第18話 春告げの王国

 雪が、もう二度と降らなくなった。

 長い冬を終えた王都は、まだ少し冷たい風を残しながらも、確かに春の匂いをまとっていた。


 白く閉ざされていた街の屋根には若草が芽吹き、凍っていた泉には魚が跳ねる。

 民は笑い、泣き、抱き合いながら、何度も空を見上げていた。

 ――そこには、青空があった。


◇ ◇ ◇


 「姉さん、こっち!」

 エルマーが子供のように声を上げる。

 王城の裏庭では、解放を祝う祭りの準備が始まっていた。

 市場の職人たちが並び、兵士たちが楽器を手に取り、子どもたちが花を摘んで駆け回る。


 クラリッサは微笑みながら、民の姿を見渡した。

 その瞳には、かつての痛みと誇りの光が同時に宿っている。


 「……あの氷の街が、こんなにも早く息を吹き返すなんて」

 「人は強いんだよ。

  たとえ凍らされても、心の火までは奪えない」


 エルマーの言葉に、クラリッサはそっと目を細めた。

 その声が、かつて幼い弟が笑っていた日のままだから。


◇ ◇ ◇


 広場の中央に、新しい“誓いの碑”が建てられた。

 倒れた者たちの名を刻んだ石柱の上に、一本の若木が植えられている。

 それは氷を割って芽吹いた生命の象徴。


 クラリッサはその根元にひざまずき、祈りを捧げた。

 「この命を――もう二度と、誰にも奪わせはしない」


 その背中に、エルマーがそっと手を置いた。

 「姉さん。

  これからは、“守るための剣”をみんなで持てばいい。

  一人が倒れても、誰かが光を継げるように」


 クラリッサは小さく頷いた。

 「そうね……王とは、座に縛られる者じゃない。

  光を手渡し続ける者。

  あなたが教えてくれたのよ」


◇ ◇ ◇


 日が暮れる頃、祭りが始まった。

 笛の音、笑い声、焚き火のはぜる音。

 かつての戦場が、今は歌と光で満たされている。


 エルマーは焚き火の前で、竜の紋章を刻んだ短剣を磨いていた。

 「これから、国の北の境へ行く。

  氷原にまだ、ヴァルターの残した魔の影が残っているかもしれない」


 クラリッサは驚きもせず、静かに頷いた。

 「行きなさい。

  あの地を知るのは、あなたしかいないもの」

 「すぐ戻るよ。

  春の芽が咲くころまでには」


 クラリッサは微笑んで、弟の肩にマントを掛けた。

 「ならば、帰る日には花冠を用意しておくわ。

  “春告げの王子”のために」


 エルマーは一瞬だけ笑い、そして真剣な瞳で姉を見た。

 「姉さん……もしまた闇が来ても、もう怖くない。

  俺たちは、“凍らない心”を持ってるから」


 クラリッサはそっと彼を抱きしめた。

 「うん。

  あなたがいれば、この国はもう二度と眠らない」


◇ ◇ ◇


 夜空に星が瞬き始めたころ、王都の広場でひとつの歌が響いた。

 それは“氷を溶かした光の歌”――

 かつてクラリッサが、凍てつく夜に弟を眠らせるために歌った子守唄だった。


 今は、民がその旋律を口ずさみながら笑っている。

 王も民も、皆が同じ歌を知っていた。


 エルマーは馬にまたがり、振り返る。

 広場の灯の中に、姉の姿があった。

 その後ろには、希望に満ちた新しい王国が広がっている。


 「行ってきます、姉さん」

 「いってらっしゃい、私の誇り」


 夜風が吹き、花びらが舞った。

 その中を、氷の王子は駆けていく。

 遠く、北の雪原へ。

 ――春を告げる光を、その先の闇へ届けるために。


◇ ◇ ◇


 朝が来る。

 陽光が街を照らし、鐘が鳴り響く。

 人々はその音を、“再生の鐘”と呼んだ。


 新しい王国の幕が、静かに上がる。


 凍てついた冬は去り、春が訪れる。

 その春は、ただの季節ではない――

 希望という名の、永遠の誓い。

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