第12話:幻影ギャンブル街

 ——光が、ゆらめいた。


 ルナの導きで進んだ地下通路の先に、

 淡い紫の霧が漂う世界が広がっていた。


 そこは《深層ギャンブル区・第二層》。

 通称幻影ギャンブル街


 地上のような喧騒はない。

 代わりに、耳鳴りのような音が空気に溶けていた。

 誰もが笑っているのに、どこか虚ろ。

 まるで夢の中に閉じ込められたような街。


「……ここが、“幻影”ってわけか」


 烏丸鴉真(からすま・あすま)が呟くと、

 隣でミラ・ヴェルティアがそっと頷いた。


「視覚も聴覚も、何かに干渉されています。

 まるで“勝負の場そのもの”が幻覚みたい」


 黒猫のロットが肩の上で尻尾をぴんと立てる。


「オレ、嫌な感じがするぜ。

 空気のツキが、めちゃくちゃにかき混ぜられてる」


「上等だ。ツキが暴れてる場所ほど、勝負の匂いが濃い」


「……それを“いい匂い”って言うの、アンタだけだよ」


 ミラが小さくため息をつく。

 それでも、口元には微笑が浮かんでいた。



 通りを抜けると、道の中央に巨大な鏡が立っていた。

 鏡の中では、人々が賭けをしている。

 ただし——現実の客たちは動いていない。


「幻覚の中で、勝負してるのか……?」


「ええ。ここでは《幻映賭博(ヴィジョン・ゲーム)》が行われます」

 ルナが静かに言う。

 先ほどの勝負の後、彼女は案内役として同行していた。


「プレイヤーは意識ごと“幻影”に入って勝負します。

 負ければ、そのまま夢の世界に取り込まれる」


「つまり、夢の中で賭けて、負けたら現実から退場……」


「はい」


「……最高だな」


「どこがですか!?」

 ミラが振り返る。


「命懸けの勝負が連続してるんですよ!?

 普通、怖くないんですか?」


「怖い? ああ、怖いな。

 だから、心臓がこんなに楽しく跳ねてる」


「……ほんと、病気ですね」


「ギャンブルは病気じゃねぇ、人生の燃料だ」


 ロットが苦笑して呟く。


「はいはい、賭け狂いの燃料補給タイムね」



 その時、霧の向こうから声がした。


「おやぁ……新顔か?」


 現れたのは、ピエロのような男だった。

 白塗りの顔に赤い帽子、腰には無数のカード。


「俺は《幻影商人クラウン》。

 ここの《幻映賭博》を仕切ってる」


「商人、ねぇ。何を売ってんだ?」


「“勝負する勇気”と、“勝った時の幻”。

 まぁ簡単に言えば、夢そのものだな」


 クラウンはカードを一枚抜き、宙に放った。

 そのカードが光となって、彼の背後に勝負台を作り出す。


「遊びに来たんだろ? 一勝、やってく?」


「内容次第だ」


「ルールは簡単。

 お互い、自分の“記憶”をチップ代わりに賭ける」


 ミラの顔が強張る。


「記憶を……賭ける?」


「負けた方の記憶が、勝者の“幻”になる。

 そうやってこの街は、他人の夢で出来てるのさ」


「面白ぇ。賭けよう」


「おいおい、即決かよ!」

 ロットが叫ぶが、鴉真はもう席に着いていた。


 クラウンの笑みが広がる。

 手元のカードが赤く輝く。


「じゃ、始めようか。

 《幻映トランプ》——開幕」



 カードが宙に浮かび、二人の間に投影される。

 それぞれが一枚ずつ選ぶ。


「お題は“記憶の価値”」


「記憶の価値、だと?」


「そう。“どの記憶を賭けるか”で、運の重さが変わる。

 例えば——俺は“初めて負けた日”の記憶を賭ける」


 クラウンの周囲がふっと霞む。

 その瞬間、彼の瞳にほんの一瞬だけ“空洞”ができた。


「お前は?」


 鴉真は考え、

 軽く口の端を上げた。


「じゃあ、俺は“初めて勝った日”を賭ける」


「……!」

 ルナが驚きの表情を見せた。


「そんな……最初の勝利の記憶は、あなたの根幹じゃ……!」


「根幹? そんなもん、また勝ちゃいいだけだ」


「ふふ、最高だねぇ。

 じゃあ、賭け成立」


 カードが光り、二人の頭上に映像が浮かぶ。

 過去の記憶——

 鴉真の少年時代、初めてのギャンブル。

 古びた雀荘、安っぽい賭け。

 けれど、その時の笑顔は今と同じだった。


「ツキを信じた瞬間の顔だ。……悪くねぇな」


「黙れ。勝負に情けは不要だ」


 鴉真がダイスを取り出す。


「スキル発動——《ギャンブル》」


 銀の閃光。

 幻のカードが一気に回転し、数値が乱れる。

 クラウンのカードは“7”、鴉真のカードは“J”。


「上だ……俺の勝ちだな」


 クラウンの体がぐらりと揺れる。

 赤い霧が立ち上り、彼の記憶が空中に散っていく。


「負けた……? 俺が……?」


「負けるのも勝負の内だ」


 鴉真が手を差し出した。

 クラウンは一瞬ためらい——笑ってその手を取った。


「はは……いい勝負だったよ、ツキの王。

 この街の幻は、お前に譲る」


 霧が晴れていく。

 周囲の幻が消え、街並みが静かに形を変えた。



「勝ちましたね」

 ミラが微笑む。


「ああ。悪くない夢だった」


「記憶を賭けるなんて……本当に無茶苦茶ですよ」


「勝てば取り戻せる。

 それが俺の流儀だ」


 ロットが肩の上で伸びをする。


「まったく……こっちの寿命が減るぜ」


「安心しろ。お前は死なねぇ」


「そういう意味じゃねぇ!」


 三人のやり取りに、ルナが穏やかに口を挟む。


「この第二層を抜けたあなたには、

 次の“最後の層”に挑む資格があります」


「最後の層?」


「《運喰い》が棲む場所——第三層、《虚無カジノ》。

 あなたのツキが本物なら、そこでも勝てるでしょう」


「“運喰い”か……ようやく核心に近づいたな」


 鴉真の瞳に、またあの光が宿った。

 彼にとって“終点”とは、常に次の賭場のことだった。

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