第8話 氷巫女の眠る聖域
氷冠の墓所の奥へ、二人は進んでいった。
足元の氷は透き通り、青白い光が脈のように流れている。
まるで、この地そのものが生きているかのようだった。
「ここが……“聖域”……」
クラリッサの声は震えていた。
風のない空間なのに、どこかで微かな歌声が響いていた。
――それは、祈りの歌。
遠い昔に、巫女が凍る夜に捧げた歌。
「感じますか、姉上」
エルマーが囁く。
「この声……僕たちの血が、呼ばれています」
その言葉の通り、二人の胸の印章が淡く光を帯びた。
やがて氷壁が静かに割れ、奥に巨大な円形の空間が現れる。
中央に浮かぶ氷の棺。
その中で、白銀の髪を持つ少女が眠っていた。
――“氷の巫女”。
クラリッサは息を呑んだ。
その姿はあまりにも美しく、同時に痛々しかった。
棺の中で眠る彼女は、まるで泣いているように見えた。
「どうして……こんな形で封じられて……」
「王国が永遠を求めた代償です」
エルマーは静かに棺に近づく。
「でも、僕たちがここに来たのは……この鎖を断ち切るためです」
クラリッサが頷くと、巫女の周囲の氷が淡く光った。
そして――彼女の瞼がゆっくりと開いた。
「……あなたたちは……王の血を持つ者ですね」
透き通る声が、氷の間を震わせた。
「私は、“氷の巫女”セレスティア。
永遠を願った王たちに、魂を縛られた者……」
クラリッサは前に出る。
「あなたを解き放ちに来たの。
もう、誰も凍らせないために」
セレスティアはゆるやかに微笑んだ。
「優しい娘……けれど、鎖は簡単には解けません。
私の魂を縛るのは、王の血。
その鎖を断つには――王の血を“絶たなければ”ならない」
エルマーの目が大きく見開かれた。
「……僕の、命を……?」
沈黙が降りる。
クラリッサの心臓が締め付けられた。
「そんな……そんなの、間違ってる!」
「私も、望んではいません」
セレスティアはゆっくりと棺の中から手を伸ばした。
その指先が氷を通してクラリッサの頬に触れる。
「あなたの中にある“もうひとつの力”――
それが、この鎖を変えるかもしれない」
「もうひとつの……?」
クラリッサが戸惑うと、
巫女の瞳が柔らかく輝いた。
「あなたは〈氷〉だけでなく〈炎〉を継いでいる。
“白銀”とは、氷と炎の均衡。
その魂が、真の解放の鍵になる」
エルマーが息を飲む。
「姉上の中に……炎の血が?」
クラリッサの脳裏に、亡き母の面影が浮かぶ。
彼女は王家ではなく、東方の炎の一族の娘だった――
“氷と炎の婚姻”。
それが当時、王国を救うと信じられた政略結婚。
「……そうか……母が、私に……」
クラリッサの胸が熱を帯びる。
炎と氷、相反する力が共鳴し、印章が光り輝いた。
セレスティアの瞳に、微かな希望が宿る。
「炎が氷を包み、鎖を優しく溶かすなら……
血を絶たずに、魂を解けるかもしれない」
◆
その瞬間、氷冠の聖域全体が震えた。
氷壁に亀裂が走り、上空から雪片が降り注ぐ。
遠くで、冷たい声が響く。
――「余計なことをしてくれるな、“偽りの王女”よ。」
氷の霧の中から現れたのは、
漆黒の衣を纏った男。
王国の影を司る〈氷冠会議〉の筆頭貴族、
――レオノルト・グレイヴ。
「貴族たちが……もう動いてきた……!」
エルマーが身構える。
レオノルトはゆっくりと手を掲げ、
氷の刃を作り出した。
「王国の永遠は、巫女の眠りによって保たれる。
それを破ろうとする者は――王家であろうと、許されぬ。」
氷刃が飛び、クラリッサの頬をかすめた。
その瞬間、エルマーが彼女を抱き寄せ、盾の魔法を展開する。
「……手を出すな、クラリッサ。ここは僕が!」
「ダメよ、エルマー! あなたを失ったら、意味がない!」
二人の叫びが響く。
その時、巫女セレスティアの声が再び広間に満ちた。
「二人の心を、一つに――」
氷と炎が同時に弾けた。
クラリッサの手から炎の光が、
エルマーの印章から氷の光が放たれ、
二つの輝きが交わる。
「これが……“白銀”の力……!」
レオノルトの叫びを掻き消すように、
光が聖域を包み込む。
氷が溶け、巫女の棺を包んでいた鎖が音を立てて砕け散った。
セレスティアの体がゆっくりと宙に浮かび、
微笑を浮かべる。
「……ありがとう。
私の祈りは、ようやく終わる。」
そして彼女は、二人の胸に手を当てる。
「この国の“氷”は、まだ残るでしょう。
けれど、それは“滅び”ではなく、“再生”の冬。
――あなたたちが、それを春へ導くのです。」
セレスティアの姿が光の粒となって消える。
氷冠の聖域に、静かな風が流れた。
もう、誰も泣いていない。
クラリッサはエルマーに寄り添い、
小さく囁いた。
「私たちは……この国を、取り戻す。
どんなに長い冬でも、きっと春に変えてみせる」
エルマーは微笑み、手を握り返した。
「ええ、姉上。――共に、必ず。」
聖域の天井から雪が舞い、
それがまるで、祝福の花弁のように降り注いだ。
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