君の「いいね」を待つ放課後
睦月椋
第1話:二つの世界のバランス
教室の窓から差し込む秋の光は、相沢雫のノートの上で鈍く輝いていた。放課後。クラスの何人かは、来週に迫った文化祭の準備で賑やかに作業をしている。
雫の席の前の床には、大きな画用紙と蛍光ペンが散乱し、隣の席の佐倉葵が「ねえ、雫。ちょっとこの文字、もうちょい太く書いてくれる?」と振り返った。「うん、いいよ」雫は返事をするものの、指先は制服のスカートのポケットの中でスマホを握りしめていた。
今日のこの時間帯は、推しであるアイドルグループLUMINAのメンバー、ユウが時々インスタグラムのストーリーを更新する「ゴールデンタイム」なのだ。葵は文化祭の実行委員で、雫は半ば押し切られる形で手伝いに駆り出されていた。
葵は明るく社交的で、クラスの中心にいるようなタイプだ。
「このキャッチフレーズ、最高じゃない?『夢と努力で掴む、アオハル☆マジック』って。雫が考えたんだよ?」
葵が屈託なく笑う。
「アオハル☆マジック」
いかにも青春!という響きだが、雫にとってそれは、LUMINAのライブで使われる言葉のように、どこか現実離れした、作り物の「光」に感じられた。雫にとっての真実の光は、手のひらに握られたスマホの中にある。
「…あ、来た」
わずかな振動。待ち焦がれていた通知に、雫の心臓が跳ねた。文化祭のポスター作りを装い、画用紙で手元を隠して画面を開く。
ユウのストーリーだ。今日のユウは、レコーディングスタジオらしき場所で、マイクに向かって微笑んでいる。
キャプションには「頑張るみんなへ!今日の僕の応援ソング、届いてるかな?😊」という、いつもの通り完璧なファンサービスが添えられていた。雫はすぐにスクショを撮り、愛用の推し活用アカウントに切り替えた。
アカウント名は【@lumina_shizuku】。アイコンはユウの公式写真にキラキラのエフェクトをかけたものだ。現実の相沢雫とは全く違う、ユウを心から愛する熱狂的なファンとしての「完璧な自分」がそこにいる。
「ユウくんの歌声が、いつも私の光です!文化祭準備も頑張れます✨」
素早くメッセージを打ち込み、送信。そして、他のファンのコメントをチェックする。
「今日も顔が良い」
「天使!」
「無理しないでね」――。
溢れる愛の言葉に混ざって、雫のメッセージが流れていく。ユウがこの数千のコメントの中から、自分の言葉を見つけ出し、「いいね」をつけてくれるかどうか。それが雫の、今日の放課後の最大の賭けだった。
「雫ー? ちょっと、そこ赤じゃなくて、青だよね?」
葵の声でハッとする。手に持っていた蛍光ペンは、赤だった。
「ごめん、間違えた。すぐ直す」
「あれ、顔赤くない?疲れてるの?最近寝不足なんじゃない?」
葵の心配そうな声に、雫は慌てて笑顔を作った。
「大丈夫! 単なる寝不足。推し活が忙しくて」
そう言って笑ったが、その時、スマホが再び振動した。ユウからの通知ではない。推し活アカウントで、熱心に絡んでいたフォロワーの一人からのDMだった。
――――ねえ、知ってる? ユウくん、最近なんか元気なくない? 私、ちょっと心配で…。――――
雫は、ユウの完璧な笑顔の裏にある影に気づいているのは、自分だけではないことを知った。
(ユウくん……。どうしたんだろう)
その瞬間、雫は、ユウのSNSの「光」の裏側にある、本当の闇に、どうしても触れたいという抑えきれない衝動に駆られた。
「よし、じゃあ次はポスターの文字の縁取り、お願いね!」
葵に言われ、雫はスマホをポケットにしまう。しかし、もう彼女の意識は、教室の雑然とした文化祭準備にはなかった。
(ユウくんの、あの顔。あの時のユウくんは、私たちが知ってるユウくんじゃなかった)
雫の心は、アイドルとファンという境界線を越え、ユウのプライベートな部分へと、一歩踏み出し始めていた。
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