第14話 影王の降誕

夜明け前の王都は、

まるで息を潜めたように静かだった。


雪は降っていない。

それなのに、街全体が“凍って”いる。


凍結した家々、動かぬ人影、

そして空に漂う黒い霧。


それは〈黒氷の胎動〉から数日後のことだった。



---


「――陛下、起きてください!」


セリーヌの声が、王の間に響く。

エルマーは机に伏したまま、返事をしない。

彼の周囲には、薄く黒い氷が張っていた。


「エルマー様っ!」


駆け寄り、彼の身体を抱き起こす。

その頬は冷たく、まるで死人のようだった。


けれど次の瞬間、

閉じられていた瞳がゆっくりと開く。


――その色は、漆黒。


「……セリーヌ、か。」


声が違う。

低く、冷たく、しかしどこか懐かしい響き。


「あなたは……誰ですか?」


黒い瞳がゆっくりと彼女を見つめ、

氷のような微笑を浮かべた。


「私は“王”だ。

 エルマーの中で眠っていた、もう一人の王――

 〈影王リュゼ〉。」


セリーヌは剣の柄に手をかけた。

だが、その瞳の奥に一瞬だけ見えた“エルマーの光”に、

彼女は迷いを見せる。


「……エルマー様は、どこに……?」


「ここにいるさ。

 だが今は、眠っている。

 この身は私が借りた。王国を正すためにな。」


「王国を、正す……?」


「そうだ。

 白銀王がもたらした“春”は偽りだ。

 本来この国を守るのは、氷の静寂。

 永遠の冬こそが、真の秩序なのだ。」


リュゼの手が宙を払うと、

王の間の床が黒く凍りついた。


そこから伸びる氷の蔦が、壁を這い、

光をすべて飲み込んでいく。



---



その夜、セリーヌは地下神殿に身を潜めていた。

かつてクラリッサが使っていた祈りの間。


彼女の手の中には、

白銀に輝くエルマーの紋章ペンダント。


「エルマー様……どうか、あなたを返してください……」


祈るように呟くと、

氷の結晶がかすかに光を放った。


> 『セリーヌ……僕は、ここにいる。

けれど、リュゼは強い。彼は……僕の“過去そのもの”なんだ。』




「……過去?」


> 『王家が封じた“始まりの王”。

彼の血が、僕の中にも流れている。

彼は僕の中でずっと囁いていた……“王国を凍らせろ”と。』




セリーヌは拳を握った。

「それでも、あなたは春を選んだ。

 クラリッサ様の誓いを継いだじゃないですか!」


> 『ああ……でも彼は、僕の心の弱さに入り込んだ。

国を守るためなら、冷酷になれと。

失わないためには、すべてを凍らせろと……。』




氷のペンダントの光が弱まる。


> 『……セリーヌ、頼む。

もし僕が完全に“影王”に飲まれたら――

その時は、僕を……斬ってくれ。』




「嫌です! そんなことできません!」


> 『お願いだ。

君なら、僕の心を終わらせてくれる。

そして、春を――守ってくれると信じてる。』




光が消える。


セリーヌは涙をこぼしながら、

祈りの間にひとり膝をついた。



---


翌日。


王都中央広場。

民衆は集まり、氷の王座に座る“リュゼ”を見上げていた。


「民よ。

 白銀王は過ちを犯した。

 だが我はそれを正す。

 永遠の冬こそ、この地を安らぎへ導く。」


群衆は恐れと憧れの入り混じった目で見つめる。

その姿は、確かに“王”だった。

だが、それは希望ではなく――支配の王。


その足元、氷の下に封じられた“白銀の光”。

エルマーの意識は、暗闇の奥で微かに残っていた。


> 『……セリーヌ……僕は、まだ……ここにいる……。

信じてる……君の、刃を……』




氷の王の背後、

遠くの屋根の上にひとりの影が立っていた。


白いマント、涙に濡れた瞳。


セリーヌだった。


「……陛下。

 あなたの誓いは、私が――守ります。」


風が吹く。

氷の粒が舞い、

世界が静かに震え始めた。


――影王の降誕。

それは同時に、“真の王”が試される夜明けだった。

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