第1部 終章 エピローグ 金の雨、風の街に
王都に、雨が降っていた。
やわらかく、静かに、路地の石畳を洗うように。
ルカ・アシュベルは、古い倉庫の屋根の下に立っていた。
数ヶ月前まで、誰も見向きもしなかったこの場所が、
今では“自由市場本部”として生まれ変わっている。
人々の声が、雨音の向こうから響く。
「入荷したぞー!」「この札、もう信用印ついたか?」
笑いと喧噪、そして熱。
それは金のためではなく、
“自分の手で立つ”という喜びの熱だった。
「ルカさん、こちらの報告書です」
エリシアが帳簿を抱えて駆け寄る。
彼女の髪にも、雨粒が少し跳ねていた。
「西区の市場でも、“共信札”の流通が始まりました。
今月だけで登録商人が四百を超えています!」
「……四百か」
ルカは微笑む。
「思ったより早いな。王都も、変わり始めてる」
「はい。……でも、やっぱり心配です」
エリシアの声が少し震える。
「リオ・カディスが、黙ってるわけない」
ルカは黙って窓の外を見つめた。
灰色の雨が、まるで新しい時代を試すように降り続けている。
「彼は……また動く。きっと」
「なら、どうするの?」
「戦うよ。でも今度は、俺だけじゃない」
ルカは微笑んだ。
「“自由市場”そのものが、盾になる」
夜。
倉庫の灯が消え、静寂が戻る。
ルカは机の上の“共信札”を一枚取り上げた。
裏面には、細い筆致で一つの署名が刻まれている。
――リオ・カディス。
あの日、彼が壇上で残した唯一の書面。
自らの敗北を認めた証。
だが、ルカは破り捨てなかった。
「いつか、同じ場所に立てる気がする」
「敵として?」
背後からエリシアの声。
「……商人として、かな」
ルカは小さく笑った。
「彼の商才は本物だ。だから、怖いんだ」
雨が止んでいた。
外に出ると、石畳が鏡のように光っている。
空には雲の切れ間から、金色の月が覗いていた。
「……見てろよ、リオ」
「俺たちは、もう“下”じゃない」
その頃――
王都北方の屋敷に、一人の影が立っていた。
「……あの男、やはりただ者ではない」
リオ・カディス。
ワインを傾けながら、静かに呟く。
手元には、王国地図と数枚の報告書。
「自由市場は、すでに国境を越え始めている。
地方都市でも“信用取引”が始まったようです」
部下の報告に、リオは唇を吊り上げる。
「やれやれ……理想ってのは、病のように広がる」
彼は椅子に深く腰掛け、天井を見上げた。
「潰すのは簡単だが……今のままでは、俺が負ける」
指先で赤いワインを揺らしながら、
ゆっくりと呟く。
「――なら、奪うまでだ。“理想”ごと」
その言葉が、暗い屋敷に沈んでいった。
朝。
新しい日が、王都の街を照らす。
市場に立ちこめる朝靄の中で、
ルカは胸の奥に、確かな熱を感じていた。
戦いは終わっていない。
だが、初めて“希望”が形になった。
金でも、地位でもない。
人と人が結びつく、目に見えない糸。
それをルカは――
“商いの心”と呼んだ。
そして、まだ見ぬ風の彼方へと、
歩き出した。
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