第13話 地域カフェの午後
秋の気配が、東京の風に混じりはじめていた。
商店街の一角にある地域交流カフェ「みんなの灯り」は、
木製のドアを開けるとコーヒーの香りと笑い声が迎えてくれる。
この日は、月に一度の「多文化カフェの日」。
地域包括支援センターが中心になって、
外国籍の高齢者や地域住民が自由に集まる小さなイベントだった。
俊介は地域ケア会議の流れで顔を出していた。
いつもは資料の整理と調整ばかりの彼にとって、
現場の空気に直接触れるのは久しぶりだった。
テーブルの向こうで、鮮やかなサリー姿が目に留まった。
アーシャだ。
カウンターの奥で、年配の女性とゆっくり話している。
女性の発音には少しぎこちなさがあった。
「……ニホンゴ、ムズカシイネ。でも、カレー、オイシイ」
「そうですか? スパイス、すこし多かったですか?」
「イイ、イイ。アーシャさんの、まごころ、スパイス」
周りの人たちが笑った。
アーシャも照れたように笑う。
その笑顔は、誰もが安心できる灯りのようだった。
しばらくして、俊介はカウンターに近づいた。
「こんにちは。ここでも人気者ですね」
アーシャは気づいて笑った。
「佐久間さん! 来てくれたんですか?」
「はい。誘われたので」
ふたりが話していると、先ほどの高齢女性が近寄ってきた。
「アーシャさん、あした、また来る?」
「ええ。田口さんのところに行く前に、ちょっと寄ります」
女性はうれしそうに手を握った。
俊介は小声で尋ねた。
「アーシャさん、知り合いですか?」
「はい。インドネシアの方。ひとり暮らしで、日本語が苦手です。
このカフェが、唯一の“話せる場所”なんです」
俊介はうなずいた。
「こういう場があると、支援じゃなく“関係”になりますね」
「そう。ここでは、みんなが“だれかの助けになる”。
それが、いちばんうれしい」
午後の日差しがカウンターのグラスに反射していた。
アーシャがふと空を見上げ、つぶやいた。
「わたし、はじめて“地域”という言葉を理解した気がします。
施設の外にも、人を支える場所があるんですね」
俊介は笑った。
「そうですね。
僕も、ここに来るまで、“支援”と“暮らし”を分けて考えてました。
でも、本当は、同じテーブルに座ることから始まるんですね」
アーシャは頷いた。
「はい。コーヒーの香りと、誰かの笑い声があれば、
それで十分」
外では、夕暮れの光が街路樹の葉を黄金色に染めていた。
ふたりのカップから立ちのぼる湯気が、
静かにその光と混ざり合う。
帰り際、カウンターの上に一枚の紙が置かれていた。
「次回テーマ:“わたしの国の灯り”」と書かれている。
アーシャは俊介に振り返って微笑んだ。
「佐久間さんも来てください。
日本の灯り、教えてくださいね」
俊介は一瞬考え、
「じゃあ、僕のふるさとの提灯、持ってきます」と答えた。
「いいですね。インドのランプと、並べましょう」
その言葉に、俊介の胸に温かいものが灯った。
――この灯りは、国も言葉も越えて、
きっと、誰かの心を照らすだろう。
次回 第14話「風鈴とカレー」
――施設で開かれる多文化イベント。
風鈴の音、カレーの香り、笑顔の輪。
東京という街が“ひとつの家族”になる瞬間を描く。
次の更新予定
隣の部屋のアーシャ 青葉 柊 @yoshi1235
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