面倒臭がりで中途半端なクラシックファンによる演奏会の感想文

白里りこ

1.ブルックナー/交響曲第8番

 人智の及ばぬ混沌とした訳の分からん概念に出くわした時の感情を表すネットミームに「宇宙猫スペースキャット」というのがあるが、今日は何だかそれと似て非なる体験をしてきたなと思った。


 仮にこの感情を「神の宇宙ゴッズコスモス」と名付けるものとする。


 神の御手により作り出されし完璧に秩序立った究極の美というものを前にして、やはり人智の及ばぬ訳の分からんものを見た気持ちになったのである。


 何かというとブルックナーの交響曲第8番を聴いてきた。


 簡潔に言うとクソ真面目な美しさだった。


 アマチュアオーケストラの演奏なのでタカが知れていると言ってしまえばそれまでだが、とにかく私がブルックナーの8番というのをマトモに聴いたのはこれが初めてだった。

 面倒臭がりで中途半端なクラシックファンなので、ブルックナーを真面目に聴くということは普段やらない。他の作曲家ならまだしもブルックナーはまずやらない。彼のシンフォニーはクソ真面目な上にクソ長いのだ。4番は聴いたが8番は聴いてこなかった。


 そして本日無事にゴッズコスモスに比較的近しい感情を抱いた。


 とりあえず美しいということだけは私にも分かる。

 だが何だろう、とても遠い。自分とはかけ離れたどこか遠くにある美しい物を、ただ観測しているような気分だ。

 天国に似ている。


 ブルックナーという作曲家は、緻密な計算に基づいた音楽によって、神の世界を表現しようとした人だ──と、私は認識している。

 彼の書いたハーモニーも、教会のオルガンのようだと評されているらしい。

 そして実際そのような要素のある音楽だと改めて感じた。


 ブルックナーにとっての世界は、全知全能の神が合理的に形成したものであるからこそ、美しいのだろうと思う。


 哲学者が何かしらの存在について極めて論理的に説いた論文のような、数学者が何かしら完璧に調和している数式を正確に解いた証明文のような、神学者が何かしらこの世の理のような高尚な現象を詳細に解き明かした解説文のような、そういうきめ細かな美しさ。


 科学的な音楽だ。


 あながち的外れな表現でもないはずである。


 科学というのはキリスト教の神学が原点で、神の御業によるこの完全なる世界を理解しようという姿勢から発展したものだ、と聞いたことがある。


 神の作りし世界は隅々まで計算し尽くされた秩序的なもので、未だ人智の及ばぬ範疇の物事ではあるが、人は長い歴史の中でどうにかしてその真理に近づこうと努力してきたのであって、ブルックナーの交響曲もまたその努力の一端であると言えるのだろう。


 まあ私はキリスト教なんて全く信じてないけど。


 というかぶっちゃけ曲の途中で飽きていた。


 だいたい私はさっきからブルックナーの音楽を、哲学者の難文のように退屈で、数学者の数式のように面白味がなく、異教徒のご高説のように余所事だ、ということも言いたかったのだ。


 それにいくら美しくても、エンタメとは程遠い上に視覚的効果も薄いクソ真面目な芸術作品を、二時間じっと座って鑑賞するのは流石に飽きる。


 そもそも二時間というのが長い。これがブルックナーだいうことを差し引いても長すぎる。指揮者の謎のこだわりにより、テンポが異様に引き延ばされているせいだ。進みが遅い。一拍が重い。いつまで経っても終わらない。


 二楽章あたりで居眠りをしてしまった私は、はっと目を覚ましてちゃんと聴こうとしたが、三楽章の半ばで早くも飽きが来たので、何とかこの不思議な美について言語化できないものかと考え事を始めた結果、こんな感想文を書いている。


 もちろん良かった点も沢山あったということは述べておく。個人的に、特に感動したのは以下の三つ。


 ①ハープが三台いたこと。これはちょっと珍しい。普通は多くても二台だ。大きさからしても三台は迫力があるし、三台分の音量で寸分の狂いなく繰り出されるアルペジオは、結構好きだなと思った。


 ②ワーグナーチューバが四本いたこと。これはかなり珍しい。ホルンの親戚のような楽器で、使われる機会自体が非常に限定的だ。四本も揃うとこちらもやはり壮観である。彼らによる中低音のコラールは目新しい気分で聴くことができた。


 ③四楽章の最後でC-Durツェードゥアに転調した瞬間のトランペットのGゲーの音と、一番最後のTuttiトゥッティによるCツェーの音。分かりやすく言うと、暗く不穏な和音から明るい綺麗な和音に転調する瞬間は誰であっても興奮するものであるし、終わりを最も基本的なドの音で堂々と締め括られると長々しい二時間も報われるような思いがした、ということだ。もっと分かりやすく言うと、「あ、これで終わるな」と分かってホッとしたのだった。


 終わり良ければ全て良しとはよく言ったもので、最後の転調ですっかり気分が良くなった私は、割と満足してホールを出ていった。ブルックナーのご高説にまんまと納得させられた訳である。チョロい奴め。


 とはいえ、当分の間ブルックナーを聴くのは遠慮させて頂きたい。

 お勉強はもうお腹いっぱいである。

 何か次はこう、エンタメ性に秀でた音を摂取したい。或いはもっと人間的で俗物的で感情的な音を。

 心が震えるような感動というのは、理性的な世界とはまた違った場所にあると思う。


 今回は、理性の音楽というものもまた非常に美しく、ひょっとすると一種の理想の到達点である、と言えなくもないかも知れない……? と感じられたことが、最大の収穫であろう。


 ゴッズコスモス。


 悪くない体験であった。また会った時には改めてよろしく。しばらくはこっち来ないでくれ。じゃあな。

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