第3話 氷の継承者

 氷冠の奥――誰も足を踏み入れたことのない最深部。

クラリッサとエルマーは、凍てついた回廊を進んでいた。


天井から垂れる氷柱は、まるで時の流れを止めたかのように静かだった。

足音さえも吸い込まれるように消えていく。


「……ここが、“父上”の最後の研究区画です」

エルマーの声が震える。

彼の指先には、かつて自らを封じた“氷紋”が再び淡く光っていた。


クラリッサは周囲を見渡した。

壁に刻まれた紋章、凍りついた机、

そして中央には――透明な氷の棺。


棺の中には、ひとりの少年が眠っていた。

白銀の髪、閉じた瞳。

その顔は、エルマーと瓜二つだった。


「……嘘……」

クラリッサの唇が震える。

エルマーもまた、息を呑んだ。


「まさか……“双子”だったのか……?」


氷の棺の表面に、古代文字が刻まれていた。

それは、王家の封印文――

《第二王子、シリウス=ヴァルシエル》


クラリッサの胸の奥に、冷たい痛みが走る。

「もう一人……いたのね。

 私たちの、弟が……」


沈黙。

その瞬間、氷棺の中の少年の指が、わずかに動いた。


パリン――ッ!


氷が砕け、冷気が爆ぜる。

クラリッサは思わずエルマーの腕を掴んだ。

白い霧の中から、ゆっくりと少年が目を開ける。


「……エルマー兄上……?」

低く、穏やかな声だった。

だが、その瞳の奥に宿るものは、氷よりも深い絶望。


エルマーは言葉を失った。

自分と同じ顔。

だがそこにあるのは、鏡像ではなく――“もう一つの存在”。


「あなたは……」

「僕は、王の“継承実験”の結果。

 氷の力を完全に受け継ぐために造られた――“継承者”です」


静寂が落ちた。

クラリッサは凍える心で理解した。

父王は、自らの血を分けてまで“完全な氷の王”を作ろうとしていたのだ。


シリウスは微笑んだ。

その笑みはどこか幼く、けれど狂気を孕んでいた。


「兄上。あなたは“失敗作”だと言われたそうですね。

 けれど、僕は……完璧です」


エルマーは無言で一歩、前へ出た。

その足元から、白い霜が広がっていく。


「……そんなこと、どうでもいい。

 兄弟なら、僕たちは――」


「兄弟? 違います」

シリウスの瞳が凍てつく。

「僕は、あなたの“継承者”。

 あなたが滅ぶことで、僕は完全になる」


一瞬のうちに空気が凍りつく。

シリウスの周囲に氷の結晶が浮かび、

彼の背後に巨大な氷剣が形成された。


クラリッサが叫ぶ。

「やめなさい!あなたたちは兄弟なのよ!」


だが、少年は微笑んだまま首を振った。

「兄弟? 王にそんなもの、必要ありません」


エルマーは、静かに剣を構えた。

「……そうか。なら、僕は“兄”として、君を止める」


氷と氷が衝突した。

轟音が迷宮全体に響き、天井の氷が崩れ落ちる。


クラリッサは両手を合わせ、祈るように叫んだ。

「お願い……エルマー、負けないで。

 あなたは“王の継承者”なんかじゃない。

 ――この国を、光に導く“最後の王子”なんだから!」


その言葉が、凍てついた空間に光を灯した。

エルマーの剣が淡く輝き、氷の力が解けていく。


シリウスは一瞬だけ驚いたように目を見開き、

氷の霧の中に姿を消した。


残されたのは、粉雪のように舞う氷片だけ。


クラリッサは崩れ落ちそうな弟を抱きしめ、

その胸の奥で小さく呟いた。


「……また、誰かが凍えてしまうの?

 もう、そんな世界はいや……」


エルマーは彼女の肩に手を置き、弱々しく微笑んだ。

「大丈夫。僕がいる限り、この国をもう二度と凍らせはしない」


その言葉は、氷の中で新しい春を呼ぶように、

柔らかな光を放っていた。

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