第2話 氷原の亡霊たち
夜が、再び白く凍った。
エルマーたちは残氷の谷に入って三日目。
昼も夜も見分けのつかない極北の空で、吹雪は止むことを知らなかった。
カインが火を起こしながら、焚き火越しに地図を指さす。
「この先の“深氷の谷”……ここが呪印の中心と思われます」
「中心?」
エルマーが首を傾げる。
「はい。魔獣たちの腐敗がこの地から広がっている。
何者かが“古の術式”で氷そのものを操っているようです」
焚き火の炎が、風に揺れた。
その火の赤が、エルマーの瞳に映る。
「……父上が使っていた禁術、“魂氷(こんぴょう)”か」
その言葉に、カインは一瞬だけ眉を上げた。
「伝説だと思っていましたが……まさか本当に存在したとは」
「伝説でも呪いでもいい。
放っておけば、また誰かがこの地で凍る」
その瞬間、吹雪の奥で“何か”が動いた。
――ギィ、ギィ……と、氷を軋ませる音。
エルマーが立ち上がる。
視界の奥、雪の中で光が瞬いた。
最初は人影のようで、次第に数が増えていく。
「人……? いや、違う」
それは、“かつての人間の残骸”だった。
氷に閉ざされた鎧の中から、青白い炎が揺れている。
かつて王国軍として戦い、氷原で命を落とした兵士たち――。
その魂が、呪印に縛られ、“亡霊”として蘇っていた。
「殿下、数が多すぎます!」
カインが叫ぶ。
だが、エルマーは剣を抜いた。
「逃げない。
彼らも……かつて、俺たちの仲間だった」
氷原に雷鳴が響いた。
〈グラシエル〉が光を放ち、蒼い刃が吹雪を裂く。
亡霊たちは呻き声を上げ、剣を構えて襲いかかってくる。
エルマーは刃を交え、光で闇を弾いた。
しかし、切っても切っても、彼らは溶けない。
氷が肉の代わりに再生し、再び立ち上がる。
「……なぜだ! なぜ眠らない!」
その問いに答えるように、
吹雪の向こうから、ひとつの声が響いた。
「――光は、氷を溶かせぬ」
声の主は、黒衣の女だった。
漆黒のヴェールを纏い、手に氷の杖を持つ。
瞳は紅玉のように光り、空気そのものが凍りつく。
「あなたが……この呪いを?」
女は微笑んだ。
「いいえ、私は“継ぐ者”。
ヴァルター陛下の魂を、この地に留めるための“鍵”。」
その名を聞いた瞬間、エルマーの胸が凍る。
「父上を……操っているのか?」
「操る? 違うわ。
王の魂は、未だこの地を護ろうとしている。
“愚かな春”を拒み、永遠の冬を望んでいるの」
女の杖が地を叩くと、氷の兵たちが一斉に膝をついた。
吹雪の中で、彼らの声が重なる。
『王に忠誠を……永遠の氷に眠らん……』
エルマーは歯を食いしばり、剣を握り直した。
「父上は……そんなことは望まない!
俺は王家の血を継ぐ者として、この呪いを終わらせる!!」
剣が輝き、氷原に光が奔る。
だが女は冷ややかに笑った。
「あなたの光は優しすぎる。
氷を溶かすには、“憎しみ”の炎が必要よ」
その瞬間、女の杖から黒い氷が伸び、エルマーの腕を絡め取る。
凍結が一瞬で広がり、肌を裂くような痛みが走る。
「……ぐっ!」
片膝をつくエルマー。
光が消えかけ、周囲の氷が黒く染まっていく。
女の声が低く響く。
「あなたが光に縋る限り、冬は終わらない」
――だがその時、遠くから鐘の音が鳴った。
澄んだ、金色の響き。
吹雪を貫くように、王都からの“春告げの鐘”が届いたのだ。
エルマーは顔を上げた。
その音に、姉の声を聞いた気がした。
『負けないで、エルマー。あなたの光は――優しさの証。』
エルマーは叫ぶように立ち上がった。
「俺は、誰も凍らせない!」
剣を振るう。
光が奔り、黒氷を砕く。
女は目を見開き、吹雪の中へと姿を消した。
氷の兵たちも、静かに霧のように消えていく。
残ったのは、冷たい風と、星明かりだけ。
◇ ◇ ◇
戦いのあと、カインが静かに言った。
「殿下……あの女、何者なのでしょう」
「分からない。でも、“父上の声”が彼女の中にあった」
エルマーは空を見上げた。
星々が、雪を溶かすように輝いている。
「……冬は、まだ終わっていない。
でも、俺が終わらせる」
吹雪が止み、遠くで光が差し込む。
その光は、春を告げるように静かで――
しかし確かに、闇を裂く力を持っていた。
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