第9話 白銀の脱出

 夜の王都アステリアは、まるで世界そのものが凍りついたようだった。

 吹き荒ぶ雪嵐の中、王立監察塔の鐘楼が、低く不吉な音を響かせている。


 その地下牢――鎖を外されたルークは、震える息を吐き出した。

「まさか、本当に来るとは……」

「当然でしょ。あなたを置いてなんて行けない」

 セリナの声は震えていたが、その瞳は炎のように強かった。


 クラリッサは鍵束を握りしめたまま、扉の外を警戒する。

「時間がないわ。監察局の見回りは十五分ごと……今のうちに出るわよ」


 三人は足音を殺して廊下へと駆け出した。

 石造りの回廊には冷たい風が吹き抜け、松明の火が揺らめく。


 階段を上るたび、鎧の擦れる音が響く。

「こっちよ!」クラリッサが壁の奥の隠し通路を押すと、重たい石壁がゆっくりと動いた。


「まさか……これ、生徒会の……?」

「そう。父が設計した王城地下の逃走経路。

 本来は貴族専用だけど、今日は“裏切り者”が使わせてもらうわ」


 通路に入ると、湿った空気と土の匂いが立ち込めた。

 狭い石道を進むたび、セリナの肩が何度もルークにぶつかる。


「……ごめん」

「いい。ぶつかるくらいなら、安心する」

 その一言に、セリナの頬がかすかに赤く染まった。


 だが、安堵は束の間だった。

 背後から、金属の響きと怒声が迫る。

「見つかったわ!」クラリッサが顔を上げる。


 通路の奥、出口まであとわずか。

 その先には白い光が差し込んでいる――外だ。


「走って!」

 三人は全力で駆け抜ける。雪の冷気が通路に吹き込み、髪をなびかせた。


 しかし、出口に辿り着いた瞬間――

「逃がすわけにはいかない」

 その声が、氷の刃のように響いた。


 立ちはだかる黒衣の青年。

 銀の徽章が胸元で光る。

「エルマー……!」クラリッサが息を呑む。


「姉さん。君まで堕ちたのか」

「堕ちたのはあなたの方よ」


 クラリッサが短剣を構えた。

 だが、エルマーは剣を抜かず、冷たい笑みを浮かべる。

「姉さんは優しすぎる。だから王国に利用され、父に縛られる。

 でももう心配はいらない。僕が――終わらせる」


 その瞬間、ルークが前に出た。

「お前の言葉は全部、逃げだ!」

 叫ぶや否や、ルークは鎖を引きちぎり、金属の輪を掴んだ。

「クラリッサを、セリナを、誰も傷つけさせない!」


 鎖がうなりを上げ、エルマーの剣を弾く。

 火花が散り、冷気が震える。

 剣と鎖がぶつかるたび、金属の響きが夜空にこだました。


「……ルーク、後ろ!」

 セリナの声と同時に、兵士たちが雪を踏み鳴らして突入する。


 クラリッサが腕を掲げ、魔紋を展開した。

「――“氷鎖(フロスト・チェイン)”!」


 青い魔法陣が広がり、床から氷の鎖が伸び、兵たちの足を絡め取る。

 ルークがその隙に、エルマーを弾き飛ばす。


 雪煙の中、クラリッサが叫ぶ。

「今よ、外へ!」


 三人は吹雪の夜へと飛び出した。

 背後で塔の鐘が鳴る。

 王都の夜が――崩れ落ちていく音がした。


◇ ◇ ◇


 凍てついた街を駆け抜け、路地裏に身を潜める。

 セリナの息は荒く、頬には凍った涙が光っていた。


「……助かったの?」

 ルークは頷く。

「今はな。でも……戦いはこれからだ」


 クラリッサが空を見上げる。

 灰色の雲の向こう、微かに朝の光が差していた。


「夜明けが来るわ。

 私たちの、“新しい王国”の夜明けが」


 その言葉を最後に、雪が止んだ。

 白銀の街に、ほんの少しの温もりが戻る。

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