第8話 凍る街の牢獄

 王都アステリア。

 雪が降りしきる灰色の空の下、石畳の道は凍りつき、人々は皆、影のように足早に通り過ぎていく。


 その中心部――王立監察塔の地下牢。

 寒気と鉄の匂いに満ちたその空間に、ルークは鎖につながれ座り込んでいた。


 灯りは一つ。揺れる松明が壁に長い影を落とす。

 手足は氷のように冷たい。だが、それよりも胸の奥の痛みの方が重かった。


「……セリナ……」

 呟いた名が、白い息となって消えていく。


 彼は王都へ向かう途中、監察局の兵に包囲された。

 “王国への反逆罪”――ありもしない罪状。

 その裏にあるのは、ルクレール侯爵の影。


 扉が軋む音がして、看守が灯を掲げた。

「貴様に面会だ」


 鎖を引かれ、ルークは顔を上げる。

 入ってきたのは、見慣れた黒髪の青年――エルマー・ルクレール。


「……やっぱり、あんたか」

「“侯爵の犬”と呼ばれるのは心外だな」

 エルマーは微笑んだ。だがその瞳には冷たい光が宿っている。


「どうしてクラリッサを巻き込んだ?」

「逆だよ。姉が勝手に動いた。彼女は“理想”という毒に侵されたんだ」


 ルークの鎖が軋む。

「理想を毒って言うのか?」

「現実を見ろ。王都は腐ってる。

 父がどんな手を使ってでも権力を維持しようとするのは当然だ。

 “正義”なんてものは、力のない者の慰めだよ」


 その言葉に、ルークはわずかに目を細めた。

「……それでも、あいつらは信じてる。

 正しいことを守るって」


 エルマーは無表情のまま、牢の格子を指でなぞる。

「そうだろうね。だからこそ、あの二人は必ずここへ来る。

 そして、俺が止める」


「お前……姉さんを捕まえる気か」

「捕まえる? 違う。救うんだよ。

 ――この腐った王国から、永遠にね」


 その言葉に、ルークの背筋が凍りつく。

「……まさか、父親と手を組んで、クラリッサを――」

「消す? そんな野蛮な真似はしないさ。

 ただ、“いなかったこと”にするだけだ」


 ルークの中で何かが切れた。

「貴様っ!」

 鎖を引きちぎる勢いで立ち上がり、鉄格子に手を伸ばす。

 だが鎖が食い込み、血が滲むだけだった。


 エルマーは冷笑した。

「無駄だよ。お前は今日の夜、処刑塔に移送される。

 “密偵と共謀した罪”としてね」


「……それでも、セリナは来る。あいつは絶対に諦めない」

「その“諦めない”性格こそ、命取りになる」


 エルマーは背を向け、扉へ向かう。

 その背中に、ルークはかすれた声で叫んだ。


「お前がどんな闇に落ちようと……クラリッサは、お前を見捨てない!」


 一瞬、エルマーの足が止まった。

 だが何も言わず、闇の向こうへと消えていった。


◇ ◇ ◇


 夜。

 雪はさらに激しさを増し、塔の上層にまで積もっていた。

 冷たい風が牢の隙間から吹き込み、ルークの髪を揺らす。


 彼は壁に背を預け、静かに目を閉じた。

 まぶたの裏には、あの夜の誓いが浮かぶ。

 セリナのまっすぐな瞳。

 クラリッサの震える声。

 そして、あの“鎖”のぬくもり。


「……俺は、生きて戻る」

 小さく、だが確かに誓った。


 その瞬間、遠くで金属の響きが鳴った。

 鍵の回る音。

 足音が近づき――扉が、静かに開く。


「……ルーク!」


 その声に、彼の目が見開かれた。

 鉄格子の向こう、灯火を掲げた少女――セリナが立っていた。

 その隣には、黒いマントをまとったクラリッサ。


「言ったでしょ」クラリッサが微笑む。

「あなたを、鎖ごと取り戻しに来たって」


 吹雪の音に紛れて、鐘が鳴り響く。

 凍てついた王都の夜に、再会の火が灯った。

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