第9話 氷の王国、揺らぐ玉座
氷冠の聖域を後にし、二人が王都に戻ったのは、
雪解けの兆しがわずかに現れた朝だった。
けれど、城下町の空気はあまりにも冷たかった。
民は怯え、広場では兵が行き交い、
その目には“忠誠”ではなく“恐怖”が宿っている。
「……何かがおかしい」
クラリッサは小声でつぶやいた。
「王都が、まるで――誰かに支配されているようだわ」
エルマーは黙って頷く。
彼の胸の紋章が淡く光を放つ。
まるで、王国そのものが警告を発しているようだった。
◆
王宮の大広間。
白い大理石の床を踏みしめながら、クラリッサは歩く。
玉座には――見慣れぬ影が座っていた。
「ようやく戻られたか、“王女クラリッサ殿下”。」
その声に、クラリッサの瞳が鋭く光る。
玉座に座るのは、かつて王に仕えた高位貴族、
〈氷冠会議〉筆頭――レオノルト・グレイヴ侯爵。
あの聖域で姿を消したはずの男が、
今は王の冠を戴き、
冷たく笑っていた。
「レオノルト……あなた、何をしているの?」
「何を、とは穏やかでない。
王子殿下は行方不明、王家の血は途絶えた。
ゆえに、私が“王国の代理”として政務を執り行っている――ただそれだけのことです」
「偽りを!」
クラリッサの声が大広間に響く。
「エルマーは生きている! 王国の正統な継承者よ!」
その言葉に、兵たちがざわめく。
しかしレオノルトは微動だにせず、
冷たい視線を向けた。
「ならば、証明なさい。“氷の王”としての印を。
あるいは――その身を凍らせて示すのも、よいでしょう?」
次の瞬間、彼の杖から青い霧が吹き出した。
床を這う氷が蛇のように伸び、クラリッサの足元を絡め取る。
「っ……!」
瞬間、炎の紋章がクラリッサの手に浮かんだ。
彼女は力強く詠唱する。
「――“白銀の
氷と炎がぶつかり合い、爆ぜる。
青と紅の光が交錯し、広間の柱を粉砕した。
兵たちは叫び声を上げ、次々と凍りつく床から逃げ惑う。
レオノルトは静かに笑った。
「なるほど……“炎の血”を呼び覚ましたか。
だが、その力は未熟だ。
お前の母の血が、王家の均衡を崩したのだよ」
「黙れ!」
クラリッサが叫び、炎を放つ。
その炎が玉座を包み、氷の王冠を融かした。
しかし、レオノルトは煙の中から姿を変えて現れた。
皮膚が青白く輝き、瞳は氷のように透き通っている。
「……あなた、人間じゃない……?」
「私は“氷の契約者”。
王家が封じた〈氷巫女〉の残滓を、この身に受け継いだ存在。
お前たちの罪が生み出した、もうひとりの“王”だ。」
その言葉とともに、城全体が軋んだ。
天井から氷の結晶が落ち、空が暗く染まっていく。
王都全体が再び、凍り始めていた。
◆
「姉上!」
背後からエルマーが駆け込んできた。
クラリッサが振り返ると、
彼の胸の紋章が青白く輝き、彼の血が共鳴しているのが見えた。
「……この力、止まらない……!
僕の中の氷が、レオノルトの魔力に引きずられて――」
クラリッサは彼の手を掴む。
「エルマー、しっかりして! あなたは“王国を凍らせる者”じゃない!」
「でも、このままじゃ……僕が王都を――!」
その瞬間、レオノルトが杖を振り下ろした。
「ならば、いっそ共に凍れ! 王家の血よ!」
氷の槍が飛ぶ。
クラリッサは咄嗟に身を挺し、エルマーを庇った。
鋭い冷気が肩を貫き、
血が、真っ白な床に散った。
「――クラリッサ!」
彼女は苦痛に顔を歪めながらも、
微笑んだ。
「……大丈夫。
私は……氷の鎖を断つって、誓ったんだから」
エルマーの涙が頬を伝う。
クラリッサは彼の胸に手を当て、
炎の紋章を光らせた。
「エルマー……この炎を、あなたに渡すわ。
“王”としての力と共に……」
炎が彼女の掌から流れ出し、
エルマーの胸の印章と溶け合った。
氷と炎、二つの力が共鳴し、
白銀の光が爆発的に広がる。
レオノルトは叫び声を上げた。
「やめろ……! それは、均衡を壊す――!」
だが、もう遅かった。
城全体を包む氷が光に砕け散り、
天井を貫いて雪の粒が舞い落ちる。
その中で、クラリッサはエルマーの胸に顔を寄せ、
小さく囁いた。
「この国を……春にしてあげて……」
彼女の手から、最後の光が消える。
クラリッサの身体が静かに崩れ落ちた。
「姉上……っ!!!」
エルマーの叫びが、王都中に響いた。
レオノルトの姿は光の中に飲み込まれ、
ただ静かな雪だけが残った。
◆
――夜。
崩れた王宮の跡地で、
氷の柱に寄りかかるひとりの少年の姿があった。
彼の髪は白く、瞳は淡く光り、
まるで“氷の王”そのもののように静かだった。
「……姉上。
あなたの炎は、僕の中で生きています。
だから……僕は、もう迷わない。」
風が吹き、雪が舞う。
その背中には、白銀の光が宿っていた。
――それが、後に「白銀王」と呼ばれる少年王、
エルマー・ルクス・フロースの誕生の瞬間であった。
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