第二章 氷冠の影編
第2章 第1話 残氷(ざんぴょう)
――春が、まだ届かない場所があった。
北の果て。
かつての戦場、〈スヴァルト氷原〉。
白い大地は、いまだに溶けきらない氷に覆われている。
吹きすさぶ風は、まるで過去の悲鳴を運ぶようだった。
馬を進めながら、エルマーは吐く息を見つめた。
「……ここだけ、まだ冬が生きてる」
隣を歩くのは、彼の護衛隊長である銀髪の青年――カイン。
彼は寒気を物ともせず、鋭い目で遠方を見張っている。
「殿下、あの雪丘の下……魔力の反応があります。氷の封印が、まだ生きている」
エルマーは頷き、馬から降りた。
手袋を外し、雪を払う。
その下から現れたのは、黒い紋章を刻まれた氷塊だった。
“ヴァルターの呪印”。――死してなお残る、王国を蝕む呪い。
「……父上の影か」
エルマーの瞳が鋭く光る。
その瞬間、氷の下から低い唸り声が響いた。
――ガアァァァァ……ッ!!
氷を割って現れたのは、かつて王都を襲った魔獣の成れの果て。
肉体は朽ちているのに、魂だけが呪いに縛られ、まだ彷徨っている。
カインが剣を抜く。
「殿下、下がってください!」
だが、エルマーは一歩前に出た。
その瞳に、決して怯えはなかった。
「いいや、俺が終わらせる。
これは――王家の罪の残滓(ざんし)だ」
右手を掲げる。
氷の紋章剣〈グラシエル〉が光を放つ。
刃が空気を裂き、氷原に青い雷鳴が走った。
魔獣が叫び、黒い霧を吐く。
それでもエルマーは真っ直ぐ踏み込み、
「凍てつけ、そして眠れ――!」
氷の閃光が大地を貫き、魔獣を包む。
黒い影が消え、代わりに小さな雪片が舞い落ちた。
その一粒が頬に触れた瞬間、
エルマーは小さく呟いた。
「……父上。あなたの残した傷は、俺がすべて凍らせてみせる」
◇ ◇ ◇
戦いのあと、エルマーは丘の上に立った。
眼下には、かつての王国の境界線が見える。
今は誰も住まない廃村、砕けた塔、黒く焦げた旗――
全てが“かつての栄光”を語っていた。
「カイン。この辺りの氷……おかしいな」
「ええ。自然の凍結ではない。何者かが、最近、魔術で“再び凍らせた”跡がある」
エルマーの眉が僅かに動いた。
「……ということは、誰かが“ヴァルターの呪印”を継いでいる?」
カインは黙って頷く。
風の中、かすかに聞こえる声――それは歌のようでも、呪いの詠唱のようでもあった。
「氷は眠らない……王家の血もまた……」
エルマーはマントを翻した。
「行こう。ここから先に、“まだ終わっていない冬”がある」
◇ ◇ ◇
一方その頃、王都――。
クラリッサは地図を広げ、北方の報告を受け取っていた。
「残氷の地で、異常な魔力の発生……?」
セリナが顔を曇らせる。
「まさか、呪いがまだ生きているなんて」
クラリッサは唇を噛み、窓の外に目を向けた。
春の光が街を照らしている。
けれど、その先――北の空だけが、まだ灰色に沈んでいた。
「……エルマー、あなた一人に背負わせはしないわ。
この国は、もう“凍らせない”」
そう言って、クラリッサはマントを掴み、立ち上がった。
その瞳には、女王としての覚悟と、姉としての想いが交差していた。
「再び冬が来るなら、私は春を連れて行く」
そして王国の門が、再び開かれる。
風が吹き、花びらと雪片が混ざり合う。
――王国奪還の後に訪れる“第二の冬”。
その始まりを、人々はまだ知らなかった。
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