オンライン恋愛ゲームの世界に転生したけれど、恋愛初心者には無理ゲーな世界でした
由友ひろ
第1話 まさか私が……(1)
薄暗い裏通り、道路には空の酒瓶が転がり、何の匂いがわからない悪臭が漂っている。平民でも貧困層が暮らすここは、治安もよくないから、常識のある婦女子ならば絶対に近寄らない場所だ。そんな場所に可憐な少女が一人、壁を背に立っていた。長いフワフワの金髪は緩く編み込まれて胸元に垂れ、大きな菫色の瞳は見開かれて目の前に立つ男達を見つめていた。小動物を連想させるような愛らしい少女は、ワンピースの上に羽織ったエプロンを握り締め、震えることなく男達に向かって口を開く。
「何度も言ったけど、あなたとの婚約は白紙になったの」
「俺様はそんなの認めない」
少女よりも三十センチは高いだろう身長で、体重にいたっては少女の倍くらいありそうなこの男は、ヤコブ商会の次期後継ぎで、少女の幼馴染み兼前婚約者チャーリーだった。自分にはなんの学も才能もなく、魔力も乏しいというのに、王都に暮らす平民は自分に平伏すのが当たり前、貴族でさえも商会の力の前(チャーリーは仕事に携わっていない)では頭を下げると豪語している勘違い男だ。
この勘違い男との婚約破棄が認められたのは三日前、婚約破棄してから初めて顔を合わせたのだが、まさか普通の話し合いではなく、いきなり裏通りに引きずり込まれるとか、不穏以外のなんでもなかった。
★★★
彼が少女と初めて会ったのは、お互いに七歳を迎えた初夏、休日に両親と神殿へ参拝に行った時だった。参拝の列に並ぶのに飽きたチャーリーは、列から離れてブラブラしといた。そんな時に、同じく参拝の列から離れて花を摘んでいた少女を見かけた。少女の摘んでいた花を取り上げ、「そんなことをするより自分と遊べ」と、伏し目がちでおとなしめな少女を軽く小突くと、大きな瞳に溢れんばかりの涙を浮かべ、小さく肩を震わせて怯えた。その姿に、チャーリーはゾクゾクするほどの愛しさを感じたのだ。チャーリーの性癖が開花した瞬間だった。
自分だけの物にしたい、泣き顔を見たい。そんな欲求を両親に訴え大暴れした結果、一人息子に甘い彼の両親は、札束で少女の両親に話をつけた。
少女の母親は大喜びで婚約を承諾し、父親は涙を堪える少女を横目で見つつ、気の強い妻に逆らう言葉を持たなかった。
「あんたは小魔法すら満足に使いこなせないし、洗礼の儀式を迎えても、どうせ進化なんかしないんだろうから、今から立派な嫁ぎ先が決まって良かったじゃないか」
母親の蔑む声に、少女は身をすくめた。
この世界には魔法が存在し、生活するのに使える小魔法を、誰もが生まれた時から持っており、それを幼少期には使いこなせるようになる。しかし、少女は水滴ほどの水しか出せないし、風は紙をも揺らせないくらい、火にいたっては煙が出るだけというお粗末な魔法しか使えなかった。
自分で生活もできない少女は家族のお荷物でしかなく、母親はそんな少女に早くから見切りをつけ、魔法操作の上手な次女を溺愛した。少女を粗雑に扱う母を見て育った次女フィリアもまた、同じように少女を見下すようになったのは、当たり前なのかもしれない。
「そうよ、お姉ちゃんみたいな根暗な子には、立派過ぎるお家だと思うわ。私はあんなに乱暴で、しかもジャガイモみたいな見た目のお婿さんはごめんだけど」
フィリアは馬鹿にしたように鼻を鳴らし、不満を飲み込み涙を堪える少女を見て楽しそうに笑った。
「ジャガイモでも、生活に不自由しないだけの財力があるんだから、良い嫁ぎ先だよ。そんな相手に見初められたのは、顔だけは私に似て整っているからだろうね。身体は貧弱だけど。まぁ、感謝して欲しいもんだわ」
「そうだ、お母さん。私、欲しいワンピースがあるんだけど」
「そうねぇ、私も新作の化粧品が欲しいんだよ。この金で買いに行こうか」
少女の母親は思いがけず手に入った札束から、数枚抜き取って財布に入れた。
「私、新しい靴も欲しいの」
少女に似ているが、少女よりもやや派手な顔立ちをし、母親によく似たフィリアは、母親のワンピースのスカートを握って甘えた声を出す。フィリアは、姉とは違い活発で自己主張が激しく、欲しい物は手にしないといられない強欲さが顔立ちに表れていた。
二人はあれも欲しいこれも欲しいと買い物リストを作り、楽しそうに話していたが、その手持ちの現金は少女の婚約により与えられた物で、少女の涙は見て見ぬふりをされた。
それからの十年は、少女にとってまさに地獄だった。チャーリーは全てにおいて少女を支配したがり、少女が他人と少しでも談笑しただけで怒り狂って暴力をふるい、自分の取り巻きには少女をこき下ろして尊厳を侮辱するような物言いをした。少女はさらに無口になり、怯えたような表情になっていった。
そんな少女に転機が訪れたのは、洗礼の儀式を受けた時だった。
この世界の魔法にはレベルがあり、生活魔法レベルの小魔法(攻撃系の中の炎ならばマッチほどの大きさの炎、水ならばチョロチョロとした湧き水、風ならばそよ風、回復系魔法の怪我回復ならば軽い擦り傷の痛みがなくなる程度)と、やや強力な中魔法、人間兵器レベルの大魔法がある。一般の人間は火、水、風を操る小魔法を持って生まれ、歩くよりも早く魔力操作を覚えて魔法精度を上げていく。そして十八歳となる成人を迎える年明け、神殿で洗礼の儀式を受けて最終形態の魔法を手に入れる。
ごく普通の一般人は小魔法のままか、得意な魔法が小魔法【改】に進化する程度だが、稀に得意な小魔法が中魔法に変化する者もいる。彼らのことを男子ならば魔法使いの弟子、女子ならば魔女の娘と呼び、スターン魔法学園の入学資格を手に入れることができ、奨学金対象者となる。また、かなり少ない確率だが、中魔法をとばして大魔法に進化する人間もいる。彼らのことを大魔法使い、大魔女と呼び、彼らはスターン魔法学園に入学するだけでなく、国外への流出を恐れて王族との婚姻が義務付けられていた。
少女は大して期待もされず、家族の付き添いもなく、一人神殿の長い列に並んだ。成人を迎える今日、人々は着飾り、家族からの祝福を受けて楽しそうにしている中、少女は普段着(それでも一番汚れていない物を選んだのだが)のまま俯いて亀よりも遅い歩みに従って進んだ。
「アイリーン。ラドルフとイザベラの娘、ここに」
名字があるのは貴族だけ。平民は人物特定のために、両親の名前と共に呼ばれる。アイリーンと呼ばれた少女は、ホッとした表情を浮かべて前に歩み出た。祭壇には髭を蓄えた恰幅の良い司祭様が立ち、その前に七色に輝く透明の丸い巨大な石が置いてあった。
成人を迎えた者は、この石の上に手を置くことにより、魔法が進化定着する。そうすると石の中に自分のステータスが表れて、それを自分のステータスボード(ネックレス型魔法石)に複写し、司祭に見せることで儀式は終了する。長くても三十秒ほどの儀式だが、国民はこの儀式のために魔力操作の鍛錬をして儀式に挑むのだ。
得意な魔法一点集中で魔力操作を極めて中魔法を目指す者もいれば、どの魔法が進化しても良いように満遍なく魔力操作を習得する者もいる。アイリーンは後者で、家族には「そんなこともできないの?」と馬鹿にされていたが、できないからこそ初級魔力操作を繰り返し繰り返し地道に鍛錬してきた。そのおかげで、全ての魔法が微弱ながら安定して使えるようになっていた。本当に微弱過ぎて、魔法が発動しているのか気が付かれないレベルではあったが。
(一つでも【改】がつくといいんだけど……。ううん、そこまで高望みをするのは良くないわね。小魔法の威力が、せめて一般の人レベルになるといいわ)
アイリーンが恐る恐る石の上に手を乗せると、石がカッと光を放ち、大量の記憶がアイリーンの頭の中に流れ込んできた。
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