end of life それは走馬灯のように<スピンオフ>
かわまる
第1話 ―卒業後のふたり、愛と夢の記憶―
春の風がまだ冷たい三月末。間鳥居工業高校を卒業した三重敬と如月萌は、それぞれの家を出て、古びたアパート「すずめ荘」での新生活を始めた。
家賃四万円。木造二階建て、風呂なし六畳一間。陽の当たる窓辺には、二人の洗濯物が並ぶ。年老いた大家夫婦が営むこのアパートは、どこか懐かしい空気を漂わせていた。
「ただいま!萌!」 「敬ちゃん!おかえりなさい」
バイトから帰る敬を、萌はいつも笑顔で迎える。敬はスーパーのバックヤードで荷物整理の仕事、萌は喫茶店でウェイトレスをしていた。日々は地味で、そして苦しかった。
けれど二人は、同じ夢を見ていた。敬は絵本作家に、萌はぬいぐるみ作家になりたい――。
ある日、ドアを叩く音がした。 「萌ちゃん、煮物作りすぎたんでね。おすそ分けだよ」
それは大家のおかみさんだった。
「ありがとうございます。いつも……」
おかみさんの目が、部屋の片隅に並べられたぬいぐるみに留まった。 「可愛いねぇ、萌ちゃんが作ったのかい?」
「はい。私、将来ぬいぐるみ作家になりたくて」
「そうかい。今度、孫が遊びに来るんだ。もしよかったら、その子にぬいぐるみを作ってくれないかね?」
「もちろん!どんな子ですか?」
「四歳になる女の子。元気でね、よく笑うんだよ」
萌の目が輝く。夢が、小さな現実として目の前に差し出された瞬間だった。
数日後、ぬいぐるみを手渡すと、おかみさんは目を細めた。 「これはきっと、あの子、気に入るよ」
その夜。
「萌、大家さんにぬいぐるみ頼まれたんだって?」 「うん。ちょっと緊張したけど、すごく嬉しかった」
「良かったな。あの人たち、俺たちのこと、何かと気にかけてくれてるよな」
「うん。だから私も、自分の手で、少しでもお返ししたいなって思う」
「……なあ、萌。今日、店長に社員にならないかって言われたんだ」
萌の手が止まる。 「それで……どうするの?」
「まだ返事はしてない。でも……俺、時間を奪われるのが怖いんだ。夢が……遠ざかってしまいそうで」
萌は、静かに敬の手を握った。 「私はね、貧しくても平気。でも、敬ちゃんが夢をあきらめるのは嫌なの。あなたの苦しむ顔だけは……見たくない」
「萌……」
「私たちは、夢のために一緒に暮らし始めたんでしょ?だったら、今はその夢を信じようよ」
敬は大きく頷いた。 「ありがとう。じゃあ、今まで通り頑張るよ」
春の終わり。
大家のおかみさんが、また萌を訪ねてきた。
「この間のぬいぐるみ、本当に孫が喜んでね。それでね、こんなチラシがあるの。どうかしら?」
それは、町内で開かれるフリーマーケットのチラシだった。参加費は五百円。自由参加。
「私、出てみようかな」 「そうそう、萌ちゃんのぬいぐるみならきっと売れるよ」
その夜。
「敬ちゃん、これ見て!フリマに出店してみたいの」
「いいね。面白そうだ」
「それでね……もしよかったら、敬ちゃんの絵と一緒に出せないかな?」
敬は少し驚いたように目を見開き、笑った。 「実はさ、俺も前から考えてたんだ。絵本を描きたいって。子どもが笑ってくれるような、そんな絵本を」
「本当!?」
「うん。それで、その絵本に登場するキャラクターを萌に作ってほしいんだ」
「わあ……敬ちゃん……それってすごく素敵だよ!」
「タイトルは……『小雪のふわり』って言うんだ。ふわりっていう雪の妖精が、ひとりぼっちの女の子に寄り添う物語」
「……それって、まるで私みたい……」萌がつぶやいた。
「え?」
「昔、私もいつもひとりで公園にいたの。両親は忙しくて、誰にも気づかれないまま夕暮れが来て……。でも、誰かが声をかけてくれたら……って思ってた」
「萌……」
「敬ちゃん、そのキャラクター、私が形にするね」
そして迎えたフリーマーケット当日。
快晴の空の下、町内の公園には多くの家族連れが訪れていた。
「すごい人だね……」
「うん、緊張するけど、頑張ろう!」
二人は白いレジャーシートに作品を並べた。ぬいぐるみ、絵本、小物たち――。
「お母さん、あのぬいぐるみ、かわいい!」
「まあ、ほんと。これ、手作りなの?」
「はい。私が作りました。この絵本のキャラクターなんです」
「まぁ、この絵本も素敵。あなたたちで描かれたの?」
「はい。彼が物語と絵を描いて、私はぬいぐるみを作って」
「じゃあ……このセット、いただくわ」
「ありがとうございます!」
昼すぎには、20個の絵本とぬいぐるみセットは完売した。
「頑張ったね……敬ちゃん」
「うん。売れたのは嬉しいけど、それより、みんなが笑ってくれたのが嬉しい」
「いろんな人に支えられて、ここまで来れたんだね……」
「そうだな。だから、少しでもお返しがしたい。そんな気持ちで、これからも作り続けたいよ」
夕暮れ。
「ねえ、敬ちゃん」 「ん?」
「あの絵本の女の子……エミちゃん。あれ、私なの?」
敬は静かに頷いた。 「そうだよ。君の心が、ずっと俺の中に残ってたから」
「ふわりが、ずっとそばにいるって言ってくれるの……嬉しかった」
「雪が降るたびに、きっと会える。萌、君のように強くなれる。俺は、そう信じてる」
萌は、敬の胸に顔を埋めて涙をこぼした。 「ありがとう……敬ちゃん……」
「これからも、ずっと一緒に生きていこう」 「うん、ずっと一緒に……!」
夢はまだ小さく、頼りなく、形も曖昧だった。 でも、二人の歩幅は揃っていた。 夢が夢でなくなる日まで、ふたりは歩き続けていく。
(完)
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