恋愛インパルス④


 診療時間終了間際にやってきたその患者さんは2時間程かかる点滴を打つことになった。

 先生は指示だけだすと「何かあったら呼んで」とさっさと一人お昼休みに入ってしまう。残されたわたしと看護婦さんは顔を見合わせる。互いに何も言わないが、何を考えているかは分かる。

 お昼休みは2時間。なので、1時間交代で患者さんの様子を看ていようということだ。


「わたし、まだ事務仕事が残ってますのでどうぞ先にお昼休みに入って下さい」


 そう言うと看護婦さんは感謝の言葉を述べて一旦自宅へと戻って行った。



 そんなことがあってわたしはぐるぐると鳴るお腹を押えながら簡単な事務仕事をこなしていた。ふと時計を見ると点滴を始めて15分位が経過している。

 ……面倒だが、一度様子を見に行こうと受付を出て処置室に向かう。



 パーテンションで区切られたその向こうにはベッドが2つ並んでいるが、1つはすっかりと先生の荷物置き場になってしまっている。

 わたしは物音を立てない様細心の注意を払いながら患者さんが横たわるベッドの側まで近寄ると、スタンドから垂れ下がる点滴とそのチューブを確認した。

 ポタポタと液はどとまることなく一定のリズムで落ちており、チューブの中をちゃんと流れている。視線を上から下へとゆっくりと移動させ、液体の動きを観察していて──ギクリとした。

 寝入っているだろうと思っていた患者さんが薄目を開けてぼぅっと天井を仰いでいたのだ。

 わたしの存在に気がついているかどうかは怪しいが、無言で立ち去るのもおかしい気がした。なので、


朧月おぼろづきさん、具合はいかがですか? しんどかったり、気持ち悪かったりはしませんか?」


 にっこりと営業スマイル100%で月並みの台詞を並べ立てる。雲堺ちゃんはわたしを無表情だというが笑顔位こうしてちゃんと作れるのだ。

 ちなみに“朧月”という名字は先程の金髪の人から聞いた。保険証の提示がないことを指摘すると、金髪の彼は点滴が終わる頃にまた迎えに来るのでその時に見せると言って患者の氏名だけを告げて帰って行ってしまった。

 教えられた名前をパソコンで検索にかけるとカルテが見つかった。10年前位に一度来院歴があった患者さんで、フルネームを“朧月春々おぼろづきときはる”といい響きと字面だけなら何とも古めかしいというか日本らしい名前である。

 しかし、“春々”で“ときはる”とは絶対に読めない。というか、何だか芸名とかペンネームみたいな名前だ。



 わたしの掛け声に反応した朧月サンは気だるげにこちらに顔を傾ける。暫し目が合ったが、彼は直ぐに顔を戻すと目を瞑ってしまった。話すのも億劫ということだろう。


「また何かありましたら声を掛けて下さいね」


 聞こえてないかもしれないが、とりあえずそう言い残していそいそとベッドから離れた。

 それにしても、“春々”とは本当に名が体を表していると思う。朧月サンの頭髪は羽毛の様にふわふわとした髪質の桜色。目に優しい薄ピンクは、弱って力をなくしている彼を一層儚げにみせている。

 ……儚げ、というか元々の顔立ちが男にしては儚く穏和だ。

 人の美醜がいまいちよく分からないわたしでも朧月サンは所謂イケメンに分類されるであろう人物だと分かった。

 ──いやでも、イケメンは“カッコいい”という意味合いが強い気がするので、朧月サンのことは美人と表した方が適切なのかもしれない。

 体調不良のせいもあろうが色の白さは玲瓏といっても差し支えない。秀でた眉、切れ長の目、つよく通った鼻筋、ふんわり結ばれた形のいい唇、顔のパーツはどれも整っており絶妙な具合で小さな顔におさまっている。

 知性と品性、そしてどこか色気を感じさせる魔性の美貌を彼は醸し出していた。

 ……まぁそれもどーでもいい話だが。

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