躾不足は飼い主の責任です

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第1話 躾不足は飼い主の責任です



 昼休みの鐘が鳴る。今日の昼食はどこで食べよう。弁当を作ってきたからこのまま教室で食べるのもありだし、空き教室を探してそこで食べるのもいいだろう。日差しが暖かいから中庭に出るのも気持ちよさそうだ。

 授業を切り上げた先生の声を聞き流しながら机の上に広げた筆記用具をまとめて引き出しの中に放り込む。午後は移動教室がなかったはずだし問題はない。弁当を入れてある鞄を膝の上に乗せて廊下の方に顔を向ければ、待っていた声はすぐに聞こえてきた。


「お待たせ!今日は中庭で食べよう!」


 廊下を走ってきた勢いそのままに教室に転がり込んだ彼は、俺の眼の前でぴたりと動きを止めた。毎度のことながら息切れの一つもないなんて羨ましい体力だなぁ。ぼんやりそう考えていれば、いつの間にか彼が俺の鞄を肩にかけてそのままそっと俺の手を引いて歩きだそうとしていた。その姿はまるで散歩をねだる犬のようである、とはクラスメイトの言だ。


「おーい塚本つかもと、愛犬とのイチャコラは余所でやれー」


 茶化すクラスメイト達に適当に手を振り返していれば、早くというように手首をつかんでいた腕が二の腕へと移動する。痛みを与えずに、けれど確かな力に引っ張られて教室を出る。一瞬だけ灰斗かいとがそちらを振り返っていたみたいだけど、俺は振り返る暇もなく腕を引かれて廊下を進んでいった。


「今日の小テスト、教えてもらった問題でた!和樹かずきのおかげで解けたよ!」

「ふぅん…そこ以外は?」


 灰斗から差し出されたブロッコリーにかぶりつきながら、本人に視線を向ける。灰斗はぴくりと肩を揺らした後、えっと…と視線を弁当へと落とした。これは点数があまりよろしくなさそうだ。思わず頭を抱えそうになるが、その前に次ハンバーグちょうだい、と言われて考えるより先に手が動いていた。


「はい」

「あーん…ん、おいしい」

「…ていうか中身が同じお弁当であーんしても意味なくない?」


 俺の分も灰斗の分も両方とも灰斗が作ったものだ。昨晩のご飯の残りとか作り置きして朝解凍したものがほとんどの大して手のかかっていない弁当、とこいつは言うけど。

 学園に通い始めた最初のころは食堂にばかり通っていた。好き嫌いの激しい灰斗は嫌いな食材を全部器用に皿の脇に除けていて、そんな中で俺があーんしてくれるなら苦手な食材も食べるというのでこうやって俺が手ずから食べさせてやる習慣が付いたのだ。流石に学食でそんなサムいことをする趣味はないのでその後しばらく昼は購買のお世話になったが。

 それが互いにあーんしてやったり、購買が灰斗の手作り弁当に変化していったりしたけど、元は灰斗の好き嫌いの克服が目的だったのにどうしてこうなったのか。ちなみに俺は料理は壊滅的なので灰斗がキッチンに立たせてくれない。汁物温めたり炒め物かき混ぜたりくらいならできるんだけどな。


「和樹が食べさせてくれると全部おいしくなるんだ。…だめ?」


 俺よりでかい背を曲げて下から覗きこんでくるのは多分無意識なんだろうなぁ。あと捨てられた犬みたいな表情も。ついでにぺたりと伏せられた犬耳が見えるのは俺の気の迷い。

 わかったわかったと雑にその頭を撫でてやれば、今度は肩越しに振り回される尻尾が見えた。俺も大概である。

 …いくらコイツの頭が弱くても、流石に人化が解けかけてるとかそういうオチではないよな。


「今日の晩御飯何にする?俺は唐揚げがいいなぁ」

「パスタ食べたい」

「パスタね!了解!!」


 あれもこれも、全部甘えたの癖に俺をとことんまで甘やかすこいつが悪いことにしてしまえ。他のおかずは何にしようかと上機嫌に聞いてくる灰斗に何も答えずにじっとその顔を見つめる。その表情には一点の曇りもなく、俺のリクエストのせいで唐揚げが食べられないことに何の不満もない。俺は唐揚げは白米と一緒に食べるのが好きなので、その好みを熟知している灰斗がパスタと一緒に出してくることはない。ただ、俺が特別何も言わなければ明日の弁当辺りには唐揚げを入れてくるだろうけど。

 そうやって、俺をどこまでも甘やかす。むしろ甘やかされている自覚も薄れて、それが当り前なのだと思うくらいに、少しずつ駄目な人間にされていく。コイツ無しでは生きていけない人間に。

 計算なのか俺は知らない。どちらにしてもコイツが俺をひとりでは生活できないようにしようとしているのは変わらない。むしろ無意識でやっている方が怖いか。本能的にそうしているってことだろうし。

 それに、俺も嫌いじゃない。コイツなしじゃ生きていけない自分が。有り得ないだろうけど捨てられそうにでもなった日には、こんな俺にしたのはお前なんだから責任もって一生俺の隣にいろと言ってやるのも悪くないだろう。

 何の反応も返さない俺に何を思ったのか灰斗は首をかしげてから力強く俺を抱き込んだ。


「好きだよ和樹、好き好き大好き」

「…灰斗」

「好き、大好き」

「灰斗」


 俺の首筋に顔を埋める灰斗の襟足の辺りをぐいと引っ張って距離をとる。きょとんとした顔で俺を見る灰斗は、それでもまだ好きだと繰り返した。

 出来た距離を埋めるように唇が合わさる直前まで顔を近づければ、流石に灰斗も口を閉じた。最後にもう一度だけ愛してると呟いて。ほぼ距離なんてないようなものだから、どちらかが唇を動かせば自然と互いのそれが触れ合う。口付けではない、でも、限りなくそれに近い。互いの吐息が絡む。


「灰斗」

「なぁに」

「キス、しろ」


 その言葉が最後まで言えたかどうか、俺には分からなかった。喉を通過したところまではたしかだけど、それが空気を震わせられたのか、灰斗の口の中に吸い込まれたのか。そんなこと気にしてられなくなったからだ。

 灰斗のキスはいつも食べられてるような気分になる。軽く合わせるだけのカワイイキスなんて存在しなくて、いつだって深く深く重ねられた唇に、口内を掻きまわす舌に、甘噛みを繰り返す歯に、全部貪られる。その割に俺の呼吸が苦しくなってくるとすぐに一度離されて、でもすぐに重ねられて。一瞬の息継ぎなんかでは到底楽にはなれないのに、俺の倍くらい肺活量のあるコイツからしたら大分気をまわしてるんだろうなと思えばそれだけで愛おしい。


「んぅ…あ、ばか…ん、ん、しつこい」

「は、もう、ちょっとだけ」

「チャイム鳴るって…んあ、の、ばか犬」


 いつの間にか座っていたベンチに横たえられて、灰斗越しに見える空が眩しい。流石にここで最後まではしないだろうけど、次の授業遅れたらまたクラスの奴等に囃したてられるんだろうなぁ。でも、気持ちよくて、俺も止められそうにない。

 覆いかぶさる灰斗の背中に腕を回して、俺はそっと目を閉じた。





躾不足は飼い主の責任です


(だから、)

(もっとがっついてくれていいのになぁ)

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