第6話 裏切りの証

 その朝、学院はざわめいていた。

 校門前には王国監察官の馬車が停まり、金の紋章が輝いている。

 ――ついに、動いた。


 セリナは生徒会室で報告書を睨みつけていた。

 王国からの命令文。「学院資金流用の疑いにより、生徒会前任者を調査対象とする」。

 署名には「ルクレール侯爵」の名。


「……まさか、自分の娘を切り捨てる気?」

 その言葉に、沈黙が落ちた。

 クラリッサは机に座り、青ざめた顔で書状を見つめている。


「父が……動いたのね」

「あなたを守るためじゃないの?」

「いいえ。あの人は、“家”の名誉を守るためなら、娘を犠牲にする人よ」


 セリナは拳を握った。

「そんな理不尽、許せない。私が――」

「やめて!」クラリッサの声が震えた。

「あなたまで巻き込まれたら……私は本当に立ち直れない」


 その言葉に、セリナは息をのむ。

 いつも毅然としていたクラリッサが、今はただの一人の少女のように見えた。


「……クラリッサ。あなたを見捨てるなんて、絶対にしない」


 クラリッサはその瞳を見つめ、かすかに笑った。

「本当に、ずるい人ね……」


◇ ◇ ◇


 昼過ぎ、学院の中庭。

 生徒たちの噂が飛び交っていた。

 “前生徒会長が資金を横領した”――誰が言い出したのか、もう誰にも止められない。


「全部、父の手回しね」

 クラリッサはつぶやいた。

「世論を動かせば、罪をなすりつけやすい。これで私は“裏切り者”として処分される」


「黙ってない」セリナが言う。

「証拠はある。金貨袋、印章、そして取引記録。全部、正しい形で提出すれば――」

「セリナ。あなたの正義は、時に残酷よ」


 クラリッサの微笑みは悲しかった。

「父は、王国財務局の重鎮。私たちが証拠を出せば、彼は逆に“国家反逆罪”をでっちあげてくる」


「そんなこと……!」

「現実なの。権力の前では、真実なんて簡単にねじ曲げられる」


 セリナは沈黙する。

 怒りと無力感が胸に広がっていく。


 そのとき――影が差した。

「なるほどな。だから、俺に話を持ち込んだのか」


 現れたのは、ルーク。

 彼の手には、一枚の書簡。封蝋には“ルクレール侯爵家”の紋章。


「……それ、どこで?」セリナが問う。

「お前たちが調べてた倉庫だ。隠し扉の奥にあった」


 クラリッサが息をのむ。

 ルークは真剣な表情で二人を見つめた。


「この書簡、侯爵が商会と通じて裏金を動かした証拠になりうる。だが……」

「だが?」

「提出すれば、お前の家は没落する。侯爵は処刑、家名は抹消だ」


 クラリッサは、静かに目を閉じた。

「分かってる。……それでも、やらなきゃいけない」


「クラリッサ!」セリナの声が震える。

「そんなことをすれば、あなたまで――」

「構わない。罪は償うべきよ。どんなに痛くても」


 その決意の瞳に、セリナは何も言えなかった。

 ルークもまた、苦しげに眉を寄せる。


「……分かった。俺が王都に届ける」

「ルーク?」

「セリナ、お前が行けば危険すぎる。侯爵家の兵が動いてる。

 俺が囮になる」


 沈黙ののち、セリナは小さく頷いた。

「必ず戻ってきて」

「約束する」


◇ ◇ ◇


 夕暮れ。

 ルークの背中を見送りながら、クラリッサはつぶやいた。


「ねえ、セリナ。もし――彼が戻らなかったら、あなたはどうする?」

「そんなこと言わないで」

「でも、彼はあなたのために危険に飛び込んだ。……あなたを想って」


 セリナは目を伏せた。

「分かってる。でも私も、彼だけじゃなく、あなたも守りたい」

「それが、あなたの“正義”なのね」


 クラリッサは微笑んだ。

 その笑顔の奥に、悲しい覚悟が滲んでいた。


「――でも、もうひとつ秘密があるの」

「え?」

「エルマー。あの裏金を動かしていた会計……彼、侯爵家の密偵じゃないわ」


「……どういう意味?」


 クラリッサの唇が震える。

 そして、絞り出すように言った。


「彼は、私の……弟なの」


 その言葉が落ちた瞬間、風が止んだ。

 セリナの心臓が強く鳴る。

 すべてが繋がっていく――学院の不正、家の闇、そしてクラリッサの沈黙の理由。


「私は……裏切られていたの。家にも、血にも」


 クラリッサの涙が頬を伝う。

 夜の鐘が鳴り響き、学院は再び暗闇に沈んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る