悪魔女マギサの事件リストランテ―霧切超常事務所事件簿

常陸 花折

本当の親友

マギサさん

 ――女の叫び声が、夕暮れの路地裏に突き刺さった。

 振り返った通行人たちは足を止めるが、誰も近づこうとはしない。


 女の腕を掴んでいるのは、若い男。髪は乱れ、目は血走り、声は震えながらも執拗に女を追い詰めている。


「話を聞いてくれって言ってるだけだ!俺は悪くない、悪くなんかない!」


 女が「離して!」と叫んでも、男はますます力を強める。


 そのとき――


「マギサさん!あれ!あの男にます!」


 路地の入り口から駆け込んでくる青年がいた。息を切らしながらも、その目は男ではなく、その少し後ろを見ているように見える。

 その瞳は何か嫌なものを見たように、しかしそれから逃げることを諦めたように揺れている。


 その少し後ろを、ゆったりとした足取りで、ひとりの女が追いかけてくる。

 黒いつば広の帽子、同じく黒い古めかしいコート、そして腰まである癖一つないストレートの銀の髪。

 そして身長が、この場にいる誰よりも高い。悠に180cmはあるだろう。顔立ちは恐ろしいほどに整っており、肌は陶器のように青白い。その服装も相まって「魔女」としか形容出来ない。存在するだけで周囲の温度が下がりそうな気配すらする。


「レート。そう言ったって、離さなきゃでしょうよ」


 気だるげに呟くと、彼女はコートの裾を少し払って男に近づく。

 そして、ほとんど目にも止まらぬ速さで――


 ガッ


 男の体が一瞬宙を舞い、地面に沈む。

 レートと呼ばれた青年が「マギサさん!?」と叫び、焦って男に駆け寄るが、きれいに落ちるように加減されていて、命には別状なさそうだ。


 女が呆然と立ち尽くす中、レートはすぐにしゃがみ込み、倒れた男の頭上に視線を落とす。

 空気がわずかに冷え、風が巻く。


「……君、どうしてこんなことを」


 レートの問いに応えるように、男の影が揺らぐ、その中からぼんやりと人の輪郭が浮かび上がる。恐らくその青年にはもっとはっきりとした姿が視えているのだろう。


「――話を聞いてほしかったのは、わたしの方だったのに」


 その存在が放った言葉をそのまま繰り返しているのか、青年は読み上げるように呟く。

 彼は顔を上げ、先ほどの被害者の女性に静かに問う。


「この人に、心当たり……ありますか?」


 女性は震える唇を押さえ、うつむいた。

 そして堰を切ったように涙をこぼす。


「……あの子、会社の後輩で……私が相談を断った次の日に、事故で……」


 声は途中で途切れた。

 青年は言葉を失い、黙ってその存在がいるであろう中空を見つめる。

 その存在が女性の言葉にどんな反応をしているのかは伺い知れない。


 その傍らで――マギサが、昏倒した男と泣き崩れる女の前に立つ。

 彼女の目は、青年が見ているものとはまた違う、そこにまだ留まっている“何か”を見据えていた。

 空気がどろりと重くなる。


 そして、唇の端を吊り上げて――


「……ううん、悪意ではないけれど、それなりにいい匂ね。

 ―――さて、


 マギサは、舌をペロリと舐めた。

 その瞬間、そこに在ったはずのが、確かに失くなった気配がした。


 青年は目を閉じ、心底うんざりしたように頭を振って溜息を吐いた。

 

「依頼、解決しましたね」


 全く嬉しくなさそうな、諦めと苦労の混じった声だった。

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