ひび割れた絆の再構成

比絽斗

第1話空っぽの休日

夫・健太の「諦め」と孤独

週末の朝8時。リビングには、家族の暖かさの代わりに、冷たい沈黙が漂っていた。


健太は、リビングのソファでスマートフォンを握りしめている。指はニュースフィードを漫然とスクロールしているが、頭の中は昨晩の出来事でいっぱいだった。


健太は昨夜、勇気を出して智子の背中にそっと触れた。期待していたのは、わずかな反応、せめて拒絶の言葉だった。しかし智子の身体は、まるで美術館の石膏像のように、一瞬で硬直した。そして、何も言わずに彼は反対側へ寝返りを打った。その動きは、「触れるな」という、声に出さない最も明確な拒絶だった。


「やっぱり、もうダメだ」


彼はそう確信した。

もう、家族という形骸だけが残っている。自分は、妻にとって「ATM」であり、娘にとっては「たまに家にいる人」でしかない。


娘の葵はすでに起床し、着替えを済ませている。祖父母(智子の両親)が毎週のように朝早く迎えに来て、葵を連れ出していくのが常だった。葵は健太に目を向けることなく、玄関で智子に甘えた声を出している。


「パパ、今日はお出かけしないの?」

「……ああ、パパは今日、ちょっとやることがあるからな。楽しんでこいよ。」

健太はそう言って、画面から目を離さなかった。それが、傷つくことを恐れた彼の、最大の自己防衛だった。


妻・智子の葛藤と防御

葵と両親を見送った後、リビングには健太と智子の二人きりになる。その空気は、薄い氷のように張り詰めていた。


智子は健太を避け、キッチンで黙々と朝食の食器を洗っている。昨夜の件で、彼女の胸は罪悪感で押しつぶされそうになっていた。


(智子の内心)


拒絶したのは私だ。でも、触れられたくなかった。あの人に抱きしめられる資格なんて、もう私にはない。彼の匂いと、「彼」の匂いが混ざるのが怖かった。


「今週は、私からアプローチしてみようか」


一瞬、そう考える。しかし、健太の疲れた顔を見るたびに、その衝動は萎む。

彼は、もう私の「女」の部分になんて興味がない。彼にとって私は、この家というシステムの一部でしかないのだ。


「私が過ちを犯したのは、このシステムが先に私を女として殺したからだ」


智子は食器を荒々しくシンクに置いた。この自己正当化こそが、彼女を間男の元へと向かわせる、最も危険な言い訳だった。


智子は、パートに出かける準備をしながら、健太に告げる。


「今日、夕食いらないから。遅くなるわ。」 「……そうか。」 健太は顔を上げず、短く答える。智子のバッグから、先日買ったばかりの鮮やかな赤のリップが一瞬覗く。健太はそれを目にしたが、何も言わなかった。言う資格がない、と諦めていたからだ。


智子が家を出た後、健太はソファに深く沈み込む。彼の心は、完全に冷えきっていた。


旅立ちと新たな承認欲求

空振りのアプローチ

智子が家を出て数時間後

健太は「映画でもどうだ?」とLINEを送ってみる。過去に智子が好きだった俳優の話題を添えて。


【健太のLINE】


『〇〇の新作、評価高いぞ。今度二人で見に行かないか?』


数分後、智子からの返信。


【智子のLINE】


『ごめん、今週は葵の習い事の準備でバタバタしてるから。それに、来月、葵の教育費でまとまったお金がいるでしょ。また今度ね。』


智子のメッセージに、健太は深い絶望を覚えた。「また今度」

それは、永遠に来ない未来を指す、最も丁寧な拒絶だった。そして、彼は自分の提案を「お金」で断られた、と解釈した。「結局、俺の稼ぎが足りないんだ」という、別の苦しみが心を覆う。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る