第2話 がるるるるる
「がるるるるるるる!」
「私は獣をペットにするとは一言も言ってませんが。十至天の後見人をすると言ったのです。誰が野獣を連れて来いと」
「いやだなぁ~。これがリュカオーン様ですよ。じゃあ、俺はこれで!」
男はそれだけ言い残して颯爽と去っていた。
残されたのは二人。リュカとその後見人(予定)の伯爵、リオル・オースティンだ。リオルは長い亜麻色の髪が特徴の美丈夫だ。歳はすでに40を超えているというのにその見た目は20代と言われても疑う者はいないだろう。
細く切れ長の目を伏せ、呆れたようにため息をつく。
「がう!」
「こら!噛むんじゃない!!!!」
*
エマヌエル山脈の麓の街で合流したリオルとリュカは街にある別邸にいた。今後について話をしたいリオルだが警戒を緩めず低く唸っていて話のできる状況ではない。
来年の春から入学する王立学校は貴族の子息や商会の跡継ぎ、騎士や魔術師の息子など金持ちの子供が集まる学校であり、それ相応の礼が求められる。
しかし、目の前で低く唸っている少女にそれがあるとは思わなかった。
リオルは再び深くため息をついた。
「…暑い」
「当たり前でしょう。今は夏ですよ。そんな格好していて暑いに決まっているじゃないですか。エマヌエルとは違うんです」
エマヌエル山脈の5合目より上はかつて住んでいた銀嶺の龍王の残間力の影響で常に雪が降り、寒さの厳しい地域になっている。
そのため、リュカは動きやすい服の上に常にファー付きフードのついた上着を着ていた。脱いで凍死しかけたのがトラウマなのである。
「……おい、彼女にてきとうに服を見繕ってやりなさい。昔、イザベルが来ていた服があるでしょう」
呼ばれた執事は一礼し、リュカを観察する。ある程度のサイズを瞬時に目測し、噛みつかれる前に退室した。
「中等部のころに来てた服が…いや、それでもでかいか?」
リュカは今年、15の歳だが同年代に比べて明らかに発育が悪い。身長も150センチはないだろう。胸周りも絶壁である。
リュカオーンという名前も相まって、その美貌がなければ男と間違えられそうなほどだ。
「失礼します。いくつか見繕ってきました」
「ご苦労。メイドを呼んできてドレスルームに案内しなさい」
「お言葉ですが、先ほどリオル様が噛みつかれたのを見ているため皆、怖がっております。かくいう、私めもいつ噛みつかれるか気が気でありません。退室しても?」
「許可すると思っているのですか?お前が案内しなさい」
露骨に嫌な顔をする執事に「減給にしますよ」と言えばようやく執事は動いた。渋々だが。
「初めまして、リュカオーン様。私、執事のダドリーと申します」
「がるるるるる!」
「無理でございます」
「諦めることは許されませんよ」
「失礼を承知で申し上げてもよろしいでしょうか?恐らくですがリオル様は十天のリュカオーン様ではなく人型の魔物を拾ってきたのかと。それであれば、人語を発しないのにも納得がいきます。この爺めが責任をもって元の場所へと返してきましょう」
「その必要はありません。そこの獣じみた娘がリュカオーンだと確認をとっています。取違の心配はありませんよ」
再びダドリーは表情を歪める。長い間、オースティン家で執事をしてきた彼は多くの客人をもてなしてきた。その中にはまだ身分の低かったリオルを見下す者や娘のイザベルに下卑た欲望に満ちた視線を向ける者もいた。
そんな客人たちに対しても機嫌を損ねることなく完璧に対処してきた。だからこそ、リオルも信頼を寄せている。だが、こればっかりはもうどうしようもない。言葉が通じないのだから。
「はぁ…下がりなさい。もうすぐ昼ですので食事を用意するように伝えなさい」
「かしこまりました」
ダドリーが退出したのを見届けて、本日何度目か分からないため息をつく。さて、どうしようかとこれからの計画を練り直そうとカレンダーに目を向けたとき唸り声が止んでることに気づいた。
見ればソファの上にお座りしており、ないはずの耳としっぽが幻視できた。
「…ちなみに本日の昼食はサイモン牛のシャリアピンステーキですよ」
「な、なんだそれは…!」
初めて聞く言葉に驚愕する。基本的にリュカの料理は焼くか煮込むかなのでひと手間加える発想がない。
その上、エマヌエル山脈には牛がおらず、たまにダレイオスがとってきてくれるのが嬉しかった。大好物なのだ。よだれがあふれてくる。ぶんぶん振ってるしっぽも止まらない。
「ハティ達にもあるのか!?」
「ハティ?…ああ、あの狼たちですね。では、サイモン牛のステーキを3枚用意させましょう。その代わり、話をしていただけますね?」
ぶんぶんと勢いよく首を振るリュカを見て、ようやく安堵の息を吐く。それと同時にこんな簡単なことで懐柔できるのかと愕然とした。
「用意に少し時間がかかりますので、先に湯浴みを。案内役をつけさせますのでくれぐれも吠えない、唸らない、噛みつかない。いいですね?」
「分かった!!」
*
風呂から上がってきたリュカを見て、リオルは驚いた。
ぼさぼさだった銀髪は梳かれ、クセがあるものの綺麗に整えられていた。長旅での汚れも落ち、栄養不足での不健康さは見られるがそれでも十分な美少女だ。
美男美女の家系で知られるオースティン家にいてもおかしくない。それどころか、栄養さえしっかり取って健康になれば浮世離れしたその美貌はオースティン家の中でも頭一つ抜けているかもしれない。
「見れるようになったじゃありませんか」
もちろん素直にほめることはないが。
イザベルのお下がりの淡い青のドレスを窮屈そうに身悶えしている。蒼の双眸とドレスに綺麗な銀髪が映え、よく似合っている。
もちろん、リオルは口には出さない。
「ほっほっほ。見違えましたな。おきれいですよ、リュカオーン様」
しかし、リュカは特に見た目に頓着しないので誉め言葉をスルーし、案内さえた席に着く。順に給仕されていくステーキに心を躍らせフォークを握り、今か今かと心待ちにしている。
「サイモン牛のシャリアピンステーキ…で、す…」
メイドが話し終わる前にフォークを突き刺し、そのままかぶりついた。
「…テーブルマナーも教えなくてはなりませんが、まあ、今日は良いでしょう」
先ほどの会話ができない問題に比べれば、テーブルマナーなど些末な問題だ。すでに講師は用意してある。入学前には様になるだろう。
余談だが、リオルは貴族の中でもテーブルマナーや食べ方は非常にきれいで食べているだけで絵になると言われている。そのため、美貌とも相まって婚約前は令嬢からの食事のお誘いが途絶えたことはなかった。
リュカはすぐに一枚、平らげると「おかわり!」と皿を控えているメイドへと渡す。
これからの半年間、オースティン家は跳ね上がった食費に頭を痛めることになるのだがまだ知る由もないリオルは上機嫌にステーキにナイフを入れた。
「それでは、これからのことについて話しましょうか」
場所をリオルの執務室へと移し、これからの計画を話す。
入学は年が明けてからの4月。時間は十分にあるように見えるが、やることの多さを見れば全く足りない。
これから、貴族としてのマナー。中等部までの教育。魔術の勉強。戦闘訓練。その上…
「3日後には十天会議があります。多くの方が欠席するようですがあなたは必ず出席するようにとお達しです」
「むぅ…」
嫌そうな顔はするものの拒否はしない。食事を与えてから見るからに態度が軟化している。扱いにくいのは困るが、ここまで扱いやすいのも困る。見知らぬ人についていくことはないと思いたいが…。
「では、確認事項はこれで以上ですが、何か質問は?」
「お前の望みはなんだ」
「は?」
唐突な逆質問にリオルは目を丸くする。状況と聞いていた情報から推測するならば食事をいただいたことに対する恩返しなのだろう。
「食事に関する恩返しなら結構ですよ。すでにあなたの後見人になることに対する報酬はいただいていますから」
「それは俺が納得できん!」
「なにをそんな食事ごときで…」
そこまで言ってリオルは自分の失言に気づいた。生まれてから貴族だったリオルは当たり前にご飯が出てきたし、飢えなんて経験したことはない。
だが、リュカに当たり前はなかったはずだ。飢えた日もあった。凍えた日もあった。
そんな彼女に『食事ごとき』は失言だ。
「失礼。大変失言でした。ですので、お望み通りお願いを一つ。できれば学校へ行っても問題を起こさないでいただければ…」
「…まあ、善処する。一飯の恩だからな」
「ええ、期待していますよ」
*
龍王ダレイオスは困っていた。
きまぐれに人間の子供を拾ったはいいが、苦難に直面してばかりだ。己の爪は子供を洗うのには適さない。食事だって作れない。寝床だって作らなければこの厳寒な環境じゃ人間は生きていけない。
そして、たった今直面しているのが食料調達の問題だ。
エマヌエル山脈の長であるダレイオスはその魔力量も膨大で抑え、隠すことができない。そもそも、必要性も感じなかったので鍛錬をしたこともない。
しかし、大抵の獲物はその膨大な魔力にビビり姿を隠してしまう。稀に強力な魔物が下剋上を狙って挑みに来るがそれも数十年に一回レベルの稀さだ。
そのため最近は、エマヌエル山脈を離れ魔力感知の鈍い魔物や人間に買われてる家畜を狙っていた。だからこそ、しくじった。
街を守る英雄ギデオンと3日3晩の戦闘になった。獲物を掴み、すぐに逃げようとするも雷魔術に翼を焼かれた。牙を砕かれ、爪を折られ、それでもギデオンたちを撃退し、己の巣へと戻る頃には3日が経っていた。人間の子供は脆弱だ。寒さでも飢えでもすぐに死ぬ。巣に降り立った時、リュカの姿は子供の姿は見当たらなかった。
『娘!おい娘!いるならば返事をしろ!!』
返事はない。雪に埋もれたか?
年中雪の降る厳しいエマヌエル山脈だ。吹雪の日は数メートル雪が積もることだってある。
『魔法で吹き飛ばすか?いや、あの娘も巻き込みかねない…」
他に方法もなく必死に鉤爪で雪を掻くダレイオスを突如現れたロボが鼻で笑う。かの龍王がみっともないと。しかし、ダレイオスもそれどころじゃない。
『今はそれどころじゃない!後にしろ!』
「おじーちゃん…」
『娘!今までどこに…!…そうか、ロボのところに』
恐らくダレイオスが帰ってこなかったため娘を気にして様子を見に来たのだろう。それどころか、食事まで与えてくれたのか飢えた様子もない。
「ぐるぅ!」
『ああ、すまぬ。いつかこの借りは返そう』
ダレイオスの言葉に満足したのかいくつか獲物を残し、踵を返し去っていった。
安堵したダレイオスは娘に顔を近づける。傷もなければ汚れも落ちている。
「あのね、おじーちゃん。あの狼さんがご飯くれたの。お風呂にも入れてくれたし、いっぱい遊んでくれたの!」
『そうか…。よかったのう。遅くなってすまなかったな、娘』
「ううん!楽しかったから!」
久しぶりに見た笑顔につられてダレイオスも顔を綻ばせる。
さて、ここまでしてもらったからには礼を返さなくてはいけない。と言ってもあの狂狼に望みがあるとは思えないが。
そうだ。これを期に教訓として娘に大事なことを伝えていくことにしよう。
『よいか?娘よ。恩は必ず返さなくてはならない。それが一飯の恩ともなればなおさらだ』
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