが自己紹介すると、彼の語尾伸ばしに合わせたセリアがちょこんと頭を下げて名乗った。

 そして敬意に欠けすぎるヨウセイの態度にエルフたちが腹を立てたことで、このまま男連中と妹に任せても事態が解決しないと思ったアレイナが一歩前に出た。


「ヨウセイ。ここにいる理由はさっき言った通りですか? 宿泊所はどうなっています?」

「うっす。宿泊所は、まあ、これですから。普通の宿も利用できなくて野宿っすね」

「姉様、ヨウセイさんがお風邪をひいてしまいます」


 アレイナはある程度の事情を察してはいたものの、一応確認をすれば案の定だ。

 これに純真なセリアが心を痛め、どうにか出来ないかと姉に訴えたが、実のところエルフが住まう国内ならともかく、国外での権限はほぼ皆無に等しい。


「宮殿船に乗り込む資格のある人間が野宿しようとしていることに、私たちの名で憂慮していると伝えておきましょう。それ以上は難しいですが、恐らく何とかなる筈です」

「アレイナ様⁉」

「おやめください!」


 アレイナが提案すると、周囲のエルフ全員が絶叫した。

 姫騎士に政治の才能はなく、人としての才能はあった。

 流石に見つけ次第殺すほどの扱いではないものの、追放者は明確な汚物だ。その汚物にエルフ王家の一員が配慮を示すのは政治的な失点に近く、不必要な行いと言ってすらよかった。

 ただ、宮殿船に乗り込む資格が一応ある者が野宿するのも外聞が悪く、その点を含めるとアレイナの判断は、正しくはないが正しい判断という複雑なものだった。


「マジっすか! いやあ、雨降ったら荷物がヤバいと思ってたんで助かります! 一宿一飯の御恩は忘れないので、なにかあったら死ぬ気でお助けしますよ!」

「はいはい」


 ぴょんと飛び跳ねたヨウセイが、まるで心に響かないおべっかを口にすると、その類の言葉を聞き飽きているアレイナが適当に流す。

 命を懸けてという言葉ほどあてにならない言葉はそう多くなく、それはエルフの国でも同じらしい。

 ついでに述べると、別に一宿一飯を提供するのはアレイナではなく宿泊所の係員だ。


「よかったですねヨウセイさん」

「セリアちゃんもありがとうございますねー! なんかピンチなことがあったら、鬼門だろうが地獄門だろうがまたぶっ潰してお助けしますからー。いやまあ、二つの穴を同時に塞ぐのは流石の俺っちでもめんどくさかったですけど、恩人のためならどこへでもいきますともー」

「はい、分かりましたー……?」

「さっきから貴様の態度はなんだ!」

「お二人はエルフ王家の姫君なのだぞ!」

「皆さんどうしたのです?」

「セ、セリア様?」


 セリアは行き倒れそうなチャラ男が、屋根の下で眠れそうなことを無邪気に喜ぶと、相変わらず礼儀など欠片も感じない口調が返ってくる。

 これには他のエルフたちは我慢の限界だったが、こてんと首を傾げるセリアは違う意見を持ったらしい。


「ヨウセイさんはきちんとお礼を言ってくれてますよ?」


 裏表のないセリアに、姉のアレイナが少々困る。

 これはセリアが度を越した天然という訳ではなく、エルフ種の根本的な生態が深く関わっていた。

 ただでさえエルフは不老長寿な上、王家の人間ともなれば平気で千年以上は生きる。そのため感覚や感性が、人間種どころか通常のエルフとも大きくかけ離れており、長女として育ったアレイナはかなりの常識を持っていたが、次女のセリアは良くも悪くもエルフ王家の一員に相応しい感性をしていた。


「それじゃあ自分はこれでー。夕方くらいにまた宿泊所に行ってみますー」


 そんなエルフたちの事情を気にしてないチャラ男は、ここにいてはいけない。後で宿泊所に話を付けてくれる。この二点だけを理解して軽い足取りで去っていく。


「セリア様、あのような追放者の言葉を信じるのはおやめください!」

「追放者がセリア様を守るなどあり得ません!」

「それは我々の使命なのです!」

「そうなのですね」


 一方、残されたエルフは追放者に怒りの眼差しを向けたり、セリアの思い違いを正そうとする者など様々だ。

 彼らにすれば、姉妹姫を守るのは自分達の役目であり、追放者の宣言を信じるようなセリアの言動は許容できるものではなかった。


「祭壇の前ですよ。心を落ち着けなさい」

「はっ……」


 その騒ぎもアレイナが窘めたことで多少は落ち着いたが、それでもエルフたちには不満が燻っている。


(荷が重い……)


 ただ当のアレイナも似たようなものだ。

 レガリア獣、拍車馬所持者の姫騎士と称えられようが、エルフの中で彼女は小娘でしかない。

 一応、王家としての教育を受けているが、レガリア所持者というだけで称えられ、一行の最高責任者のように振舞うのは明確な負担だった。


(誰かに……いえ、駄目よアレイナ。しっかりしなさい)


 本当は誰かに寄りかかりたい。頼りになる人物がいて欲しい。アレイナはそういった弱い部分があることを自覚しているが、責任感から邪念を打ち消し祭壇に祈る。

 本来、真摯に祈らなければならない祭壇では、様々な雑念が渦巻いていた。


 では次に、エルフの青年たちの視点でこの事態を見てみよう。


(追放者如きが!)


 勿論、はらわたが煮えくり返っていた。

 何千年も生きるエルフなのだから、世界を見渡してもこれに匹敵する国はほぼほぼ皆無で、彼らかすればその生まれは最も尊いものだ。

 なのに馬の骨どころか、追放者如きが姫騎士と聖女に話しかけ、しかも敬意が欠片もない態度だったのだから、彼らが怒り心頭になるのも無理はない。


 ただ一点、結局のところ途中過程は別として権威の成立自体は、最も強いこん棒を振り回した者暴力に宿る、酷く原始的なものということを忘れていたが。

 あるいは野蛮として目を瞑っているか。

 それはさておき、夕方を過ぎて本当にヨウセイが宿泊所を訪れ自分の部屋を確保すると、エルフの青年たちは彼を囲った。


「なぜいる追放者!」

「アレイナ様とセリア様にご迷惑をおかけしているのだぞ!」

「遠慮するべきだろうが!」


 エルフの青年たちは狼や猛禽などの従門を唸らせて、宿泊所に入れたヨウセイを脅す。

 約束通り姫騎士と聖女が、宮殿船に乗り込む人物が野宿するのは、体面を損なうと働きかけたため、宿泊所は一応の正論を受け入れざるを得なかった。

 しかしエルフたちにすればヨウセイは、分を弁えず姉妹姫の手を煩わせ、しかも辞退して気を回さない汚物に等しい。


「基本的に表出ませんから、勘弁してくれませんかねー?」

「貴様!」


 その上、ヨウセイの態度は変わらずお約束のニヤニヤ笑いだから、とことん空気が読めないことも合わさって火に油を注いだ。

 注いだが、脅し以外に具体的な手段はない。

 流石に追放者と言えども、従門を噛み付かせると普通に傷害で、宮殿船に乗り込む前になんらかの不利益を被ることは十分考えられる。

 だからヨウセイが部屋から出ないのなら、それが現実的な落としどころではあった。


「まあ、アレイナちゃんとセリアちゃんになにかあったら、すっ飛んでいくって約束したんで、基本的には。っすけど」

「っ!」


 こればかりは、エルフたちの手が出なかったのが奇跡だろう。

 ヨウセイの言葉は曲解しなくても、姉妹姫を守れない貧弱エルフがなにか喚いてるわ。と言ってるようなもので、時代が時代なら決闘騒ぎになっていただろう。

 ただ、決闘が起こらないのも問題だった。


「殺されたいのか!」

「何を言う!」


 エルフたちは喚くものの直接的な行動を起こさない。

 森に住み、人間種が行う争いを野蛮な行いだと嘲笑しながら生きてきたエルフは、直接的な暴力から遠ざかって久しく、いざ鉄火場に直面するとそれを回避する傾向にある。

 その傲慢に振舞っても、荒事に対して芯が通ってない有様は、姫騎士と聖女の護衛を名乗るには頼りなく、ヨウセイが一応の断りを入れるのも仕方なかった。


「それじゃあ俺はこれでー」


 このまま話していても堂々巡りをするだけだと思ったのか、ヨウセイは部屋に引っ込み出てこなくなる。

 本番は宮殿船に乗って各地を巡ることなのに、始まる前からこれでは話にならない。


 さて、話は変わるが港町の管理者たちもかなり平和ボケをしている。

 何百年も続いた儀式で死人が出るような大事件は起きておらず、最早惰性に感じている者も少なからずいた。

 その適当さは、エルフの祭壇の件でよく表れており、ヨウセイは誰かに咎められることなく、本来は衛兵がいる筈の場所すら素通りして寝転がっていた程だ。

 何が言いたいかというと、時間は獅子を怠惰な豚に変えるし、千回やって九百九十九回大丈夫だったなら、千回目も絶対に大丈夫だからと気を緩めるのが人間という種の癖だった。

 そして平和だからと守りの予算を減らした後、でこぼこの穴が全てを崩してから人はこう叫ぶのだ。どうして今回に限って?と。


 最初は行われていた森の巡回が絶えて久しい。

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