第1話「孤高の新入生(3)」



 厳かな雰囲気の中、白髭をたくわえた校長が壇上に上がり、開式の辞が始まった。


「新入生の諸君、王立魔法学校への入学、誠におめでとう」


 温かみのある、しかし威厳に満ちた声が講堂に響き渡る。


「本校は四百年前、世界を創造した三大竜の御心により設立された。黒竜の叡智、金竜の威光、白銀竜の慈愛。この三つの精神を受け継ぎ、次代を担う若者を育成することこそ、我々の使命である」


 黒竜の叡智、という言葉が、キオの胸に重くのしかかる。


『……前世は、その魔法という叡智の探求に没頭しすぎた』


 魔法の研究に没頭し、気づけば誰とも深い関係を築けないまま、孤独に人生を終えた。


 今度こそは違う。今度こそ、人との温かい繋がりを……


「諸君にはこの四年間で、魔法を学び、精霊との絆を育み、そして何より、人として大きく成長してほしい。身分や出自に関わらず、すべての生徒が平等に学ぶ機会を、我々は約束する」


 その言葉に、キオはかすかな希望を抱いた。


『それなら、ルイとも対等な友達になれるかもしれない』


「それでは、新入生代表の挨拶。キオ・シュバルツ・ネビウス殿、前へ」


 突然名前を呼ばれ、キオは弾かれたように立ち上がった。本来であれば隣に座る金髪の少年——王族である彼が務めるはずが、その体調を考慮してキオにその役が回ってきたのだ。


 会場中の視線が一斉に自分に集まるのを感じる。


『やばい……』


 心臓が大きく脈打つ。


 壇上へ向かう数歩の間、キオの心は激しく揺れ動いていた。


 渡されている原稿には、シュバルツ家の威光を示すための、格式張った美辞麗句が並んでいる。


『これじゃない』


 これでは、自分の本当の気持ちは伝わらない。


 前々世の、何の変哲もない自己紹介や、新人研修での挨拶。今、口にすべきは、そういう等身大の言葉のはずだ。


『でも……本当に大丈夫なのか?』


 貴族としてふさわしくない挨拶をすれば、家の名に傷がつくかもしれない。


 マイクの前に立つ。会場が、水を打ったように静まり返る。講堂の空気が、やけに重く感じた。


『どうする……?』


 その時、視界の端にルイの姿が見えた。


 後方の席で、期待と不安の入り混じった表情でこちらを見ている。


『……そうだ。今度こそ、自分らしく』


_キオは、原稿を静かに脇に置いた。


 ---


 


「僕の目標は、楽しい学校生活を送ることです」


 会場が、水を打ったように静まり返る。貴族の挨拶としてはあまりに率直で、型破りな言葉。教師たちが慌てたような顔をするのが見えた。


 構わない。これが、僕の本音だ。


「この学校で、たくさんの人たちと出会い、たくさんのことを学びたいです。そして、皆さんと一緒に成長していきたいと思っています。家柄は関係ありません。一人の学生として、どうか、よろしくお願いします」


 一呼吸置いて、キオは言葉を続けた。


「僕たちは皆、この素晴らしい学び舎で学ぶ機会を得ました。髪の色も、育った環境も違いますが、学びたいという情熱は同じはずです。この四年間で築く友情や絆は、きっと僕たちの生涯の宝物になります。共に学び、共に笑い、時には共に悩みながら、かけがえのない時間を過ごしていきましょう。改めて、よろしくお願いします」


 深く、頭を下げる。


 一瞬の静寂の後、会場は温かい拍手に包まれた。


「まあ、素直な方なのね」

「シュバルツ一族の方を、こんなに近くで拝見できるなんて……!」


 席に戻る途中、キオは壇上の上からもう一度ルイを探した。

 その髪色からすぐに彼女を見つけるごとができたが、彼女は俯いており、隣の友人たちに何かを小突かれていた。


『ルイ......』


 席に戻ると、隣の金髪の少年が小さく微笑んで頷いた。反対側の白銀の髪の少女は、何か複雑な表情でこちらを見ている。


 ---



 式の後半、寮生活や精霊契約についての説明が続いた。


 それ以上にルイのことが気になっていた。


 閉会が宣言され、生徒たちが席を立ち始める。


 キオは、人波に紛れて出口へ向かうルイの姿を追った。


『話しかけたいけど……どうしよう』


 迷っている間に、ルイが一度だけ、こちらを振り返った。


 視線が、確かに交わる。


 その瞬間、ルイははっとしたように目を逸らし、足早に友人たちと講堂を後にしてしまった。


『……ルイは私のことを覚えているのかな』


 七年前は、まだ幼かった。身分の差など、あってないようなものだった。でも今は違う。


 隣にいた金髪の少年が立ち上がり、軽く会釈をして去っていく。体調が優れない様子だったが、その背筋は真っ直ぐだった。


 その時、後方から複数の貴族の生徒たちが近づいてきた。


「ネビウス様、素晴らしい挨拶でした」

「ぜひお話を伺いたいのですが」


 次々と声をかけられる。


 キオは丁寧に応対するが、心のどこかで、ルイの姿を探し続けていた。


『明日から……話しかけてみよう』


 そう決意して、キオは貴族たちとの会話に集中することにした。


 ---


 その夜、キオは自室で窓の外を眺めていた。


 星が、夜空に美しく輝いている。


『今日、一歩踏み出せた……かな』


 校門での小さな出来事。挨拶での決断。そして、ルイとの一瞬の視線の交わり。


 どれも小さなことだけれど、確かに前に進めた気がする。


『キオ』


 シュバルツの声が、心に響く。


『初日としては、悪くなかったぞ』


『本当に?』


『ああ。お前は、お前らしくあれた』


 その言葉に、キオは小さく笑った。


『明日からも、頑張ろう』


 窓の外の星が、まるで励ますように瞬いた。


 夜空色の髪を持つ少年の青春は、期待と一抹の不安を抱えながら、今、静かに幕を開けた。

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