第3話 『光と影の儀式(回想)』
健太がワルキューレツアラーというロマンに逃避していた頃、真衣が愛車としていたのは、トライアンフのロケット3だった。
真衣はバイクの知識も免許も持たなかったが、たまたまその排気量2300ccと言う巨体を一目見て**「あのバイクは何!?」と一瞬で心を撃ち抜かれた。
**彼女は、ただそのバイクに乗るという一点の「特別」のためだけに、限定解除まで一気に取得し、その巨体を操るためにジムやヨガで体幹を鍛え上げた。
彼女にとってロケット3は、「最強の守護者」のイメージを持つ大ファンである、リーアム・ニーソンに重ね合わせるほど、特別な存在だった。
そして、ツーリング中の道の駅で、真衣のロケット3と、健太のワルキューレツアラーがたまたま出会う。
真衣はツーリング仲間が欲しかったが、女性のロケット3乗りは、その巨大に圧倒され車格が合わず誰も近づいてこなかった。
そこに健太のワルキューレが来たとき、健太は心底思った。
**「やっぱり、オレのワルキューレツアラーは特別だ」**と。
真衣が健太を認めてくれたのは、自分の「特別」が、真衣の「特別」と対等だと認められた瞬間だった。
二人はすぐに意気投合し、交際が始まった。二人のバイクが並んで走るツーリングは、まるで映画のようだった。
排気量2300ccのロケット3と、1500ccのワルキューレツアラー。その巨体と大排気量が轟かせる重厚な排気音は、周囲を圧倒する存在感だった。
真衣が前に立ち、健太が少し後ろを走る。
誰からも「特別な二人」だと認識される。それは健太にとって最高の勲章だった。
この特別は、決して溶けることのない、二人の強い絆だと信じていた。
二人はその夏、人生で最も壮大なツーリングを決行した。
名古屋からフェリーで仙台へ渡り、そこから陸路で青森まで北上。
青函フェリーで北海道に上陸し、函館、洞爺湖、富良野を巡り、最北端の稚内まで制覇した。
帰りは苫小牧から名古屋までフェリーで戻る、まさに魂を揺さぶる大ツーリング旅行。
ワルキューレの鼓動とロケット3の轟音が、北海道の大地を切り裂く。それは、二人の「特別」が最も強く共鳴し、永遠に消えないと信じられた、一生の思い出となった。
そうして順調に交際を重ね、結婚を意識し始めた二人は、ある問題に直面する。
そう、結婚後のバイクはどうするか問題だ。
真衣から切り出した。
「健くんは結婚しても乗りたいよね?」
「うん。真衣は?」
「うん、もちろん乗りたいよ、でもやっぱり手放すかな。寂しいけど。健くんは、ワルキューレ乗ってても良いよ。」
「ホント?!」
「良いけど、子ども出来たら、手放してくれるって約束、出来る?」
真衣の**「次の特別(結婚・安定)」への潔い決断と、健太の「特別の生存許可」**への安堵が、すでにこの時点で二人の道筋を分かっていた。
そして、真衣は結婚前に動いた。
「さっきバイク屋さんに来てもらったんだ!」
健太は言葉を失った。
ロケット3は、すでに売却が完了していた。 健太への通知は事後報告だった。
ついこの間まで、あれが俺たち二人の特別な絆の象徴だったはずだ。
あの北海道の大地を共に切り裂き、魂を揺さぶった大ツーリングは、真衣にとって一体何だったんだ...?
真衣は、その日、髪もばっさりショートに切った。
それは、特別な過去との決別の儀式だった。
彼女は**「バイバイ、私のリーアムくん」**と笑い、安定という次の光のために、過去の情熱を切り捨てた。
健太の番が来たのは、真衣が妊娠を告げた時だった。
真衣との**「子どもが出来たら手放す」**という約束の、最終リミットだ。
健太は、最後の儀式として、ワルキューレツアラーに乗ってバイク屋まで行った。
購入以来、車検やメンテ、ショップ主催のツーリングイベントなどにも参加していたバイク店、自宅から最寄りのHONDA DREAM。健太にとっては、バイク=このHONDA DREAM、全幅の信頼を置いている。
真衣はN-VAN eで後を追った。
**「監視」**のようにも感じられたが、彼女は終始、何も言わなかった。
HONDA DREAMに到着し、ワルキューレツアラーの最終的な引き渡しと売却契約の手続きを終えた。終えてしまった。
健太にとっては、本当にワルキューレツアラーとの別れのときだ。
大塚店長にキーを渡す瞬間。
健太は震える手で、スペアキー一本を差し出した。 彼はメインキーを手放さなかった。
大塚店長は、差し出されたスペアキーを受け取り、その直後、一瞬健太の表情を見てすべてを察した。
そして、ワルキューレのタンクを優しく撫で、寂しそうに言った。
大塚店長:「鈴木さん。寂しいですが、ご家族のためですね。
車検、メンテナンスなどでお預かりさせて頂いていた際のご来店されたお客様の反響が、凄まじかったのを思い出しましたよ。」
彼はそこで少し言葉を切り、微笑みながら続けた。
大塚店長:「先日入ったばかりの新人スタッフも、ワルキューレツアラーを若いから初めて見るんですよ。 彼が**『こんなすごいバイクがホンダにあったなんて知りませんでした!』**って目を輝かせていました。ロマンというものは、時代を超えますね。**こんな状態の良い車両は、もう二度と出会えないかもしれません。**大切にしてくれるオーナーに必ず引き継ぎますよ。安心して卒業してください」
店長に労われ、健太は感情を抑えるのが精一杯だった。
その時代を超えた肯定の言葉を浴びて、全身の血が凍り付くのを感じた。
これが、彼の特別が本物であったことの、最後の、最も残酷な証明だった。
この特別を手放したら、オレは溶けてしまう。
普通の夫、普通の父、その光の中で、オレの魂は永遠に影を失う。
誰にも邪魔されない、誰にも奪われない、オレだけの聖域が必要だと思った。
メインキーは、誰にも見られぬよう、リーバイスのポケット奥に隠し持った。
誰のせいでもない。
オレが、オレ自身の特別を、このスペアキーに託して盗み出し、「普通の人生」という真衣の光から隠したのだ。
この瞬間、「セルフ義賊」は誕生した。
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