第12話 封印の彼方、春を告ぐ風
雪が、やんでいた。
空は淡い銀に染まり、遠くの氷原を朝日が照らしていた。
風が吹き抜けるたび、氷の粒が舞い上がり、
まるで大地そのものが息をしているように見えた。
――最初の封印は、確かに解けたのだ。
白銀王エルマーは、丘の上で立ち止まり、
その光景を見つめていた。
かつて全てを覆っていた“絶対の冬”が、
少しずつ、確かに退いていく。
「……姉上。見ていてくれていますか。」
その胸には、クラリッサの指輪が光っていた。
朝の光に透ける白銀の輝き。
それは彼女の残した誓いそのものだった。
背後から、セリーヌが歩み寄る。
「陛下……王国の氷が、一部では融け始めています。
川が流れ、森の土が顔を出しました。こんなことは、何百年ぶりかと……」
エルマーは小さく頷く。
「でも、これで終わりじゃない。
“巫女の魂”がまだ眠っている。
この春は、ほんの前触れにすぎない。」
セリーヌの瞳に、わずかな哀しみが浮かぶ。
「巫女を解き放つことは、王家の血を代償にする行為です。
つまり――」
「わかっているよ」
エルマーはその言葉を遮り、空を見上げた。
「姉上が守りたかったものを、
僕も守り抜く。そのためなら、僕の命など惜しくない。」
彼の声は穏やかで、けれど揺るぎなかった。
◆
旅の一行は、さらに北を目指した。
氷原の果てにある、古代神殿〈リュミエールの祠〉。
そこには“封印の残滓”――巫女の魂が眠ると伝えられている。
道中、氷が割れ、風が歌うように鳴った。
その響きに、エルマーは一瞬、
クラリッサの声を感じた。
――『あなたなら、大丈夫。』
その優しい囁きが、彼を支えていた。
◆
祠の前に辿り着いた時、
空はすでに薄紅色に染まっていた。
雪の上に、一本の草が芽吹いている。
冬の終わりを告げる、最初の命。
「……春の証。」
エルマーはその小さな芽に微笑んだ。
祠の扉を開けると、
中には巨大な氷の水晶が鎮座していた。
淡い光がその内部で揺れ、
まるで心臓の鼓動のように脈動している。
セリーヌが息を呑む。
「これが……“巫女の心臓”……?」
エルマーは頷き、
手にした〈アウルム・グレイス〉を氷へと突き立てた。
その瞬間、光が走り、祠全体が震えた。
氷の結晶が宙に浮かび、
周囲の空気が柔らかく温もりを帯びていく。
「……これは――」
エルマーの頭に、誰かの声が響いた。
> ――“ようやく、ここまで来たのね”
「……あなたは……巫女?」
> “ええ。私は〈リュミエール〉。
かつて、氷と命を繋げた巫女。
そして、あなたたち王家を見守ってきた者。”
エルマーは目を閉じ、静かに答える。
「あなたの魂を封じたのは、僕たちの祖先です。
だからこそ、僕があなたを解き放ちたい。」
> “……その心に、憎しみはないのね。”
「ありません。
ただ――終わらせたいだけなんです。
この終わらない冬を。」
巫女の声が、少しだけ柔らかくなった。
> “ならば、証を見せて。
あなたの血の中に、まだ“氷の契約”が生きている。
それを超えられるかどうか――それが鍵となる。”
氷が砕け、祠の奥に光の扉が開く。
その向こうには、果てしない白の世界。
エルマーは一歩、踏み出した。
胸に手を当て、クラリッサの指輪を握る。
「姉上、見ていてください。
僕は、この命で――春を呼びます。」
風が吹く。
氷の結晶が舞い、
そのひとつひとつが光の花弁に変わっていく。
――春を告ぐ風が、確かに吹いた。
エルマーの足元で、雪が溶け、
一面に白い花が咲き始める。
それは、彼の祖先たちが夢に見た“春”の始まりだった。
◆
セリーヌが跪き、涙をこぼす。
「陛下……まるで奇跡のようです……!」
エルマーは微笑んだ。
「奇跡じゃない。
これは――誓いの結果だ。」
遠くの空に、白い鳥が飛び立つ。
その翼が太陽を反射し、
まるで“クラリッサの魂”が彼を祝福しているかのように見えた。
◆
だが、その美しい光景の裏で――
地の底から、微かに響く“もうひとつの声”があった。
> “……巫女の封印が……解かれたのか……。
ならば、次に目覚めるのは――我らの番だ。”
その声とともに、
氷の底に眠る“黒き紋章”が、ゆっくりと脈打ち始める。
春は訪れた。
だが、それは同時に“氷の均衡”が崩れる音でもあった――。
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