07:97の國 実技授業ーリシウスという男


「リシウス」


 呼ばれた彼はまったく変わらない表情のまま、視線を少しだけ教官に向けた。実技担当の男性教官は頭痛をこらえるように顔をしかめる。


 万朶の紅玉こうぎょくへと入りかけるその頃には、生徒の中でも問題児が浮き彫りになる。今年度は目の前の彼と、ナナミ、そしてトーの三人だった。ナナミは出自を隠されていることもあり教官たちからも目をつけられていたが、その上をいくのがリシウスだった。

 この実技の授業中もリシウスはほぼ同国のハンドラー候補であるニアナから視線を外さないので、話を聞いていないのかと怒鳴っても無反応のことが多い。


 今もまた、視線を小さくひざかかえて座り、待機しているニアナへと戻した。


(いくらなんでも)


 スコアの数値が良くても、明らかに異質なのは明らかだ。正体不明のハンドラー、ジョン・ドゥによってかなり痛手を負ったという噂があってからは、かの国はかなり大人しくなったというのにリシウスを見ていると不穏だと言わんばかりだ。

 人工的に強化された人間かとも思われたが、ニアナもリシウスも計測数値や事前にもらった情報通りの『ただの人間』だった。ただ、才能が並外れていることと、リシウスは義足と義眼をつけている、体術にかなりけた訓練生だというだけだ。


 いつまでも活舌かつぜつ悪く返事をするニアナを叱った途端に、待機していたリシウスがつかつかと近寄ってきて、失神しても殴られ続けたのをこの教官は覚えている。


 どれだけ問題行動を起こそうと、リシウスは規定を超えるようなことだけはしない。これが自国の下級兵士なら懲罰房行きなのだろうが、彼は他国の者でどこまでが許容範囲なのかをきちんと理解しているようだった。

 貴族ではない、とその教官は断じる。ニアナもまた、貴族ではないだろう。


「ニアナの課題を邪魔するのは控えてくれないか」

「…………必要ない」

「ん?」


「その課題は、彼女には必要ない」


 短くそう言うリシウスに、呆れた。ハンドラーはマギナに乗って戦う兵士だ。体力があるほうがいいに決まっている。

「必要だから課題を出している。才能があるんだから、彼女には長時間乗ってもいいように慣れさせるべきだ」


 ちらりと、リシウスが視線だけ動かして教官を見遣った。背筋が凍り付くような錯覚をする、なんの感情も見えない瞳だ。


「必要ない」


「……万朶の橄欖かんらんには大規模な野営訓練もあるんだ」

 もう興味がないとばかりにリシウスは沈黙してしまい、視線も寄越さない。

 溜息をつきたくなったが、この二人の自由を制限しているこの国側からしてみれば、あまり言うのは得策ではなかった。


 宿舎棟の最上階を丸々この二人だけに制限したのは彼らの行動を監視することが目的であり、彼らの国もそれを了承したからだ。食堂も利用できず、授業以外では宿のだから、これ以上は言うべきではない。


 順番が来たリシウスはさっさと仮想装置へと歩いていく。スコアの伸びないラヴァーズ候補のハンナが青ざめているのとは正反対に、彼は高濃度の空気が充満している楕円型の装置へと入っていく。

 教官は肩をすくめて操作した。装置が密閉される。


 マギナを駆動させるハンドラーの真下の動力部分にラヴァーズは入ることになるので、条件は今とほぼ同じだ。

 膝を抱えるリシウスは濃度があがっていくのに表情が変わらない。ラヴァーズたちはハンドラーの補助全般を担う存在ではあるが、ハンドラーとリンクしていないと負担はすべてこの濃度なみに襲い掛かって来る。ハンドラーが搭乗したまま気絶したり、それこそ心臓が停止すれば負荷はラヴァーズにかかってくるのだ。


 だというのに初日からこの耐久に平然と応じている様子はもはや畏怖ととれる。ニアナもハンドラースコアがまったく下がらないが、リシウスはラヴァーズのスコアの世界最高数値を軽々と越えてしまった。スコアのクラスはテン。通常のラヴァーズならば、セブンまでしか出すことは不可能だ。


 義眼や義足に仕掛けがあるのかと教官たちの間では思われたが、彼は常に眼帯でそれを隠しているし、義足も通常の人間の脚と同じ出力しか出せないようになっているようだった。イカサマはない。


 ぴ、ぴ、と計測音とともに濃度が上がっているのに、いっこうに苦しそうな様子さえ見せない。最高値までいくと、これ以上はできないので徐々に濃度が戻された。やはり計測はスコアクラステン


テンなんてスコアクラス、ハンドラーとリンクしたらどうなるんだ……)


 想像もできない。ナナミはしきりにリシウスのほうがハンドラー向きだと言っていたが、試しにマギナに乗せて数値を計測するとスコアクラスはニアナよりもかなり低いフォーだった。

 ハンドラーのクラスが四ということは、ナナミよりも低いことになる。それでも異常だと思う者たちのほうが圧倒的だった。


 野営訓練を終えると、そのあとはさらに実技が増える。シンクロリンク……つまり、ハンドラーと接続して補助をおこなうための訓練が増えるのだ。

 ハンドラー候補の一人ひとりと相性の良さを計測する必要があり、同時にどれほど相性が悪くてもラヴァーズに決定権がないことを教え込むしかない。ラヴァーズを消耗品扱いしてきたのだから、仕方のないことだった。ラヴァーズには誰でもなれるが、ハンドラーは誰もがなれるものではないのだから。


 仮想装置から出てきたリシウスはなにかに気づいたように突然駆け出す。何事かと教官が目で追うと、ニアナの襟首えりくびに手をかけて持ち上げているトーの姿があった。問題児の一人であるトーは、ニアナの怯える表情を気にもせずに怒鳴りつけていたが、リシウスに殴られて吹っ飛んだ。

 その場にニアナは落とされて慌ててナシラたちが安否を気遣うように寄って来たが、リシウスはそちらを見ずにトーに馬乗りになって容赦なく顔を殴り続ける。


「もうよせリシウス!」


 クラスのまとめ役になりつつあったエニフが止めにかかるが、その手を素早くつかんで反動で投げ飛ばす。鮮やかな動きにナナミが「すっご」と感心していた。

 背中を強く打ったエニフに駆け寄る者たちもいるが、リシウスを止められるとは誰も思っていない。なにせ全員で一斉に抑えつけにかからなければ彼は今のエニフのように反動を利用してくるからだ。


 その間にも殴っていたリシウスを、背後から教官が止めにかかる。トーはにぶい声をもう出せない様子だ。こんな小柄なのにと思うが、リシウスが見た目と違って喧嘩慣れしているのは明らかだった。まだ生ぬるいと教官が思うのは、リシウスがこれでも手加減をしているのがわかるからだ。彼はやろうと思えば一撃で相手の意識を刈り取る方法も知っている動きをしている。それをしないだけ、かなり手を抜いているのだ。死なないように、加減をしている。


 背後から羽交はがい絞めにできるほどリシウスと体格差があるのに、男性教官はリシウスを抑えつけることに成功したことがない。今もまた、馬乗りになっていたリシウスが殴るのをやめたと思ったら両手を床につき、背後の教官目掛けて身体からだひねって蹴り上げたのだ。


「がはっ」

 強烈な胸部への一撃に教官がたたらを踏んで後退あとずさる。

 こぶしについたトーの血を素早く払うと、立ち上がった彼は身をひるがえし、迫っていたエニフを回し蹴りで吹っ飛ばした。止めに入ろうとした彼は再び床へと沈む。


 リシウスは完全に気絶したトーを見遣ると、ニアナへと視線を動かす。ニアナを心配した女生徒たちが「ひっ」と声をあげたが、ニアナだけは「だ、だだ、大丈夫、だよ」と困ったように眉をさげて言った。

「わ、わたっ、わたしが、ほら、いらつかせ? たんだと、おも」

「ニアナ、それ逆効果だとおれはおも」

 仲裁に入らずに腕組みして眺めていたナナミが発言の途中でリシウスに殴られ、吹っ飛ばされた。


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