第4話 学院を揺らす影

 夜明け前の王立学院。

 朝靄に包まれた校舎の屋根が、薄い金色に染まりはじめていた。

 その静寂を破るように、生徒会室の扉が勢いよく開かれる。


「会長、至急確認を!」

 飛び込んできたのは書記の少年、ハロルド。顔は青ざめ、手には一通の報告書を握っていた。


「……また書類のミス?」

「いえ、それどころじゃありません。王国からの助成金が“消えて”います!」


 セリナの瞳が鋭く光る。

「どういうこと?」

「生徒会の予算帳簿に、記録されていない支出があります。去年の冬、前会長期のものです」


 その言葉に、空気が一瞬止まった。

 前会長――つまり、クラリッサ・ヴァン=ルクレールの任期中。


 ゆっくりと立ち上がったクラリッサは、深く息を吐いた。

「……そんなはずはないわ。帳簿は私が最終確認した」

「では、誰かが改ざんした?」セリナが問う。

 クラリッサは目を伏せ、唇を噛んだ。


「恐らく、当時の会計……エルマーが関わっているかもしれない」

「生徒会を辞めた、あの貴族の息子?」

「ええ。彼は“裏取引”の噂があった。でも証拠は何も掴めなかったの」


 セリナは即座に決断した。

「調べましょう。学院の名を汚すわけにはいきません」


 クラリッサはわずかに驚いたように目を瞬かせ、そして小さく笑った。

「まったく……正義感の塊ね、あなたは」

「褒め言葉として受け取ります」

「皮肉なのに……」


◇ ◇ ◇


 その日の放課後。

 セリナとクラリッサは、資料庫で帳簿を照らし合わせていた。

 埃っぽい部屋の中、かすかな陽光が舞い、静寂だけが満ちる。


「あなた、本当にこういう地味な仕事も平気なのね」

「真実を探すのに、華やかさは要りません」

「……昔のあなたなら、こんなこと言えなかったでしょうね」


 クラリッサの言葉に、セリナは少し笑った。

「昔の私は、あなたに勝ちたいだけでした。でも今は違います」

「今は?」

「学院を守りたい。みんなが胸を張って通える場所にしたいの」


 クラリッサは、その横顔をしばらく見つめていた。

 心臓の鼓動が、いつもより速い。

 ――この子の隣にいると、自分まで変わってしまいそう。


 そんな時、扉が軋む音がした。

 二人が振り返ると、ルークが顔を覗かせた。


「やあ、二人とも。随分仲良くやってるみたいだな」

「仕事中です」セリナが即答する。

「冗談だよ。……にしても、その光景、なんかいいな」


 彼の軽い言葉に、なぜかクラリッサの胸がちくりとした。

「あなた、何の用?」

「警備中に気になる話を聞いた。例のエルマーが、学院外の貴族商会と接触してるらしい」


 セリナとクラリッサは顔を見合わせる。

 ――やはり、裏がある。


「ルーク、あなたも協力してくれる?」

「もちろん。君が困ってるなら、どこへでも行くさ」

「ありがとう」


 セリナが微笑む。その笑顔を見て、クラリッサは胸の奥で何かが疼いた。

 まるで、手の届かない光を見つめているように。


◇ ◇ ◇


 夜。

 学院の裏門で、三人は密かに動き出していた。

 ルークが周囲を警戒し、セリナとクラリッサは屋敷の倉庫に潜入する。

 月光に照らされた木箱の中には――封印された金貨袋と、王国の印章。


「やっぱり……不正があったのね」

 セリナが低く呟く。

 クラリッサは拳を握りしめた。


「私の任期中に、こんなことが……。恥ずかしい」

「違います。あなたは利用されたんです」

「でも、責任は私にある」


 クラリッサの声が震える。

 その肩に、セリナがそっと手を置いた。


「あなたが今、真実を選んでくれたこと――それが何より大事です」


 一瞬、時が止まったようだった。

 温もりが伝わる指先。

 クラリッサは息を飲み、そしてほんの少しだけ微笑んだ。


「……本当に、あなたってずるい人ね」

「え?」

「そうやって誰にでも優しい顔をする。……だから、惹かれる人が出てくるのよ」


 その言葉に、セリナは小さく首をかしげた。

 だがクラリッサはもう、それ以上何も言わなかった。


 月が雲間から顔を出し、三人の影を照らす。

 学院の闇を暴く戦いは、まだ始まったばかり――。

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