ワンチャンあるかなって、転生先で推しにアタックしてるのがこちらの令嬢です

山口三

第1話 婚約破棄と潰れたサンドイッチ


 ここアカデミーの大講堂はすでに多くの生徒であふれかえっていた。皆、煌びやかに着飾り、自分たちのパートナーや友人たちと談笑している。いつもは殺風景な講堂もたくさんの花や装飾で飾り付けられ、華やかな舞踏会場へと様変わりしていた。


 今日はこのラスブルグ王国の国教である、コリウス教の降臨祭。コリウス神が地上に降りて人類を救済されたというこの神聖な日に、パートナーとして同行を許されるのは家族か正式な恋人のみ。


 そんな制約がある場で婚約者の私を差し置いて、聖女クレアを伴って現れたのはこの国の第二王子であるジェリコ・コーディー・サーペンテイン。降臨祭の規律を破り周囲の注目を集める中、ジェリコは私に言い放った。


「ジーナ・クリコット伯爵令嬢、私はこの場でお前との婚約を破棄する!」


 このセリフ……やっと来た、長かった! この世界に来てから約半年、この日をどんなに待ちわびた事か!


 ジェリコの宣言を聞いた生徒達はざわめき始めた。その声を聞きつけて更に人が集まって来る。


 そうそうそう、ゲームの内容通りだわ! もう嬉しくって、嬉しくって両手を突き上げ、大声で「バンザーイ」と叫びたい!


 そう、ここはゲームの世界。ユーザーが主人公・聖女としてアカデミーに入学して、様々なイケメン達と恋に落ちる恋愛シミュレーション『ホーリースターダスト』略して『ホリスタ』だ。


 日本人の私は生前、このゲームにどっぷりとはまっていた。ありふれた乙女ゲームだが、グラフィックの美麗さと攻略対象キャラのイケメン達がどれもカッコ良くて、気づいたら寝る間を惜しむほどに夢中になってしまっていた。


 隠しキャラ以外の全てのキャラクターを攻略し、グッズは鑑賞用、保存用と必ず2個ずつ購入は当たり前。登場人物たちのセリフもそらで復唱できる。


 そんな私の最後の記憶は、働いていた工場で巨大な機材が私めがけて倒れてくる所まで。きっと私はあれの下敷きになってしまったんだと思う。19年の短い人生だったけど、今こうして大好きなゲームの世界に来られたから全然悔いはない。何せ、「やばい、死ぬ!」と同時に思ったのは「隠しキャラを一人も見つけてない!」だったのだから。


 ところが私が憑依したのは攻略対象の一人、ジェリコの婚約者であるジーナ・クリコット伯爵令嬢。主人公の聖女がジェリコと結ばれるのを邪魔する悪役モブだ。当然ながらジーナが敗れて聖女がジェリコと結ばれるのがハッピーエンド。でも私自身の推しはジェリコではなく、別のキャラなの。だから早く婚約破棄をされて推しキャラにアタックできる日を心待ちにしていたのよ。


 リアルに生きた人間として目の前に現れた推し様は破壊力抜群で、私は推しキャラにうっかり惚れ込んでしまった。どうせ婚約破棄されるんだし、もしかしたらワンチャンあるかも、と思い続けていたのだ。



 さて場面を戻して、「ホリスタ」でナンバーワンの人気を誇るキャラのジェリコ。蜂蜜色の甘い瞳ながら、私を蔑む様に見下ろし、「理由は言うまでもない。自分の胸に手を当てて考えてみるがいい!」と冷たい声で言う。ジェリコのきつい言動に驚く生徒もいたが、大半の者は「ああ、やっぱりね」とか「そうよねぇ。当然の結果だわ」と私に白い目を向けた。


 ま、私も婚約が破棄されないと困るので、聖女様には冷たい態度を維持してきた。だからそういう反応は当然だ。


 でも当の私といえば、待ちに待ったジェリコのセリフに思わず口元が緩んでしまいそうになる。それを必死に堪えながらショックを受けてふらつく演技。ゲーム通りに「何故ですの? 私にはわかりませんわ」と記憶に確かなセリフを涙声でそらんじて見せる。


 ジェリコは銀髪を輝かせながら、聖女クレアに振り向いた。


「クレアはこの国の賓客であり、類稀なる力を持つ尊きお方だ。その彼女にお前は何をした!?」


 あれれれれ、ゲームのセリフと違うじゃない。


 普段はその甘いマスクと柔らかな物腰、高貴な振る舞いでアカデミーの誰からも好かれるジェリコ。その彼の怒りに歪む顔に周囲は驚きを隠せないが、私が気になったのはそこじゃない。


 私が憑依したジェリコの婚約者ジーナは、ジェリコルートにしか登場しない。そしてジェリコはジーナに婚約破棄を言い渡した後、こう言うはずなのだ。


『お前はクレアに嫉妬し、ひどい嫌がらせを行った。だがクレアはお前を許すと言っている。私はそんな美しい心のクレアに惹かれた。今日からは私がクレアを守る! お前から、いや、全ての災いから彼女を守ってみせる! クレア、私と婚約してほしい!』


 本来なら『そんな…』と言葉を失ったジーナが涙しながら退場するのだけれど、ジェリコは一向にクレアに求婚する素振りを見せない。


 ええと、どうしよう? まさかジェリコがゲームと違うセリフを言うなんて想像もしていなかったから、返す言葉がとっさに思い浮かばない。でもここで婚約破棄されないと、私の推し様アタック計画が始まらないわ。仕方ない、取りあえずここはゲーム通りに退場しておこう。


「私にはジェリコ様の幸せが第一です。ど、どうかクレア様とお幸せに!」


 恋敗れた悲しみの涙…ならぬやっと解放された嬉し泣きの涙を浮かべながら、私は大講堂を走り抜けた。


 去り際にクレアを横目で盗み見ると、彼女はいかにも聖女らしい同情に満ちた目で私を見ていた。清らかなプラチナブロンドと長いまつ毛の下に揺れる淡いエメラルドの瞳。クレアが聖なる力を発揮すると、その瞳は宝石眼の様に輝くという。


 クレアに憑依していたら、そのまま推し様にアタック出来ていたのにな。そんな思いが頭をよぎったが、私は大講堂を抜けてアカデミーの入り口正面ホールに出て来た。


 やったわ、やったわ! 私はこれから推し様の前で傷心のか弱き令嬢を演じるの! 例えば一人寂しく中庭の木陰で本を読む私に、推し様がそっと近づいてきて言うの……


~~~~~~~~~~~~~~


『ジーナさん、あなたの寂しい心を俺が埋めて差し上げましょう!』

『嬉しいわ、そう言って下さるのを待っておりましたの!』


 推し様はそっと私の手を取り、その手に優しいキスを落として……


~~~~~~~~~~~~~~


 なあんて、なあんて。あああ、妄想が止まらない!



 このまま外で馬車を拾い、自分の屋敷に帰ろうと思ったが、食堂の方から降臨祭用のごちそうの美味しそうな匂いが漂って来た。それに反応して私のお腹も空腹を訴える。そういえば朝はパン一切れと水で薄めたミルクだけだったわ。


 食堂では職員がせわしなくごちそうの準備に取り掛かっていた。今夜のために雇われたメイド達がぞくぞくとカナッペや飲み物を大講堂に運んでいる。貴族が通うアカデミーの食事を一手に担う巨大なキッチンに顔を出すと、大勢の調理スタッフの指揮を取っている大柄な婦人と目が合った。


「その鮮やかなオレンジの髪はジーナ嬢ですね。本当にあなたは食いしん坊さんなんですから! さ、こちらへいらっしゃい。特別に味見させて差し上げますよ」


「ふふ、見つかってしまったわ」


「そのジューシーな髪色を私が見逃すと思っていましたか? それにしても講堂に食事が運ばれるまでも待てないとは、私の想像以上ですね」


「少し…事情があるの。講堂には戻れないわ」


 下を向いて言葉を濁す私に、その婦人――料理長のサイドルさんは湯気が立ち上がるカップを差し出した。


「日も暮れて寒くなってきましたから、これで体を温めて下さい」


 カップの中身、熱々のポタージュに息を吹きかけながら一口啜ると、濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。


「おいしい!」


「そうでしょうとも。私の作るマッシュルームポタージュは天下一品ですから」


 そう言ってサイドルさんは白いエプロンの胸をポンポンと誇らしげに叩いた。


「作り方を教わりたいわ!」


 私は思わず身を乗り出したが、後方から若い調理スタッフが大きなボウルを抱えてやってきた。


「サイドルさん、味付けのチェックをお願いします」


「ごめんなさい、お邪魔しちゃったわね。では私はこれで…美味しいポタージュ、ご馳走様でした」


 カップを置いて去ろうとする私に彼女は四角い包みを寄越した。


「サンドイッチです。ローストビーフがたっぷり入ってますよ」


 ローストビーフのサンドイッチ! なんて素敵なの! これは明日の朝食に取って置こう。サイドルさんは私の女神様だわ! そう呟きながら大事に包みを胸に抱えて玄関ホールの階段を下りる。と、突然肩に衝撃を受けた。よろけた私の手からサンドイッチの包みが勢いよく飛び出した。


 包みは階段を転がり落ちる。ぶつかって来た人物は、事もあろうか包みを踏みつぶしながら私を追い越していく。


「ああっ、私の朝食が!」


 声を上げた私に、そいつは「ああ」とだけ呟いて急ぎ足で外へ出ていこうとしている。サイドルさんの好意をおじゃんにされた私はカッとなってそいつを追いかけた。


「ちょっと待ちなさい! 私の大事なサンドイッチをどうしてくれるのよ!」


 その男子生徒は少しだけ振り返り「今は急いでるんだ」と吐き捨てて、夕暮れの庭園の中へ消えていこうとしていた。


「ちゃんと謝罪するまで許さないわ! 待ちなさいってば!」


 私はそいつの手を掴んで詰め寄った。


「しつこいな! 急いでるって言ってるだろ。離せ!」


 男子生徒は私の手を掴んで振りほどこうとする。私は抵抗してもう片方の手を伸ばしたが、その手も掴まれてしまった。


 ん? 私の右手はこいつの左手を掴んでいるのに、私の両手はこいつの両手に掴まれている? 私は自分の右手を見下ろした。


「もふ?」

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