第32話 陰キャ、自論が覆される時 ーこの世界に勝者も敗者も関係ありませんー

 この世界には勝者と敗者が存在していた。

 

 勝者は全ての権利――いわゆる人生生活の楽しさを得て、敗者はその真逆だ。

 

 俺にとってその考えは揺るぎないもので、絶対的な理論であった。

 

 ――だが、それは今覆されようとしていた。


「お兄、最近元気ないけど大丈夫?」


 朝食を食べながら、柚葉が心配そうに聞いてくる。


「大丈夫じゃない。全くもって大丈夫じゃない! 助けてくれ! Help me!」


 俺は机に突っ伏した。

 

 俺の脳裏には、数日前から続くテスト勉強という名の拷問の記憶が蘇る。

 

 その拷問はとてつもなく非情で、単語を数百、古文や数学などの分かりにくい問題を、問題構造が分かるまで勉強させられた。

 

 瀬良先輩の容赦ない指導。不知火先輩の爽やかな笑顔での詰め込み教育。浅葱の「頑張れ〜!」という応援。

 

 全てが俺を追い詰めてくる。


「な、なんか大変だね、お兄……」


「俺、今日学校休もうかな……」


「ダメだよ、お兄! 休んだらお母さんから殺されるよ?」


「そ、それはそれで……いや、生き地獄を食らうくらいならいっそ即殺された方が……」


「お兄、一体何があったの?」


 困惑する柚葉。

 

 俺は半ば諦め状態で立ち上がり、重い足取りで玄関に向かった。

 

 ぼっち生活、孤高、孤独として生きてきた俺には、この生活は果てしなく長い道のりだ。

 

 いや、もうぼっちじゃないけど。


「……行きたくない」


 玄関の扉の前で、俺は立ち止まった。

 

 この扉の向こうには、地獄が待っている。


「お兄、行かないと遅刻するよ?」


「遅刻してもいい……いや、遅刻したい……」


「何言ってるの! ほら、行った行った!」


 柚葉に背中を押され、俺は玄関の扉を開けた。


 そして――。


「あ! おはよ! 高一くん!」


「おはよう、高一くん」


 聞きたくもない悪魔のような声が聞こえた。

 

 俺の体が身震いする。

 

 俺の脳裏に刻まれたのは『絶対死』という言葉。

 

 や、ヤバい。気分が悪くなってきた……。


 玄関の前には、瀬良先輩と不知火先輩が立っていた。

 

 二人とも爽やかな笑顔を浮かべている。

 

 だが、その笑顔が今は悪魔にしか見えない。


「な、なんでここに……」


「決まってるでしょう? 一緒に登校するためよ」


「登校しながら勉強するの!」


 不知火先輩が元気よく言う。

 

 その言葉に、俺は絶望した。


「登校しながら勉強……?」


「ええ。時間は有効に使わないとね」


 瀬良先輩が優雅に微笑む。


「さて、今日も今日とてテスト勉強しながら行きましょうか」


「私も手伝うから安心してね!」


「お兄! モテモテじゃん! 凄い!」


 柚葉が羨ましそうに言う。


 この人たちには脳みそが詰まっているのかな?

 

 特に柚葉、お前のその発言はほぼ俺を死に追い込むような言葉だぞ。

 

 周りからの殺意に満ちた視線が突き刺さるじゃないか。


「じゃあ、行きましょう」


「ちょ、待って――」


 俺の抵抗は無視され、瀬良先輩と不知火先輩に両腕を掴まれた。


「嫌だァ! 死にたくなぁい! 死にたくなぁい!」


 俺の叫びは、朝の住宅街に響き渡った。


 ※ ※ ※


 登校中。

 

 俺は二人の美少女に挟まれて歩いていた。

 

 周りからの視線が痛い。殺意レベルで痛い。


「じゃあ、昨日覚えた英単語。10個言ってみて」


「え、今ここで!?」


「当たり前でしょう? いつやるの?」


「今でしょ! じゃないです!」


 俺のツッコミに、二人はクスクスと笑った。


「ほら、早く」


「わ、分かりました……えっと……」


 俺は必死に記憶を辿る。

 

 道行く人々の視線を感じながら、英単語を言い始めた。


「……embarrassing(恥ずかしい)」


「そうね。今の高一くんの状況にピッタリね」


「ぴったりじゃないです! つーか、これ完全に公開処刑じゃないですか!」


「公開処刑じゃないわ。公開授業よ」


「同じです!」


 俺の叫びに、不知火先輩が笑う。


「高一くん、面白いね」


「面白くないです! 必死なんです!」


 そんな会話をしていると、前から浅葱が走ってきた。


「あ! 高一くん! 先輩たち!」


「浅葱……」


「おはよー! 今日も一緒に登校だね!」


「浅葱も参戦するのか……」


 俺の絶望は深まった。


「じゃあ、私も英単語クイズ出すね!」


「マジで!?」


「マジだよ! えっとね、"despair"って何?」


「……絶望」


「正解! じゃあ次、"hopeless"は?」


「……希望がない」


「正解! 高一くん、今の気持ちを英語で表現できてるね!」


「それ褒めてないから!」


 俺のツッコミに、三人は笑った。


 こうして、俺の地獄の登校は続いた。


 ※ ※ ※


 学校に到着。

 

 俺はもうボロボロだった。


「お疲れ様、高一くん」


「お疲れ様じゃないです……もう限界です……」


「でも、ちゃんと答えられてたじゃない」


「それは……まぁ……」


 確かに、答えられた。

 

 勉強の成果が出ているのかもしれない。


「じゃあ、お昼休みも一緒に勉強しようね」


「お昼休みも……ですか……」


「当たり前でしょう?」


 瀬良先輩が笑顔で言う。

 

 その笑顔が、相変わらず悪魔に見える。


「それじゃあ、また後でね」


 三人は颯爽と去っていった。

 

 残された俺は、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「……俺、生きて帰れるかな」


 そう呟いた時、クラスメイトの男子が声をかけてきた。


「高一……お前、凄いな」


「何が……」


「瀬良先輩と不知火先輩と一緒に登校とか……羨ましい……いや、同情する」


「同情してくれ……マジで死にそうなんだ……」


 俺は机に突っ伏した。


 テストまで、あと2日。

 

 俺は生き残れるのだろうか。


「……いや、生き残ってみせる」


 俺は拳を握った。

 

 ここまで来たら、もう後には引けない。


「よし……やってやる……」


 そう呟いた時、教室の扉が開いた。


「高一くーん! 朝の小テストの時間だよー!」


 浅葱の元気な声が響いた。


「朝の小テスト!?」


「うん! 瀬良先輩から預かってきたの!」


 浅葱はそう言って、プリントを差し出した。


「……俺の平穏な朝、どこ行った」


 俺の嘆きが、教室に響いた。


 ――だが、不思議と嫌じゃなかった。

 

 疲れるし、大変だし、死にそうだけど。

 

 でも――悪くない。


 そんなことを思いながら、俺はプリントを受け取った。

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