それはただのプリセットなんだよ。イライラするなよ。誰も面倒で設定なんてやらないんだよ。

涼風紫音

面倒なことは誰もやらない

 人型のアンドロイド、といっても極めて中途半端なそれが警察に導入されて半年。見た目はそれっぽく作られているが、求められているのは姿かたちではなくその分析能力。一般に売られているような愛玩的要素は一切ない。無骨で無機質でつまらない見た目に、取ってつけたような人工合成音声。そんな代物。


「オツカレサマデス」


 超過勤務どころではない警察署の雰囲気は悪い。自動化、機械化の波に抗えるはずもなく、納税者の減少という歴然とした現実の前に、警察もその例外であることを許されなかった。その結果がこれだ。


「はいはい、こちとら超過勤務何時間だと思ってるんだよ」


 雑に返事を返す俺の前で、さっさと押収してきた捜査資料をスキャンさせろとばかりに立ち塞がるアンドロイド。なお性能は低予算の煽りを食って見事に必要機能以外はバッサリと切られている。市販のアンドロイドの方がマシだろう挙動でノロノロと動く。


「オツカレサマデス」


 そう、こいつに押収資料をスキャンし、捜査報告を送るまで、俺の仕事は終わらない。なんでもかんでも自動化、IT化、AI化と持て囃した成れの果ての職場の一つがこの俺が務める警察という仕事。報告が終わらないと退勤処理もされない。


「わかったからもう少しだけ待てよ」


 俺は目の前のアンドロイドを強引に押しのけて自分のデスクに戻るべく突破を図るが、なにしろこいつはかなりの重量物なのだ。そう簡単に退いてはくれない。二本の脚を不器用な挙動でバタつかせながら、数分をかけてようやく通路を開ける。たったこれだけのことに数分も待たなければならない。そのことがまた俺を苛つかせる。


「先輩、お疲れ様です!」


 元気よく今年配属されたばかりの新人が署の奥から顔も上げずになげやりな言葉をかけてくる。


「お前、もう少し気の利いた言葉くらい思いつかないのか?」


 警察署の中でウィットやユーモアなど求めるだけ無駄。効率と捜査実績がすべて。そういうお役所の中で、ちょっとした気遣いなどありはしない。分かってはいる。分かっていても、俺はそのことに腹立たしい気持ちを覚えてしまう。ロートルだと笑われることには慣れたものだが、それにしても、である。


 パーテーションで区切られ、余計な情報を他の署員に見せないようにしっかりと配慮された迷路のような署内。そこに残っているのは、どうやら俺と新人と、このポンコツアンドロイドだけらしい。いや、ポンコツは言い過ぎた。捜査資料から有力な仮説を立て、捜査すべき方向性を示すことにかけては、このアンドロイドは人間よりも長けている。直観も感性も無いが、平均点以上の可能性を示唆することにかけては、このAIというやつは優れているらしい。俺も認めざるを得ない。


 それにしても、である。アンドロイドはまだしも、新人すら連呼する「お疲れ様です」の言葉。一日歩いて現場を回り、聞き込みをし、証拠を捜す。そんなことをしていれば、誰だって疲れる。当たり前だ。


「先輩、一番便利じゃないですか。みんな疲れて帰ってくるんだし、夜通し張り込みして帰ってくる人だっているし、『おはようございます』とか『こんばんは』とか、いちいち気にして使えませんよ」


 パーテーションの奥に籠城を決め込んだ新人は、立ち上がりもせず顔も上げず、したがって俺の顔を見ることもなく、そんな言葉を返してくる。タイパといった言葉がはやった時代が、かつてあった。そんな時代に、TPOに合わせた挨拶というものはどんどん淘汰されていった。相手の状況を考える時間が無駄、らしい。文化が消えるのはあっという間だ。人間が機械に合わせているのか、機械が人間に合わせているのか、分かったもんじゃない。


「挨拶くらい、手を抜くなよ……」


 俺の精一杯の苦言も、新人にはまったく効き目がない。ましてや資料分析やそこからの推論分析に特化したアンドロイドなど、言うまでもない。こんなことで被疑者や被害者に対峙したとき、まともなコミュニケーションが取れるのか、不安しかない。この時代、新人の教育ももっぱらAIが担っている。そうやって即戦力として送り込まれてくる新人は、まあ半分以上は役立たずだ。AIをそのまま使った方がマシなほど、ろくでもない。


「そういえば、そいつのニックネーム、考えたんですよ」


 脈絡もなくそんな話をする新人に、俺は思わず怯む。この前後の文脈をぶった切って話を持ち出すのも、AIにトレーニングされた結果なのだろうか。なんともウンザリする話である。大丈夫なのか、日本。


「お疲れ様刑事デカって、どうです?」


 俺は耳を疑った。何を言っているのだこいつは。アンドロイドに愛称を付けるというのは、珍しい話ではない。何にだって愛称を付けたがるのはサブカルチャーの悪い癖だが、そんなものにはすっかり慣れた。しかし、よりによって「お疲れ様デカ」って何だ?


「お前、それ本気で言ってるのか?」


 ああ、聞き返した俺が馬鹿だった。本気に決まってる。なにしろタイパしか考えていない新人が、時間の無駄でしかない冗談でそんなことを言うわけがない。思わず頭を抱える。


「昔は、ジーパンとかマカロニとか、刑事にも愛称があったらしいじゃないですか。この前チャットで教えて貰いましたから、知ってますよ」


 そのチャットもAIだろ。また適当なことを返しているに違いない。だいたいそれは刑事が実際に使っていた愛称でもなんでもない。昔のテレビドラマで使われていたやつだ。そういえば今はテレビドラマという言葉自体使わないんだよな。サブスクドラマだっけ? タイトルを見て面白そうな話だけ見るのが流行りらしく、連続した物語作りが難しいと、エンタメ業界にいる同年代の連中が愚痴を吐いていたのを思い出した。現場はどこも大変だな。


「いつ何を聞いても最初に『オツカレサマデス』って言うじゃないですか。ぴったりの愛称だと思いません?」


 確かにアンドロイド、それも署内限定で使われるそれも、要員としては数えられているし、なんなら捜査会議には必須で参加させることになっている。つまり機械とはいえ同僚といえば同僚だ。それにしても、だ。


「その挨拶で返してくるのは、初期設定がそうなっているからだろ。誰かが変更したらどうするんだ?」


 また意味のない問いを立ててしまった。思い出したようにジャケットを脱ぎながら、ようやく自分のデスクについた俺はつい言ってしまった。そう、この挨拶はアンドロイドのプリセットに過ぎない。変えようと思えば変えられる。しかし……。


「誰もそんな面倒くさいことしませんよ。困らないし、時間の無駄じゃないですか」


 そうなのだ。俺も含めて、誰も困らないからプリセットから変更しようというやつはいない。納品されてから今日に至るまで、さきほどまで通路を塞いで資料提出を待っていたアンドロイドはずっと「オツカレサマデス」と喋り続けている。二十四時間三百六十五日、会う者すべてに対して、だ。


「……そうだな」


 俺もいい加減面倒くさくなって、愛称はもうそれで良いことにした。アンドロイドの呼び方なんてどうでも良い。そんなことを考えるだけ時間の無駄だ。俺はさっさと仕事を終わらせて帰って酒でも煽って寝たい。人間なのだから。


 さっさとこの日集めた捜査資料を取りまとめ、証拠やそれらしきものを整理する。なにしろあのアンドロイドにデータを渡さないと帰れないのだ。そのためにはデータ化できるものはデータ化し、スキャンできるものはそうできるように、整えてやる必要がある。


 ざっと一時間をかけて用意したレポートを転送し、物理的証拠の類いを揃えてアンドロイドの元へ向かう。スキャンさせなければならない。帰るために、だ。


 疲れた体に鞭打って、足腰のダルさに耐えながら、アンドロイドの元へ行く。一つ一つ差し出しスキャンさせる。スキャンは一瞬。十もあった証拠類は軒並み取り込まれた。その結果どんな分析を出してくるのかは、明日になればわかるだろう。


「オツカレサマデス」


 挨拶は変わらない。ただアンドロイドの顔に、「退勤処理完了」の文字が浮かび上がるのを見て、帰って問題ないか確認するだけだ。朝も昼も夜も、こいつはずっとこの挨拶をし続けている。


 そんな俺の後ろに、いつの間にか新人が立っていた。どうやらこいつも最後の報告を終えて退勤処理をするらしい。俺には興味もないし、どうでも良いことだ。さっさと帰ろう。そう思った矢先に飛んできた言葉。


「ちゃんと『お疲れ様刑事デカ』に『お疲れ様です』って言いましたか? 挨拶は基本ですよ、先輩?」


 もう限界だ。こんなクソみたいな職場にいつまでもいられるか。あと五年。あと五年我慢すれば前倒しの年金支給は貰える。それまでの辛抱だ。我慢しろ、俺。


「しっかりしてくださいね、先輩。それじゃ、お疲れ様です!」


 元気よく俺の肩を叩く新人と、次の退勤処理をしようと既に退勤扱いの俺を無視したアンドロイドに挟まれ、俺の感情は爆発する。


 あー、もう、本当に、疲れた!

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それはただのプリセットなんだよ。イライラするなよ。誰も面倒で設定なんてやらないんだよ。 涼風紫音 @sionsuzukaze

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