03:97の國 ハンドラー候補生


 軍靴を鳴らして教室を出て行った彼女を視線で追う者、戸惑う者、やっと口上が終わったと肩をおろす者と、各々で反応が違っていた。

 これで今日の日程は終わった。残った時間は自由になっていて、授業は明日から開始される。教官が先ほどまで立っていた場所には巨大な掲示板があり、そこには書類がかなり貼り付けられていた。時間がある時に目を通すようにと言われていたのだが、大量の用紙にすでに辟易している者もいる。


 座っていた椅子を少し後ろに遣って、一人が立ち上がった。


 強い意志を宿らせた濁りの一切ない鮮やかな強い瞳。そしてきらめくような金髪を揺らして掲示板に近づき、端にある書面から目を通し始めた。


「チッ、いい子ちゃんかよ」


 悪態をついたそばかすの残る少年は机の上に両脚を乗せて、首の後ろで手を組んでその様子を眺める。先ほど舌打ちをしたのは彼だ。


 瞳を泳がせていた赤髪の少女が、隣の席で掲示板の前に立つ少年を見ている彼に小声で言う。

「ね、ねえリシウス、わ、わたっ、わたしたちも、見にいったほうがいい、よねっ。い、いつっ、行く?」


 すでに三名ほど立ち上がって、別々の場所から書類に目を通している。紙に触らないのは、ハンドラー候補として当たり前だった。なにせこの島国は、マギナを製造するための鉱石を輸出しているのだ。世界のどこよりも、人体に悪影響を及ぼすウラノメトリアの濃度が高いということだ。それは紙であっても、同様である。


 眼帯の彼はちらりと、隠れていない濃い灰色の瞳を彼女に向けた。

「部屋に戻ろ、ニアナ」

「えっ、で、でで、でも」

「全部読んだから大丈夫」

「はひっ! ど、えっ、うっ」

 驚愕して大きく身体からだを震わせる少女の横で立ち上がり、わざわざ手袋をしていないほうの右手を差し出す。表情がまったく変わらないので、彼の発言に驚嘆よりも畏怖の視線を向ける生徒が多い。だが、机に脚を乗せていた少年がいきなり視線だけ向けてきて、目を細めた。


「さすが連合国の優等生は言うことが違う。俺にも教えて欲しいぜ」


 棘を含んだ攻撃的な声に、眼帯の少年はまったく意に介さずに彼女の手をとって立ち上がらせていた。教室から出ようとした時に、出口に近いところにいた彼から道を阻まれるように邪魔される。

 高身長の彼の着用している軍服から、どこの国の出身なのかすぐにわかる。同じものを揃いで着ている眼帯の少年と、赤髪の少女もだ。

 家名は名乗らず、また、国名を明かさないのがここでの規則ではあるが、この士官学校は特殊さもあり各々の国で用意された国軍のそれをまとっている。

 深紅と漆黒を主張した連合国は有名だった。返り血を浴びても平気なように、その色なのだと庶民の口にのぼるほど。


「どうせ賄賂で情報もらってるんだろ? 俺も恩恵にあずからせてくれよ」


 高圧的な言い方と同時に、小柄な体躯の眼帯の少年を嘲笑うような表情で覗き込む。しかし、睨まれている彼の表情は一切の変化がない。そして、怯える少女の手も離さない。

 まったくの無言の彼に男は痺れを切らしたように語気を強めた。


「なんとか言ったらどうなんだよ!」


 苛立ったように声をあげる。室内の視線が一斉に集まった。掲示板に一番に近づいた少年が慌てたように「やめないか!」と声をあげていた。


「おまえの席からあの量を読めるって? 全部? ハァ、優等生はこっちもイカレてんのかぁ?」


 人差し指で己の頭をぐりぐりと摩った。それでも、深紅の軍服の彼は瞬きこそすれ表情が変わることはない。

 二人を交互に見ていた赤髪の少女が情けないように眉を下げて、思わず声をあげる。

「あっ、あのっ、けん、喧嘩はっ」

「はあ!? ハッキリ喋れよ!」

 思わずと言ったように突き飛ばそうとした長身の少年の手を、眼帯の彼が素早く払った。予想よりも大きい弾いた音に、室内が一瞬静まり返る。

 頭に血がのぼったのか、高身長の少年は「この!」と拳を振り上げた。

 振り下ろされる拳を見もせずに横に半歩避け、右腕の中に少女を抱き込むようにしてそのまま彼は攻撃をすり抜けさせた。


「あっ、わ」


 勢いを殺せずに派手な転倒音を響かせた少年を見もせずに、眼帯の彼は少女に囁く。

「行こ」

「えっ、え、あ、う、うん」

 戸惑いが拭えないまま、促されるように少女は彼に連れられて教室から出て行った。残された倒れている彼が、拳に力を込めたところで上から声が降って来る。


「えーっと、そのぶかぶかの上着の軍服は、トランダ国のだよな? 軍事力が上から八番目。まあまあいいほうじゃん」


 軽口に、そろり、と高身長の彼が声の主を見上げる。

 漆黒の髪と瞳。97の國の軍服は黄褐色と、長軍靴が特徴である。教官とは編み上げの軍靴が違うだけで、衣服は同じ形と色のものだ。


 こめかみに青筋を立てて、少年は立ち上がる。先ほどの眼帯の少年よりは身長はあるが、やはり声の主である男を見下ろす形となった。

「うるせぇんだよ! 極東の『ほこり』が!」

「まあうちの国は小さいから吹けば飛ぶようなそんな蔑称は気にしないけど、さっきの二人はヤバいでしょ」

 怖がる素振りもまったくせずに、にやにやとしながら彼は飄々とした態度で腰に片手を当てて見返す。

「ここしばらくはなかったテラスト連合国からの士官生なんて、明らかにおかしいじゃん。手を出すべきじゃないって」

「弱小国が偉そうに……!」

 ぎしりと、歯軋りの音がする。けれどもそれを下からめあげるように、笑みを貼ったまま『埃』と呼ばれた細身の少年が挑発気味に続けた。

「そっちは資源も枯渇しまくっててヤバいって聞いたけど? うちみたいな資源すらないなんて大変じゃん?」


「もうやめろっ!」


 割り込んだのは掲示板の場所からつかつかとやって来た金髪の少年だった。

 鮮やかな青色の軍服と同じ色の瞳で、二人を見遣る。

「一年間は同じ士官生だろう! 喧嘩けんかをするなんて馬鹿げている!」

「はああ!?」

 目元をひくつかせて高身長の彼が激しく睨んだ。


「てめーも気に食わねーんだよ! そもそも俺たちは仲良しこよしをしに来たわけじゃねえ! ここが世界で唯一のハンドラーの士官学校だからだ!」


 しん、とまたも教室内が沈黙した。その通りだったからだ。

 マギナを生産するのはなにも97の國でなくともできる。だが、純度の高い鉱石がこの島国で採掘される以上、自由にできる鉱石の量が違うということだ。その特性からハンドラーの士官学校が作られており、世界各地から毎年ここに士官生がつどう。常に他国から見張られているということでもある。

「帰国して軍属になるつもりなんだな。なら、ここでは大人しくするべきだ。耐えるべきだ、たとえ、貴国が

「っ」

 言い返せなかったのか、深く眉間に皺を刻み、少年は再び舌打ちをしてから大股で掲示板のほうへと歩き出した。それに続いて、まだ座っていた者たちもならう。


 漆黒の少年は青い瞳の彼ににかっと笑って見せた。

「正義のヒーローみたいだね、アンタ」

「君もここが自国だからと彼を煽り過ぎだ」

「…………へー、ずいぶんとまっすぐな目だ。青空みたいだな、アンタの目の色」

 面食らったように、金髪の少年が瞬きをする。

「アオゾラ? 空は青くないぞ?」




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