第9話 氷の王国、揺らぐ玉座

氷冠の聖域を後にし、二人が王都に戻ったのは、

雪解けの兆しがわずかに現れた朝だった。


けれど、城下町の空気はあまりにも冷たかった。

民は怯え、広場では兵が行き交い、

その目には“忠誠”ではなく“恐怖”が宿っている。


「……何かがおかしい」

クラリッサは小声でつぶやいた。

「王都が、まるで――誰かに支配されているようだわ」


エルマーは黙って頷く。

彼の胸の紋章が淡く光を放つ。

まるで、王国そのものが警告を発しているようだった。



王宮の大広間。

白い大理石の床を踏みしめながら、クラリッサは歩く。

玉座には――見慣れぬ影が座っていた。


「ようやく戻られたか、“王女クラリッサ殿下”。」


その声に、クラリッサの瞳が鋭く光る。

玉座に座るのは、かつて王に仕えた高位貴族、

〈氷冠会議〉筆頭――レオノルト・グレイヴ侯爵。


あの聖域で姿を消したはずの男が、

今は王の冠を戴き、

冷たく笑っていた。


「レオノルト……あなた、何をしているの?」


「何を、とは穏やかでない。

 王子殿下は行方不明、王家の血は途絶えた。

 ゆえに、私が“王国の代理”として政務を執り行っている――ただそれだけのことです」


「偽りを!」

クラリッサの声が大広間に響く。

「エルマーは生きている! 王国の正統な継承者よ!」


その言葉に、兵たちがざわめく。

しかしレオノルトは微動だにせず、

冷たい視線を向けた。


「ならば、証明なさい。“氷の王”としての印を。

 あるいは――その身を凍らせて示すのも、よいでしょう?」


次の瞬間、彼の杖から青い霧が吹き出した。

床を這う氷が蛇のように伸び、クラリッサの足元を絡め取る。


「っ……!」

瞬間、炎の紋章がクラリッサの手に浮かんだ。

彼女は力強く詠唱する。


「――“白銀の均衡セレス・フレイム!”」


氷と炎がぶつかり合い、爆ぜる。

青と紅の光が交錯し、広間の柱を粉砕した。

兵たちは叫び声を上げ、次々と凍りつく床から逃げ惑う。


レオノルトは静かに笑った。

「なるほど……“炎の血”を呼び覚ましたか。

 だが、その力は未熟だ。

 お前の母の血が、王家の均衡を崩したのだよ」


「黙れ!」

クラリッサが叫び、炎を放つ。

その炎が玉座を包み、氷の王冠を融かした。


しかし、レオノルトは煙の中から姿を変えて現れた。

皮膚が青白く輝き、瞳は氷のように透き通っている。


「……あなた、人間じゃない……?」


「私は“氷の契約者”。

 王家が封じた〈氷巫女〉の残滓を、この身に受け継いだ存在。

 お前たちの罪が生み出した、もうひとりの“王”だ。」


その言葉とともに、城全体が軋んだ。

天井から氷の結晶が落ち、空が暗く染まっていく。

王都全体が再び、凍り始めていた。



「姉上!」

背後からエルマーが駆け込んできた。

クラリッサが振り返ると、

彼の胸の紋章が青白く輝き、彼の血が共鳴しているのが見えた。


「……この力、止まらない……!

 僕の中の氷が、レオノルトの魔力に引きずられて――」


クラリッサは彼の手を掴む。

「エルマー、しっかりして! あなたは“王国を凍らせる者”じゃない!」


「でも、このままじゃ……僕が王都を――!」


その瞬間、レオノルトが杖を振り下ろした。

「ならば、いっそ共に凍れ! 王家の血よ!」


氷の槍が飛ぶ。

クラリッサは咄嗟に身を挺し、エルマーを庇った。


鋭い冷気が肩を貫き、

血が、真っ白な床に散った。


「――クラリッサ!」


彼女は苦痛に顔を歪めながらも、

微笑んだ。


「……大丈夫。

 私は……氷の鎖を断つって、誓ったんだから」


エルマーの涙が頬を伝う。

クラリッサは彼の胸に手を当て、

炎の紋章を光らせた。


「エルマー……この炎を、あなたに渡すわ。

 “王”としての力と共に……」


炎が彼女の掌から流れ出し、

エルマーの胸の印章と溶け合った。


氷と炎、二つの力が共鳴し、

白銀の光が爆発的に広がる。


レオノルトは叫び声を上げた。

「やめろ……! それは、均衡を壊す――!」


だが、もう遅かった。

城全体を包む氷が光に砕け散り、

天井を貫いて雪の粒が舞い落ちる。


その中で、クラリッサはエルマーの胸に顔を寄せ、

小さく囁いた。


「この国を……春にしてあげて……」


彼女の手から、最後の光が消える。

クラリッサの身体が静かに崩れ落ちた。


「姉上……っ!!!」


エルマーの叫びが、王都中に響いた。

レオノルトの姿は光の中に飲み込まれ、

ただ静かな雪だけが残った。



――夜。

崩れた王宮の跡地で、

氷の柱に寄りかかるひとりの少年の姿があった。


彼の髪は白く、瞳は淡く光り、

まるで“氷の王”そのもののように静かだった。


「……姉上。

 あなたの炎は、僕の中で生きています。

 だから……僕は、もう迷わない。」


風が吹き、雪が舞う。

その背中には、白銀の光が宿っていた。


――それが、後に「白銀王」と呼ばれる少年王、

エルマー・ルクス・フロースの誕生の瞬間であった。

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