第12話 封印の彼方、春を告ぐ風

雪が、やんでいた。


空は淡い銀に染まり、遠くの氷原を朝日が照らしていた。

風が吹き抜けるたび、氷の粒が舞い上がり、

まるで大地そのものが息をしているように見えた。


――最初の封印は、確かに解けたのだ。


白銀王エルマーは、丘の上で立ち止まり、

その光景を見つめていた。

かつて全てを覆っていた“絶対の冬”が、

少しずつ、確かに退いていく。


「……姉上。見ていてくれていますか。」


その胸には、クラリッサの指輪が光っていた。

朝の光に透ける白銀の輝き。

それは彼女の残した誓いそのものだった。


背後から、セリーヌが歩み寄る。

「陛下……王国の氷が、一部では融け始めています。

 川が流れ、森の土が顔を出しました。こんなことは、何百年ぶりかと……」


エルマーは小さく頷く。

「でも、これで終わりじゃない。

 “巫女の魂”がまだ眠っている。

 この春は、ほんの前触れにすぎない。」


セリーヌの瞳に、わずかな哀しみが浮かぶ。

「巫女を解き放つことは、王家の血を代償にする行為です。

 つまり――」


「わかっているよ」

エルマーはその言葉を遮り、空を見上げた。


「姉上が守りたかったものを、

 僕も守り抜く。そのためなら、僕の命など惜しくない。」


彼の声は穏やかで、けれど揺るぎなかった。



旅の一行は、さらに北を目指した。

氷原の果てにある、古代神殿〈リュミエールの祠〉。

そこには“封印の残滓”――巫女の魂が眠ると伝えられている。


道中、氷が割れ、風が歌うように鳴った。

その響きに、エルマーは一瞬、

クラリッサの声を感じた。


――『あなたなら、大丈夫。』


その優しい囁きが、彼を支えていた。



祠の前に辿り着いた時、

空はすでに薄紅色に染まっていた。

雪の上に、一本の草が芽吹いている。

冬の終わりを告げる、最初の命。


「……春の証。」


エルマーはその小さな芽に微笑んだ。


祠の扉を開けると、

中には巨大な氷の水晶が鎮座していた。

淡い光がその内部で揺れ、

まるで心臓の鼓動のように脈動している。


セリーヌが息を呑む。

「これが……“巫女の心臓”……?」


エルマーは頷き、

手にした〈アウルム・グレイス〉を氷へと突き立てた。


その瞬間、光が走り、祠全体が震えた。

氷の結晶が宙に浮かび、

周囲の空気が柔らかく温もりを帯びていく。


「……これは――」


エルマーの頭に、誰かの声が響いた。


> ――“ようやく、ここまで来たのね”




「……あなたは……巫女?」


> “ええ。私は〈リュミエール〉。

かつて、氷と命を繋げた巫女。

そして、あなたたち王家を見守ってきた者。”




エルマーは目を閉じ、静かに答える。

「あなたの魂を封じたのは、僕たちの祖先です。

 だからこそ、僕があなたを解き放ちたい。」


> “……その心に、憎しみはないのね。”




「ありません。

 ただ――終わらせたいだけなんです。

 この終わらない冬を。」


巫女の声が、少しだけ柔らかくなった。


> “ならば、証を見せて。

あなたの血の中に、まだ“氷の契約”が生きている。

それを超えられるかどうか――それが鍵となる。”




氷が砕け、祠の奥に光の扉が開く。

その向こうには、果てしない白の世界。


エルマーは一歩、踏み出した。

胸に手を当て、クラリッサの指輪を握る。


「姉上、見ていてください。

 僕は、この命で――春を呼びます。」


風が吹く。

氷の結晶が舞い、

そのひとつひとつが光の花弁に変わっていく。


――春を告ぐ風が、確かに吹いた。


エルマーの足元で、雪が溶け、

一面に白い花が咲き始める。


それは、彼の祖先たちが夢に見た“春”の始まりだった。



セリーヌが跪き、涙をこぼす。

「陛下……まるで奇跡のようです……!」


エルマーは微笑んだ。

「奇跡じゃない。

 これは――誓いの結果だ。」


遠くの空に、白い鳥が飛び立つ。

その翼が太陽を反射し、

まるで“クラリッサの魂”が彼を祝福しているかのように見えた。



だが、その美しい光景の裏で――

地の底から、微かに響く“もうひとつの声”があった。


> “……巫女の封印が……解かれたのか……。

ならば、次に目覚めるのは――我らの番だ。”




その声とともに、

氷の底に眠る“黒き紋章”が、ゆっくりと脈打ち始める。


春は訪れた。

だが、それは同時に“氷の均衡”が崩れる音でもあった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る