エレベーター
佐々木
第一話
いつもと同じ時間、いつもと同じ帰り道、いつもの家に帰る。ロビーを通って、エレベーターのボタンを押す。
「ちん」
乾いた音がロビーに鳴り響く。開いた扉の中は、妙に冷たかった。だがそんな事は今は関係ない、ともかく早く部屋に帰りたい。そんな気持ちだった。エレベーターの中には一人の女が一緒に乗ってきた。見慣れない顔、だがどこかで見たようなそんな気もする。
「すみません、乗ります」
彼女はか細い声でそういって、扉は閉まる。
わずかな沈黙の後、エレベーターは静かに動き始めた。
「ぎぎぎ。」
突然、エレベーターが止まった。金属の軋む音がして、僕たちの体がわずかに揺れる。だが静寂の中、薄暗い非常灯は、絶えず点いていた。
「…止まりましたね」
僕はそう呟くようにいった。
「ええ」
彼女は短く、小さな声で答えた。
天井の小さな通気口から冷たい空気が流れ込み、湿った鉄の匂いが僕の鼻を刺す。
この空気に耐えられず、僕は思わず口を開いた。
「こういうことは、初めてですか」
「…」
「えっと、僕は初めてで、いや、正確には初めてじゃない気もするんですけど…」
言葉が途切れそうになりながらも、僕は続ける。
「こういう、閉じ込められるっていうのは…その…落ち着かないですよね」
「ええ」
彼女は淡々に答える。
「でも、あの…怖いなぁとか、どうしようとか思いますか?」
「まぁ、少しは」
彼女は控えめだが、軸のある声で答える。
「僕は…いや、あの…、こういう場所にいると、どうしても動悸が早くなって、呼吸も浅くなって…ああ、変な話してしまってすみません。」
「いいえ、わかります。その気持ち。」
彼女はただ静かに頷いた。
「…前にもこんな風に閉じ込められたことがあるんです」
「え、そうなんですね」
「私、なぜか昔から、こういう経験はたくさんしてきたんです。できれば経験したくないのに」
彼女はそう言って、かすかに笑った。
僕はその笑い方に、どこか懐かしさを感じた。けれど思い出せない。僕はいつ、どこで誰と、そんな思い出を過ごしたのだろうか。
非常灯の下、薄暗い空間の中で、時間だけがゆっくりと伸びていく。息を吸う音がやけに大きく聞こえる。不意に、胸の奥がざらついた。
平凡な毎日だった。
朝は同じ時刻に目を覚まして、歯を磨き、湯を沸かし、コーヒーを淹れる。テレビでは、誰かの訃報と今日の天気。会社では当たり障りのない会話。昼は決まって、近くの定食屋の日替わり定食。夕方には、また同じ道を歩き、自動販売機の前で一瞬立ち止まる。夜、部屋に戻ると食卓の向かい側はいつも空いている。
静かで、何も起こらない一日。それでいて、何かが確実に軋み続けている音が、胸の奥でなっていることを、僕は無視し続けた。
僕はそれが、「寂しさ」なのか「罪悪感」なのか、または別のものなのか、もう区別がつかなくなっていた。
ただあの日、君が最後に静かになった夜のことだけは、今も断片のように残っているのに。
エレベーター 佐々木 @Tzinkle
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