映画が語ること

よくハリウッド映画なんかは、つまらない毎日の繰り返しよりも、ロマンのある生活に繰り出せというメッセージを暗にぶつけてくる。


たとえば『フォールガイ』というライアンゴズリング主演、ヒロインがエミリー・ブラントの、伝説のスタントマンを主人公とした映画では、主人公がスタントの仕事での怪我を機に第一線を退いて、労働を再開してからは駐車場のガードマンとして働いていました。


その後主人公は、あるプロデューサーから声がかかり、スタントの仕事に戻ります。


この心情の移り変わりの過程では、主人公はまず、キラキラしたスタントの仕事から離れて、変わらぬ毎日の繰り返しに内心ウンザリしていながらも、自らにこれでいいんだと言い聞かせていたところ、ある男に馬鹿にされて触発されます。


『お前、あの有名なスタントマンじゃね?こんなところで道草食って何してんだよ!貧乏者の車のケツでも見て興奮できるのか?』みたいな。


あるいは、たとえば『エクスペンダブルス ニューブラッド』というシルベスター・スタローン主演の映画。リー・クリスマスを演じるジェイソンステイサムは、傭兵としての仕事で失敗し、傭兵集団としての雇用を解かれます。


そんな彼は、仕事を探し、恵まれた体格と鍛え抜かれた格闘技術を活かすべく、(クソいまいましいインフルエンサーという名の)VIPの身辺警護という職業を選択します。


しかし彼は、ハラワタが煮えくり返るようなムナクソ悪い男の警護をするよりも、男を殴り解雇されることを選びました。なぜなら、こんなことやるよりも、消耗品(エクスペンダブルス)をしている方が、性に合っているからです。(というより、そちらが気がかりだった。)


というように、ハリウッド映画は、ロマンに生きることをメッセージとしてよく送ってくる。


こんなパワフルな映画を見ると、一生懸命働くのがバカバカしくなるので、あまり見ない方がいいんだけど、爽快な映画なのでつい見てしまう。


なぜ馬鹿馬鹿しくなるかっていうと、映画の内容というより、この俳優たちは、この映画一本で、そしてこの僕がこうして見ている行為が世界中で繰り返されることによって、数億も稼いでいるんだなって思うと、空しくすらなる。


画面の奥の人たちが、今僕が気持ちよくなっている間に、ぼろ儲けしているのが、痒い。そんな感じだ。


でも、ハリウッド映画のみならず、様々な映画は、このようなメッセージを繰り返し送ってくる。


もうやめてくれってくらい。


だから、きっと、ロマンに生きるほうが良いんだろうなって、サブリミナル的に思い込んでくる。


溜まったもんじゃない。


余計なことをしてくれたな。もう。

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