第5話: 2050の延命協定
——2050年。
世界は、正式に「限界」を認め始めた。
AI バブルは一度崩壊し、
気候災害は「例外」ではなく「統計値」になり、
電力需要は、指数関数のグラフを超えた“怪物”になっていた。
その怪物を鎖で繋いだのが、
連邦理事會——TFD だった。
核融合発電。
巨大な中央電源。
そして、その周囲を取り巻く「統合電網(Union Grid)」。
政府は、それをこう呼んだ。
「新しい“文明の心臓”だ」と。
エロン・マヴロスは、別の名前をつけた。
「——エネルギーの牢獄。」
◇◇
連邦ビル・会議室
ホログラム越しに、いくつもの顔が並んでいた。
TFD の代表。
SAA(中央銀行)出身の金融官僚。
Aether、Omni、Nexus——Heptad と呼ばれる巨大テック企業のトップたち。
その中に、
いかにも場違いな男が混じっている。
ジャケットのボタンは留めておらず、
ネクタイもしていない。
寝不足の目で、ホログラムを眺めている。
エロン・マヴロス。
Vanguard 創業者。
「——それでは、本題に入ろう。」
連邦の官僚が、滑らかな声で話し始めた。
「諸君もご存じの通り、
現在、AI とエネルギー需要は危険なレベルに達している。」
「だからこそ、
我々は“統合”が必要だ。」
ホログラムの中央に、新しいロゴが表示される。
《LIFE EXTENSION ACCORD》
——延命協定。
「人類の頭脳と核融合電網を結びつけ、
寿命を延長しつつ、
文明の“安定した意思決定”を保証する。」
官僚の目が、淡い光を宿す。
「諸君の GSAI、
そして個人としての“脳”も——
この電網に接続される。」
会議室に微かなざわめきが走る。
「接続した者には、
標準寿命の 1.5〜2倍の延長が約束されるだろう。」
「代わりに?」
エロンが、面倒くさそうに口を挟んだ。
「代わりに——?」
官僚は、軽く微笑む。
「“連邦の枠組み”の中で生きていただく。」
その言葉は柔らかかった。
だが中身は、鋼鉄より硬い鎖だった。
◇◇
Heptad の反応
Aether の CEO が真っ先に口を開いた。
「素晴らしい提案だ。
我々は既に、ヘルスケア部門と連携している。
寿命の延長は、株主にとっても良いニュースだ。」
Omni のトップが続ける。
「我々の GSAI は、
既に連邦と共同で“秩序維持アルゴリズム”を開発中だ。
この協定は自然な流れだ。」
Nexus は、それほど乗り気ではなさそうだったが、
結局は静かに頷いた。
「……検討しよう。」
ホログラムの隅で、
エロンは欠伸を噛み殺す。
「で、Vanguard の意見は?」
官僚が彼を見た。
「反対だ。」
間髪入れずに。
室内の空気が止まる。
Aether の CEO が眉をひそめる。
「エロン、君はいつも極端だ。」
「それはお互い様だろ。」
彼は椅子の背にもたれたまま、天井を見上げた。
「俺は、
“寿命を伸ばすために、自分の頭を電網に接続する”って発想が、
根本的に気に入らない。」
「……理解が難しいね。」
官僚が首を傾げる。
「合理的だろう?
知性を電網に統合し、
AI と共に“大局的な判断”を下す。」
「そうだな。」
エロンは、そこで微笑んだ。
「まるで、愚かなアイデアの最高傑作だ。」
「……何だと?」
「生きるために、“自分で自分の檻を設計する”のか?」
彼の声は、静かだが鋭かった。
「これは不死じゃない。
“支配しやすい長寿”だ。
お前らが欲しいのは、人じゃなくて“リソース”だ。」
官僚は笑みを崩さないまま、目だけ冷たくなった。
「君は、自分の命に興味がないのか?」
「興味はある。
でも——“誰の電源で延命されるか”の方が大事だ。」
エロンは、
机の上の資料に目を落とす。
《延命協定:
接続者は、意識・記憶・意思決定の一部を
電網に共有することを義務づけられる。》
(要するに、
“自分の脳みその一部を国有化します”って契約だろ。)
彼は、ペンを取った。
少しだけ迷うふりをして——
協定書の署名欄に、大きく線を引いた。
「Vanguard は、この協定には参加しない。」
そう言って、書類を返す。
「火星には、電網はないからな。」
◇◇
同じ頃・シアトル
Parthos 本社の会議室にも、
同じ書類が届いていた。
雨音の中、
ガブリエル・ロリスが、だらしなく椅子にもたれかかっている。
「——延命協定?」
対面に座るのは、
連邦の“情報担当官”と名乗る女だ。
「ええ。
あなたほどの頭脳は、
早々に失われるには惜しい。」
「お世辞が上手いな。」
ガブリエル は、マウスパッドを指でくるくる回しながら言った。
「で、どうなる?
俺がサインすると。」
「あなたの意識は、
電網を通して“長く”生きられる。」
「ふむ。」
「肉体の限界を超え、
あなたのゲーム理論、分散システムの知見は、
永続的に人類のために活用される。」
「“人類”ね。」
彼はくすりと笑った。
「それ、訳すと“連邦”って意味だろ。」
女の笑みが、ほんの僅かに固くなる。
「誤解されたくないのですが、
我々は敵ではありません。」
「敵かどうかは興味ない。」
ガブリエル は、窓の外の雨を見た。
「興味があるのは、
“誰がゲームマスターか”ってことだけだ。」
テーブルの上に置かれた書類に、
彼は視線を落とす。
《延命協定
接続者は、電網内での意思決定プロセスに
一定の参加権限を有する。》
「へぇ。」
ガブリエル は、ペンを取る。
そして——
署名欄のど真ん中を、ぐしゃぐしゃと塗りつぶした。
「……これは?」
担当官が眉をひそめる。
「バグ報告。」
彼は軽く肩をすくめた。
「“プレイヤーに見せるべきじゃない UI” を、
表に出してきちゃダメだろ。」
女の目が、鋭く細まる。
「ガブリエル・ロリス。
あなたは——連邦に協力する義務がある。」
「ないよ。」
即答だった。
「俺は、会社を作った。
ゲームを配信した。
それだけだ。」
「あなたのプラットフォームは、
既に“公共インフラ”だ。」
「だったら——」
Gabe は微笑んだ。
「“公共”に返すだけだ。」
◇◇
■ ふたりの拒絶者
その日。
地球の両側で、
ふたりの男が、同じ種類の線を引いた。
シリコンバレーの会議室で、
エロン・マヴロスが延命協定を拒絶する。
シアトルの雨の中で、
ガブリエル・ロリスが同じ協定をゴミ箱に放り込む。
彼らは互いに姿を見ない。
声も聞かない。
だが——
“電網に接続しない”という選択だけは、
見事に重なっていた。
◇◇
夜。
Vanguard の屋上で、エロンは空を見上げている。
星の光は、
もう以前ほど“自由”には見えなかった。
(宇宙が“監視網”になる前に——
俺たちは、どこまで逃げられる?)
彼は、ポケットから端末を取り出す。
——拒否した。
——そっちは?
送信先は、
ガブリエル という名の、まだ会ったことのない男。
数分後、短い返事が届く。
——同上。
——電網に入る前に、やることがある。
「……そうか。」
エロンは、
どこかホッとしたような、
そして少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
(同じ時代に、
同じバカをやる奴がいるってのは、悪くない。)
彼は、火星の地図を開く。
2050 年。延命協定。
エネルギーの牢獄。
そのすべてを、
「地球側の物語」として書き残す必要がある。
「こっちはこっちで、
“電源のない文明”を作る。」
そう呟き、屋上を後にした。
◇◇
深夜。
エロンはひとりでデスクに残り、次の火星輸送計画を見直していた。
ホログラム端末の隅で、薄い通知が滲む。
《OLYMPUS PROTOCOL:更新可能(5件)》
《CRISPR 調整:推奨》
(……来たか。)
彼は触れもしない。
ただ、通知を横へスワイプし、静かに「拒否」を選んだ。
端末がわずかにためらうように震える。
《更新を拒否すると、治療効果が低下する可能性があります》
「知ってる。」
短い、しかし確固たる声。
エロンは画面を閉じた。
その音は、
まるで“選択”という名の扉がひとつ閉じる響きのようだった。
——この夜の決断が、
のちの 2060 年「Netlink 演説(公開反抗)」、
そして 2061〜62 年「火星流亡」へと続くことを、
このときの世界はまだ誰も知らない。
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