エピローグ・ゼロ:彼女が七輪を買った日

医者の顔には、何の感情も浮かんでいなかった。 それが、黒川美佳(くろかわ みか)を、余計に苛立たせた。



「……で?」 私は、スカートの膝を揃え直して、笑ってやった。 「要するに、死ぬの?」


「……予後は、極めて不良です」


「ふうん。どのくらい?」


「……平均余命は」


「いい。そういうのはいい」 私は、医者の言葉を遮った。 死ぬまでの時間なんて、どうでもいい。どうせ死ぬなら、1年後も10分後も、大して変わらない。 私が知りたいのは、たった一つ。


「……どうやって死ぬの? 痛い?」


医者は、そこで初めて、少しだけ、人間らしい「憐れみ」の目を私に向けた。 それが、決定的な答えだった。


「……末梢神経から中枢神経へと、次第に。……激痛を、伴います」


『ゲキツウ』。


そのカタカナ二文字が、私の頭の中で、不気味に反響した。 病院の帰り、私はスマホでその『ゲキツウ』の正体を検索した。 『焼けるような痛み』 『刃物で全身を切り刻まれるような』 『息をするだけで』 ……最悪。 死ぬのは、別に、もういい。 でも、『ゲキツウ』は、嫌だ。 痛いのは、絶対に、嫌だ。


私は、ファミレスに入った。 一人で。 (結と行った、あのファミレスじゃない。もっと駅裏の、古臭い店だ) ドリンクバーでメロンソーダを注ぎながら、私は「次の計画」を立て始めた。


『ゲキツウ』で死ぬのが、正規ルート(バッドエンド)なら。 その前に、こっちから「楽に」死んでやればいい。 これは、クソゲーからの「RTA(リアルタイムアタック)」だ。


スマホで検索する。 『痛くない 死に方 ランキング』 ……あった。 私は、その怪しげなサイトを、熟読した。


一位、『凍死』。…ロマンチックだけど、寒いのは嫌い。却下。 二位、『入水』。…苦しそう。却下。 三位、『飛び降り』。…論外。 四位、『首吊り』。…失敗したら一番悲惨。却下。 五位、『薬物』。…これだ。寝てる間に、終わる。本命。 六位、『練炭』。…これも、寝てる間に、だ。次点。


計画は、決まった。 でも、すぐに、一番大事な問題にぶち当たった。


「……一人じゃ、絶対、途中で面倒くさくなってやめそう」


私は、そういう人間だ。 夏休みの宿題も、どうでもいいテスト勉強も、三日坊主で放り出してきた。 こんな、人生を賭けた「自殺」なんていう、最高に面倒くさいイベントを、私ひとりで完遂できるわけがない。


共犯者が、必要だ。


親はダメだ。泣くだけ。 学校の友達は? ダメだ。ペラペラで、信用できない。


私を、私として、ただ受け入れてくれて。 私の、無茶苦茶な理屈を、「しょうがねえな」って言って、 最後は、必ず、ついてきてくれる、誰か。


「…………」


私の脳裏に、一人の、ダサい顔が浮かんだ。


……相沢 結(あいざわ ゆう)。


なんで、あいつ? なんで、今、あいつの顔が?


……ああ、そうか。


小学生の頃の、記憶。 ドッジボールの試合中、調子に乗って顔面にボールを食らって、鼻血を出して、大泣きしてた、あいつ。 周りは「だっせー!」って笑ってた。 私は、イライラして、叫んだ。


「立て!結!ダサい!」


私は、あいつを笑った六年生の腹に、ボールを叩き込んだ。 そして、まだ泣いてるあいつの腕を掴んで、保健室まで引きずっていった。 あいつは、抵抗もしなかった。 ただ、泣きながら、私の無茶苦茶な「救出劇」に、黙ってついてきた。


……そうだ。 あいつは、あの時から、ずっとそうだ。


私が「やれ」と言えば、文句を言いながら、やる。 私が「こっちだ」と言えば、ため息をつきながら、ついてくる。 私が「死ぬ」と言ったら、あいつは、どんな顔をするだろう。


きっと、 「はあ!? お前、バカじゃねえの?」 とか言いながら。 「……で、どうすんだよ」 とか言って、 絶対に、私を、一人にはしない。


「……決まり」


私は、ファミレスの伝票を掴んで、立ち上がった。 まずは、道具(ブツ)の調達だ。 どうせ死ぬなら、最後に美味い肉が食べたい。 最高の肉には、最高の炭がいる。 練炭(死ぬ用)のついでに、BBQ用の木炭と、それを焼くための……


「……七輪」


そうだ、七輪を買おう。 新品の、ピカピカのやつ。 どうせなら、あいつ(結)に持たせてやろう。 あいつの、困り果てた顔が、目に浮かぶ。 「なんで俺が!」とか、叫ぶんだろうな。


ああ、なんだ。 私、まだ、笑えるじゃん。


『ゲキツウ』なんて、クソくらえだ。 私は、私のやりたいように、あいつを巻き込んで、 最高に楽しく、面倒くさく、 そして、あっけなく、死んでやる。


私は、ホームセンターに向かって、走り出した。 駅前のバスロータリーで、あいつの、見慣れた猫背が見つかる、ほんの数十分前の、話だ。

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史上最高の恋愛入門 ~ガンジーでも助走つけて殴るレベルの彼女~ @sasak_isaki

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