第30話 “戦闘中に言うな”公開講習
ハルミナ公会堂前。
いつもは市場の荷馬車が通るだけの広場が、この日だけは白い旗と魔導幕でぐるっと囲われていた。真ん中には木枠で組んだステージ。上には、ユノの魔導カメラと、でかい拡声石。
「はーいみんな並んで~! 今日は“なんで最強さんがあんなに『言うな』って言うのか”を、実際に見ます~!」
木の上でユノがひらひら手を振る。
ベンチには、制服の子、港から来たミーナ、荊のローブの子たち、ギルドの人間、ついでにおばちゃんまで。――つまり「可愛い子が何か言うらしい」と聞いて全層が集まってしまった。
魔導幕に、昨日の映像が映る。
灰色のワニ。
低く身を構えて、口の横にある平べったい魔晶の“角”を地面のほうに押し出す。
そのとき、遠くから聞こえた女の子の甘い声に――
くい。
と、首をそっちに向けた。
「いまの見えた? “声がした方向を優先する”やつね~。これがきのうの“灰ワニ”です」
「「「見えたー」」」
「で、これに合わせて倒れた人を――」
ユノが手を叩くと、幕には図解。
• ①前足で上から押さえる
• ②横の魔晶突起で頭や首をぐっ、と横にする
• ③噛んだまま地面に擦りつける
「――こうなります。ので! “誰かが倒れた瞬間”が一番まずいです!」
そこに、白ワンピ+水色ケープのリゼがするっと上がってきた。
今日は診療所用の落ち着いた服だけど、髪はきちんとまとめてあって、いかにも「公式で言いにきた人」だ。
「改めまして。診療魔導担当のリゼです。……ナギトさんはほんとうに、好きな人に“強く”言われたら倒れます。治療の経験からも、これは事実です」
それを聞いた瞬間、ナギトの背中に、ぞわっと冷たいものが走った。
(――“リゼが言う”と重みが跳ね上がるんだよな……やめろそういう公式化)
でも顔には出さないで、しぶしぶステージに上がる。
黒い上着の前をゆるく閉め、いつでも動けるように足を開く。
――頭の中では、もうワニの噛みつきの軌道を何度もなぞっていた。
リゼが板を出す。手書きで4行。
1. きょうも無事でよかったです
2. また会えたら嬉しいです
3. あなただけを見てます
4. 他の人を好きにならないで
「これを、“戦闘中に言ったらどうなるか”をやってみせます。――①からいきますね」
リゼは笑って、一番薄い声で言う。
「ナギトさん。きょうも無事でよかったです」
「これは平気」
ほんとに何も起きない。
観客が「あ、やっぱ大丈夫なんだ」「このくらいなら……」と頷く。
「つぎ、②。“また会えたら嬉しいです”」
今度は、半歩近い位置で。
リゼの香りがふっと届く距離。
声もさっきより柔らかい。
「また会えたら嬉しいです」
胸の糸が、ほんのり赤くなる。
ナギトは(あ、これもう戦闘時は嫌なやつだ)と思ったけど、まだ踏みとどまれる。
足も揃わない。視界もぶれない。
「このくらいなら、戦闘じゃなければ大丈夫です」
リゼがそう言ったとき、観客の中から「じゃあ③もいけんじゃね?」みたいな空気が出た。
港のミーナも「“あなただけ”ってつけたいな~」と手を挙げそうになる。
リゼはそこで真顔になった。
「――では、③を言います。これは“安全寄り”ではありません。ほんとうに、いまの姿勢でやると危ないですので、よく見ていてください」
ナギトは一気に汗が出た。
いまの姿勢=前足を持つ獣に向かう姿勢。ここでよろめいたら、首を横から押される。
昨日のワニの重さを思い出して、心の中で(マジでやんのかこれ)ともう一度だけ思う。
でもリゼは本気だった。
彼女は淡く笑って、でも目だけで「いきます」と合図してきた。
「……ナギトさん。“いまのわたしは”あなただけを見てます」
――ぶわっ。
見えた。
リゼの頭のあたりから、濃い、太い、まっすぐな赤が伸びた。
抵抗する前に、心臓のあたりがぎゅっと締まる。
「ッ」
足が、勝手に後ろに逃げた。
ほんとに、半歩。
でも“こけないように”じゃなくて、“今の重さをいったん外に出したくて”退いた半歩だった。
「おおおおおお!!」
広場が沸く。
女の子たちが「ほんとに下がった!」「マジだったんだ!」と立ち上がる。
港の子は「これでワニいたらやばかったやつだ……」と口を押さえる。
ナギトは胸を押さえながら、すぐさま説明に入った。説明しないと「おもしろ~い」で済まされるからだ。
「――今の、たった半歩だけどな。灰ワニの前でこれやったら、俺、あの顎で横から押さえられてる。あいつは倒れたやつを“前足で止めて”から、魔晶で首ごと地面に押しつける。あそこで動けなくなったら、回復する前に終わりだ」
「……え、じゃあほんとに?」
「ほんとに死ぬ」
言い切った。
自分でも分かる。声がさっきより低い。
――リゼが言ったからだ。
リゼの“あなただけを見てます”は、冗談でも演技でもなく、本当にそうなってるのが糸で分かる。だから刺さる。
(おい……マジでお前が一番危ねーんだよリゼ。自覚あるのか)
心の中でだけ毒を吐く。
リゼはその視線に気づいたのか気づかないのか、淡々と続ける。
「ですので――“戦闘中に言うと、ナギトさんが戸惑う可能性があるもの”は、全部ここで薄めてからにしてください。かわいい告白でも、です」
「かわいくてもダメなんだ……」
「“かわいくて危ない”が一番ダメです」
リゼがきっぱり言った。
その言い方に、今度は本当に観客が納得した顔になる。
“診療の子がそう言うなら”っていう信頼の色だ。
ユノが最後にまとめる。
「はいじゃあきょうのハルミナルール!
①戦闘中に“だけ・ずっと・他の女を~”は言わない!
②言いたくなったら診療所に突っ込む!
③リゼさんが薄めたら動画OK!
以上~~!」
「「「はーーい!」」」
笑いながら返事してるけど、さっきより声がそろってた。
ナギトはようやく息をはいて、ステージの端に寄る。
(……今の一発で、ほんとに視界が一瞬白くなった。リゼからのはやっぱ重い。やるなら今後は俺以外の前で先にテストしてくれ……)
口には出さない。
出したらまた「最強さんでもビビるんだ~」ってバズるのが見えてるからだ。
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