第47話 陰キャ、自分自身との対話 ーそれは果たして意味はあるのかー

 ファミレスを出た頃には、すっかり夜になっていた。

 

 空には星が瞬き始めている。街灯の明かりが歩道を照らし、時折通り過ぎる車のヘッドライトが闇を切り裂く。


 四人は駅に向かって歩いている。不知火先輩は少し疲れた様子で、いつもより歩くペースがゆっくりだ。試合で全力を出し切ったのだろう。それでも笑顔は絶やさない。


 瀬良先輩は相変わらず優雅な足取りで、夜の街を歩いている。その姿は、まるで夜の女王のようだ。街灯の光が彼女を照らすたびに、黒髪が艶やかに輝く。


 浅葱は元気いっぱいで、少し先を歩いたり、俺たちのところに戻ってきたりを繰り返している。その動きは、まるで子犬のようだ。


 そして俺は――三人の少し後ろを歩いている。


 いつもの位置。安全な距離。

 

 前に出すぎず、離れすぎず。それが俺のポジションだ。


 夜風が頬を撫でる。少し冷たい風が、心地いい。昼間の暑さが嘘のようだ。


 俺は今日一日を振り返る。


 朝、体育館に行って。不知火先輩の試合を見て。ファミレスでご飯を食べて。


 普通の人にとっては、何てことない一日かもしれない。

 

 でも、俺にとっては――特別な一日だった。


 陰キャの俺が、誰かの応援に行く。

 

 誰かと一緒にご飯を食べる。

 

 誰かと笑い合う。


 そんなことが、できるようになった。


「……変わったな」


 また同じことを考える。


 でも、これは悪い変化じゃない。

 

 多分。


 そう思いたい。


「高一くん、遅いよー!」


 浅葱が振り返って手を振る。

 

 その笑顔が、街灯の光に照らされて輝いている。


「今行く」


 俺は少しだけ歩くペースを上げた。


 ※ ※ ※


 駅の改札前で、四人は立ち止まった。

 

 ここで別れることになる。


 不知火先輩と瀬良先輩は同じ方向。浅葱は別の路線。そして俺も、また別の路線だ。


 改札から漏れる光が、四人の顔を照らしている。人の流れが途切れることなく続いている。週末の夜、駅は賑やかだ。


「今日は楽しかったね」


 不知火先輩が満足そうに言った。

 

 その表情には、疲労と充実感が混ざり合っている。


「ええ。とても」


 瀬良先輩も頷く。


「また行きたいね、みんなで!」


 浅葱が元気よく言う。


 三人の視線が、俺に向けられた。

 

 期待を込めた眼差し。


「……ああ、まあ……時間があればな」


 俺は曖昧に答えた。

 

 素直に「また行きたい」とは言えない。それが俺の性分だ。


「ふふ、素直じゃないわね」


 瀬良先輩が微笑む。


「べ、別に……」


「可愛い」


「可愛くない!」


 俺の反論に、三人は笑った。


 その笑い声が、駅の喧騒に溶けていく。


「じゃあ、また月曜日ね」


「うん、また月曜日!」


「……ああ」


 短い別れの挨拶を交わして、それぞれが改札に向かう。


 不知火先輩と瀬良先輩が先に改札を通る。その背中を見送って、浅葱も改札に向かおうとした時――。


「あ、高一くん」


 浅葱が振り返った。


「ん?」


「今日、ありがとうね」


「……何が?」


「一緒に来てくれて」


 浅葱は少し照れくさそうに笑った。


「高一くんがいてくれて、楽しかった」


 その言葉に、俺は――何も言えなかった。

 

 ただ、頷くことしかできなかった。


「じゃあね!」


 浅葱は手を振って、改札を通っていった。


 俺は――その背中を見送った。


 しばらくその場に立ち尽くしていた。

 

 駅の喧騒が、遠くに感じる。


「……楽しかった、か」


 小さく呟く。


 俺も――楽しかった。


 それは認めざるを得ない。


 素直には言えないけど。


 俺も改札を通った。

 

 ホームに向かう階段を下りる。電車を待つ人々が、ホームに並んでいる。


 俺もその列に加わった。


 電車が来るまでの数分間。

 

 俺はスマホを取り出した。


 グループチャットに通知が来ている。


『今日はありがとう! 楽しかったよ!』


 不知火先輩からのメッセージだった。


『こちらこそ。お疲れ様』


 瀬良先輩が返信している。


『私も楽しかった! また行こうね!』


 浅葱も返信していた。


 俺は――少し考えて、返信した。


『お疲れ様でした。試合、かっこよかったです』


 送信ボタンを押す。


 数秒後、返信が来た。


『ありがとう! また来てね!』


 不知火先輩からだった。


『ええ。次も楽しみにしてるわ』


 瀬良先輩からも。


『高一くん、素直になってきたね!』


 浅葱からも来た。


「……素直じゃない」


 俺は小さく呟いた。


 でも――少しだけ、笑っていた。


 電車が到着する音が聞こえた。

 

 ドアが開く。人々が乗り込んでいく。


 俺もその流れに乗って、電車に乗り込んだ。


 ※ ※ ※


 帰りの電車の中。

 

 俺は窓際の席に座っていた。


 窓の外には、夜景が流れていく。ビルの明かり、住宅の窓から漏れる光、信号の色。全てが流れ星のように過ぎ去っていく。


 車内は静かだった。

 

 週末の夜にしては、人が少ない。数人の乗客が、それぞれスマホを見たり、眠ったりしている。


 俺は窓に映る自分の顔を見た。


 少し疲れた顔。

 

 でも――悪い顔じゃない。


 むしろ、どこか満足げな表情をしている。


「……俺、変わったな」


 三度目の独白。


 でも今回は――嫌な気持ちじゃなかった。


 昔の俺なら、こんな休日は過ごさなかった。

 

 部屋に引きこもって、ゲームをするか、小説を書くか。それが俺の休日だった。


 でも今は――。


 誰かと一緒にいる。

 

 誰かと笑い合う。

 

 誰かのために時間を使う。


 それが、当たり前になっている。


「……これが、青春ってやつなのか」


 窓の外を見ながら呟く。


 答えは出ない。

 

 でも――悪くない。


 そう思えた。


 スマホが震えた。

 

 また通知が来ている。


 今度は個別メッセージだった。

 

 瀬良先輩からだった。


『高一くん、今日は本当にありがとう。優花、とても嬉しそうだったわ』


 その文章を読んで、俺は少し考えた。

 

 そして、返信した。


『こちらこそ。楽しかったです』


 素直に。


 送信ボタンを押した。


 数秒後、返信が来た。


『ふふ、素直になったわね』


『……たまには』


『そう。じゃあ、またね』


『はい、おやすみなさい』


 メッセージのやり取りを終えて、俺はスマホをしまった。


 電車が次の駅に到着する。

 

 数人の乗客が降りていく。


 俺は――まだ座ったままだ。


 あと三駅で、俺の降りる駅だ。


 窓の外を見る。

 

 夜景が、相変わらず流れている。


「……明日は、何しようかな」


 そう考えている自分がいた。


 昔なら、「一人で何しようかな」だった。

 

 でも今は――。


「みんなと、何しようかな」


 そう考えている。


 完全に――変わってしまった。


「……まあ、いいか」


 そう呟いて、俺は笑った。


 陰キャの俺の青春ラブコメは、まだまだ続く。

 

 そして――これからも、きっと楽しい日々が待っている。


 電車が、俺の駅に到着した。

 

 ゆっくりと立ち上がり、ドアの前に立つ。


 ドアが開く。

 

 夜の冷たい空気が、車内に流れ込んでくる。


 俺は――一歩、踏み出した。


 家に向かって、歩き始める。


 今日という日を――胸に刻みながら。

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