第10話 雪解けの約束

 夜が明けた。

 王都の上に、淡い朝の光が差し始める。

 凍てついていた街が、ほんの少しだけ温もりを取り戻していく。


 廃れた礼拝堂の一室。

 壁に貼られた聖句は半ば剥がれ、祭壇には埃が積もっていた。

 その中で、三人の影が微かに揺れていた。


「……ようやく、逃げ切れたな」

 ルークが息を吐く。手首には鎖の跡が赤く残り、指先はまだ震えていた。


 セリナは彼の手をそっと包み込み、微笑む。

「痛む?」

「大丈夫。お前が来てくれたから、平気だ」


 その言葉に、セリナの頬が熱くなる。

 でも、すぐに俯きながら首を振った。

「助けたのは、私じゃない。……私たち、だよ」


 ルークが目を向けると、クラリッサが祭壇に腰かけ、静かに空を見上げていた。

 外の窓から差す光が、雪の粒を照らしている。


「……あの塔で、弟の瞳を見たの」

「エルマーの?」とセリナ。


 クラリッサはゆっくりと頷いた。

「冷たい瞳だった。けれど、昔はあんな目じゃなかった。

 私が初めて“正義”という言葉を口にしたとき、彼は笑ってくれたのよ。

 “姉さんが正しいなら、僕もそうなる”って……」


 声がかすかに震える。

 セリナは黙って隣に座り、そっと肩に手を置いた。


「それでも、まだ間に合うかもしれない」

 ルークがそう言うと、クラリッサはかすかに微笑んだ。

「そうね……。でも、彼を止めるのは“私たち”じゃなきゃいけない」


◇ ◇ ◇


 外では、雪解けの水が屋根を伝って滴り落ちていた。

 新しい季節の気配。

 けれど、王国ではもう新しい命令が下っている。

 “セリナ・リース、クラリッサ・ルクレール、ルーク・アルバート――反逆罪により討伐対象とする”


 その知らせを、彼らはまだ知らない。


◇ ◇ ◇


 夕刻。

 礼拝堂の裏庭で、ルークは剣を磨いていた。

 セリナが花瓶を抱えてやってくる。

「ねえ、少し……話していい?」


 ルークは顔を上げた。

 彼女の表情は、どこか覚悟を帯びていた。


「私ね、ずっと怖かったの。

 あなたに関われば、いつかこうなる気がしてた。

 でも……今は違う。怖いのは、あなたを失うこと」


 風が吹く。彼女の髪が揺れ、ルークの肩に触れた。


「だから――」

 セリナは胸の前で手を組み、微笑んだ。

「次は一緒に戦わせて。

 もう“守られる”だけじゃいや。あなたの隣に立ちたい」


 ルークは、ゆっくりと剣を置いた。

 そして、セリナの手を取り、静かに頷いた。

「……なら、約束だ」


「約束?」


「俺がどんな闇に堕ちても、お前が隣で照らしてくれるって」

「……うん。

 そしてあなたが、私を信じ続けてくれるって」


 二人の指が絡み合う。

 その温もりは、雪をも溶かすようだった。


◇ ◇ ◇


 礼拝堂の鐘が鳴る。

 クラリッサはその音を聞きながら、ひとり書きかけの手紙を封じた。

 宛名は――“エルマー・ルクレール”。


「あなたが憎しみに飲まれる前に、必ず見つける。

 それが……姉としての、私の“誓い”よ」


 彼女は手紙を懐にしまい、立ち上がる。

 その目は、もう迷いのない騎士のそれだった。


 外では雪が静かに止み、遠くで朝日が昇り始める。

 新しい物語の幕が、静かに上がる。

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