第五節「仁徳と覇道」

戦場の中央で、劉備と曹操が相対した。


二人の間には、幾多の戦いがあった。赤壁、琵琶湖、そして関ヶ原。その全てで、二人は敵として、時に協力者として、刃を交えてきた。


「劉備...」


曹操が馬上から声をかける。その声には、複雑な感情が滲んでいた。


「曹操殿」


劉備は静かに応えた。


「貴様の仁徳、この戦場で見せつけられた」


曹操は剣を抜いた。


「織田を救い、自らの部下を危険に晒してまで、敵を助ける。フッ...馬鹿げている」


「それが私の道です」


劉備も剣を構えた。


「人が人として生きるには、仁を捨ててはなりません」


「仁か...」


曹操の目が鋭く光った。


「だが、劉備。貴様の仁徳だけで、この乱世は治まらぬ」


「...」


「力なき仁は、ただの偽善だ。貴様が何を言おうと、天下を取るには覇道が必要なのだ」


劉備は首を横に振った。


「曹操殿、貴方は間違っておられる」


「何...?」


「力だけで人を従わせても、それは心からの忠誠ではない。人が人を信じ、共に歩む。それこそが、真の天下太平です」


曹操は、一瞬言葉を失った。


そして、不敵に笑った。


「...ハハハ、劉備。貴様の言葉は、いつも綺麗事だ」


だが、その笑いの奥に、何かが揺らいでいた。


「だが...羨ましくもあるな」


「曹操殿...」


「俺には、貴様のような生き方はできぬ。この手は、既に血で染まっている」


曹操は剣を構え直した。


「だからこそ、貴様を倒す。貴様の仁徳が正しいのか、俺の覇道が正しいのか...この刃で決める!」


劉備は深く息を吸った。


「曹操殿、私は貴方を憎んではおりません。ただ...」


劉備の目に、静かな決意が宿る。


「貴方の覇道を、看過することはできぬ」


二人は、同時に馬を駆った。


---


剣と剣が激突する。


曹操の剣が空を裂くたび、風が唸りを上げる。一撃ごとに地を揺らす、覇者の力。


劉備はその圧を受け止めながらも、まるで柳の枝のように揺れ、折れなかった。


「劉備!貴様の仁徳は、弱者の逃げ道ではないのか!」


「違います!」


劉備が剣を受け流す。


「仁とは、人が人を思いやる心。それは誰もが持つべきものです!」


「綺麗事を!」


曹操が連撃を繰り出す。だが、劉備はその全てを受け止めた。


「曹操殿、貴方もかつては、人を思いやる心を持っていたはずです」


「...黙れ」


「荀彧殿が貴方に仕えているのは、貴方の中にある理想を信じているからです」


曹操の動きが、一瞬止まった。


---


曹操本陣では、荀彧がその光景を見つめていた。


「主公...」


荀彧の心は、揺れていた。


劉備の言葉は、真実だった。自分が曹操に仕えたのは、彼の中にある理想を信じたからだ。乱世を終わらせ、人々を救う。その志を、曹操は確かに持っていた。


だが、いつからか、曹操は覇道に傾いていった。力で全てを支配する。その姿に、荀彧は心を痛めていた。


「仁を失えば、人は離れます...」


荀彧は呟いた。


それは、曹操に言いたかった言葉だった。


---


劉備と曹操の戦いは、激しさを増していた。


「劉備!貴様は理想を語る!だが、それで飯が食えるか!」


曹操が吼える。


「乱世を生き抜くには、力が必要なのだ!綺麗事では、人は救えぬ!」


「それでも...」


劉備が剣を振るう。


「私は信じます。人の心を。人の善性を。それが、この世を変える力だと」


「ならば証明してみせろ!その仁徳で、俺を倒してみせろ!」


二人の剣が再び激突する。


だが、その時──。


「主公!」


趙雲の声が響いた。


劉備が振り返ると、趙雲が張遼と激しく戦っている。家康と秀吉も加勢しているが、張遼の武は凄まじかった。


「子龍...」


劉備の顔に、苦悩が浮かぶ。


曹操は、その隙を見逃さなかった。


「隙ありっ!」


剣が劉備に迫る。


だが、それを阻んだのは──。


「させぬ!」


関羽だった。青龍偃月刀が、曹操の剣を弾き飛ばす。


「関羽...」


曹操が舌打ちする。


「雲長、何故貴様がここに」


「夏侯惇殿との戦い、決着をつけました」


関羽の声は静かだった。だが、その瞳には、深い悲しみが宿っていた。


「夏侯惇は...」


「生きております。しかし、もはや戦える状態ではありません」


関羽は曹操を見た。


「曹操殿、貴方の覇道は、多くの忠臣を失わせる」


「...黙れ」


「その怒り、痛いほど分かります。しかし...」


関羽は青龍偃月刀を構えた。


「我が主の仁徳を、踏みにじることは許しません」


---


織田本陣では、信長がその光景を見ていた。


「劉備の武将たちは、皆あの男を信じておる...」


柴田勝家が横に立つ。


「殿、劉備という男は...」


「恐ろしき器よ」


信長は静かに言った。


「仁徳で人を動かす。それは、力で支配するより遥かに難しい」


「では、殿は...」


「俺は俺の道を行く」


信長は刀を抜いた。


「だが、あの男の在り方は...否定せぬ」


---


戦場では、劉備と曹操の戦いが続いていた。


関羽が加わったことで、形勢は劉備側に傾きつつあった。だが、曹操はまだ諦めていない。


「劉備...貴様の仁徳、確かに人を動かす力がある」


曹操は血を吐いた。関羽の一撃が、肩を掠めていた。


「だが、それでも...俺は俺の道を行く」


「曹操殿...」


「天下を取るのは、貴様か、俺か、それとも信長か...」


曹操は不敵に笑った。


「まだ、決着はついておらぬ」


そして、退却の号令を出した。


「全軍、撤退だ!」


曹操軍が、一斉に動き出す。張遼も、許褚も、荀彧も、曹操の命に従った。


劉備は、その背中を見送った。


「曹操殿...」


関羽が問う。


「主公、追いますか」


「いや...」


劉備は首を横に振った。


「これ以上、血を流す必要はない」


---


戦場に、静寂が訪れた。


織田軍も、劉備軍も、曹操軍も、それぞれが傷つき、疲弊していた。


信長が馬を進めてきた。


「劉備玄徳」


「信長殿」


二人が相対する。


「貴様の仁徳、この目で見た」


信長の声には、複雑な感情が滲んでいた。


「だが、天下は一つだ。いずれ、貴様と俺も戦わねばならぬ」


「それは...」


「だが、今日ではない」


信長は刀を鞘に収めた。


「今日は、貴様に礼を言う。我が本陣を救ってくれたこと、感謝する」


劉備は深く頭を下げた。


「当然のことをしたまでです」


信長は、劉備を見つめた。


「...劉備玄徳。貴様は、面白い男だ」


そして、馬首を返した。


「いずれ、また会おう」


---


近江平野に、夕陽が沈んでいく。


三つ巴の戦いは、誰も勝者のないまま、終わった。


だが、この戦いは、確かに何かを変えた。


劉備の仁徳は、敵も味方も動かした。


曹操は、自分の覇道を見つめ直した。


信長は、劉備の在り方を認めた。


そして、秀吉と家康は、劉備から多くを学んだ。


戦場に立つ劉備の横顔を、諸葛亮が見つめていた。


「主公、仁徳とは、人が貴方に心を託す力です」


「孔明...」


「今日、多くの者がその力を感じました。これこそが、貴方の道です」


劉備は頷いた。


「ならば、私はこの道を進もう。どこまでも」


夕陽が、二人を照らしていた。


天下統一への道は、まだ遠い。


だが、劉備の仁徳は、確かにこの世を変え始めていた──。

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