悪意喰らいの悪魔
翌日、薄暗い事務所に朝の光が差し込み始めたころ、レートは机を叩いた。
「マギサさん!昨日のアレはさすがにやりすぎですよ!」
彼の声が響く。
古びた木の床が軋み、壁にかかった安物の時計がチクタクと間の悪いリズムを刻んでいた。
対するマギサは、黒いコートのままソファにだらしなく腰を沈め、脚を組んでスマホをいじっている。
まるで叱られているのが自分ではないかのように。
「でも死んでなかったから良いでしょ。殺すつもりでもなかった」
淡々とした声。目線は一度もスマホから上がらない。
画面にはSNSのレスポンスが次々と流れていく。
「そういう問題じゃないです!その後介抱したり事情を警察に話したり、僕が散々対処に追われたんですからね!」
レートは額を押さえる。
言いながら、心のどこかで「またSNSかニュースサイトでレスバしてるんだろうな……」とため息をつく。
マギサはしょっちゅうSNSの炎上に首を突っ込んでいる。
ニュースサイトのコメント欄で「人間ってのは本当に愚かねえ」と呟きながら、不謹慎な発言を拾っては楽しげに眺めている姿を、レートは何度も見てきた。
今日もまた、彼女の親指は忙しなく画面を滑っている。
「それよりも、昨日の依頼は確かに霊ではあったけど、結局悪霊じゃなかったしハズレだったわね。死んでるってだけで味が濃くなるから悪くは無いけど、期待してただけにガッカリだわ」
マギサが欠伸混じりに言う。
興味がなさそうで、けれど退屈だけはしたくないという声音。
「二人の誤解が解けたから良いじゃないですか。霊体験の話としては感動モノの部類でしたよ」
レートはやれやれと息をついた。
――あのあと、あの男に憑いていた霊は、伝えるべきことを伝えて満足したのか、静かに消えていった。
依頼自体は「全く知らない人間からストーカー被害を受けている」というものだった。
依頼主の女性は今どき珍しくSNSを一切やっておらず、勤め先などからの個人情報の流出も考えにくかった。それなのに、相手の男は彼女の勤務先や帰宅時間を正確に把握していた。
それだけならただの「一目惚れ由来のストーカー」ということも十分に考えられるのだが、どうにもそのストーカーの様子がおかしい――そう言って彼女が泣きながら事務所を訪ねてきたのが昨日の昼のことだ。
そして、結果があの騒動である。
憑かれていた男の方は、ストーカー行為の記憶が完全に抜け落ちていた。
霊の正体は依頼者の会社の後輩だった。依頼者が彼女からの相談を断った次の日に事故にあって亡くなったという。
依頼者はそのことをずっと気に病んで仕事にも手が付かない状態だった。恐らく彼女はそんな依頼者の女性を見て、何とかして「あなたのせいじゃない。あなたを恨んでいない」と伝えたかったのだろう。
その後警察への通報やら、男性の保護、おかしな状況の合理的説明もつかない中で僕は暫く拘束される羽目になったのだ。
しかも、その時にはもうマギサさんの姿は消えていて、そもそもその場に存在しなかったことになっていた。
レートは依頼報告書をまとめながら、机の上に置かれたコーヒーの冷たさに気づく。口をつける気も起きない。
最低限の生活費、よりは多少色の付いたバイト代は出ているから許せるが、本当に都合のいい人、いや……悪魔だ。
そのとき、マギサが急にスマホから目を離し、ぽつりと呟いた。
「ああ、来るわよ」
レートが「え?」と顔を上げた瞬間、
――カラン。
事務所の扉が開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます