第19話 パパと呼ばれた日
エルヴェノム家屋敷の中庭には、外の花壇に植えられた薬草とは別に、特殊な薬草を育てるための温室がある。
もともとは研究に必要な薬草を育てるために、曾祖父さんが作った場所だ。
温室の中は年中暖かく、まるで春のような空気が漂っている。
たくさんある花壇の中のひとつに、キラキラと輝く薬草が密生していた。
本当に見事なくらい金色だ。
リリが黄金草について説明してくれる。
「フェルフォレストの土壌は、黄金草を育てるのにとても適しているのです」
「こ……こんなにたくさん」
「この薬草も油断してたら、花壇の外まで蔓延るんですよ」
世間では希少である黄金草が、花壇一面を覆うようにびっしりと生えている。
フェルフォレストの土壌ではかなりの繁殖力を持つらしい。
これ、大量に育てたら相当なお金になるのでは?
フェルフォレストの名産品にならないかな……。
俺がそんなことを考えている横で、リリが説明を続ける。
「黄金草は乾燥させて粉にしたり、エキスを抽出して飲んだりすることが多いです。
癖がないので飲みやすく、のど飴の材料にもなるんですよ」
リリの説明を聞きながら、エドガーはまじまじと花壇いっぱいに広がる黄金草を見つめていた。
この温室だけじゃなく、外の庭にもさまざまな薬草が植えられている。
俺も、薬草のおかげで救われた。
もしリリが薬草を混ぜた食事を出していなかったら、俺はとっくに毒薬に冒され、精神を病んでいたかもしれない。
リリはやや躊躇いがちに、俺の方を見た。
「あの……レドーク様。エドガー様の奥様の病状を診せていただけたら、もっと適正なお薬を作って差し上げることができるのですが……」
「そうか、リリは上級薬師だったな」
リリは上級魔術師であると同時に、上級薬師でもある。
同じ薬師でも、上級薬師は効能の高い優れた薬を作り出すことができる。
エドガーの奥さんの病状を診れば、症状に合った良薬を調合できるはずだ。
「……レドーク様、私、上級薬師だって教えていましたっけ?」
「……!?」
やべっっ。
リリが上級薬師であることは、小説から得た知識で知っていただけだった。
翡翠の魔女という称号も、小説で読んだだけで、彼女の口から聞いたわけじゃない。
俺は内心冷や汗をかきながら、惚けることにした。
「い、いやぁ、前に教えてくれたじゃないか」
「そうでしたっけ?」
「そうだよ。リリ、忘れたのか?」
「す、すみません。忘れていました」
こちらこそ、すみません。
この世界が小説の中の世界であることは、言わない方がいいだろう。
言ったところで、信じてもらえるとは思えないし、実際のところ本当に小説の世界なのかどうかも確証がない。
「エドガー、奥さんの体調をリリに診てもらえないかな?」
「そ、それはもちろん……こちらこそ、ぜひお願いします」
エドガーは再び何度も何度も頭を下げた。
元騎士団長様にそこまで頭を下げられてしまうと、俺としては恐縮以外の何者でもないんだけどな。
俺たちは馬車に乗って、エドガーをエモール町の郊外にある彼の家まで送った。
馬車の中で、俺はエドガーから奥さんの病状を聞いていた。
熱がなかなか下がらないこと、身体の節々が痛み、咳が止まらないことなど……風邪というよりも、インフルエンザに近い症状なのかな?
俺がインフルエンザにかかったときはそんな感じだったからなぁ。あれってかかるとしんどいんだよな。
リリは奥さんがどんな病気か見極めてから、エドガーの家で薬を調合するつもりらしい。
ヴィオルは屋敷に一人残すわけにはいかないので、一緒に連れてきていた。
エドガーの家にはリリだけが入り、俺とヴィオルは近くの宿で待つことにした。
エドガーの家から歩いて五分ほどの場所にある小さな宿だ。
俺たちが泊まる部屋は宿の中でもわりと良い部屋で、広くてゆったりしていた。ベッドも三人分ちゃんと置いてある。
ヴィオルは、いつもと違う場所に新鮮さを覚えているのか、興味深そうに部屋を見回していた。
ベランダがあるようなので、出てみると、そこから街並みが見渡せた。
黄昏時、店や民家の灯りが一斉に灯る。
黄金色の空に、建物の輪郭がまるで影絵のように浮かび上がっていた。
「あの人の家族の病気、治るといいな……」
景色を眺めながら、ぽつりと呟くヴィオル。
俺はその肩をポンと叩いた。
「ヴィオルは優しいな」
「僕……優しいの? みんなは僕のこと、いつも我が儘で酷い奴だって言っていたのに」
「誰が君のことをそんなふうに言ったのかは知らないが、俺は絶対にそんなふうには思わない。君は優しくて、いい子だよ」
ヴィオルをそんなふうに言う奴は、きっとろくな奴じゃない。
我が儘なんか一つも言ったことがないし、酷い要素なんかひとつもないのに。
「優しいのは……叔父さんの方だよ」
「俺が優しい?」
「僕にいつも笑いかけてくれるし、一緒に寝てくれるし、一緒にご飯も食べてくれるし」
「そんなの、俺の息子になった以上、当たり前のことだ。ヴィオルはもっと我が儘を言っていいし、甘えたっていいんだぞ?」
「……っっ!?」
俺の言葉に、ヴィオルは目を見開いた。
その瞳が嬉しそうにキラキラと輝いているのを見ると、胸がぎゅっと締め付けられる。
俺は改めて、この子を闇堕ちさせるわけにはいかない、と強く思った。
「じゃあ……二つ、お願いしたいことがあるんだけど、一つだけ言うね」
「二つとも言ってもいいんだぞ?」
「二つ目は……リリにお願いしたいから」
「そっか。じゃあ、一つ目は何?」
「うんとね……その……パパって呼んでもいい?」
「――!?」
心臓を矢で射抜かれたような感覚がした。
まさか恋心以外で、こんな感覚を味わうとは思わなかった。
それくらい、お願いをする時のヴィオルの顔が可愛かったのだ。
しかもパパ……。
俺がパパ……なんだ、この気持ちは。
無茶苦茶嬉しいんですけど!?
まだ結婚もしていないのにパパって呼ばれるの、どうよって気もするけど、嬉しいという気持ちの方がはるかに大きい。
「もちろんだ。これからはパパって呼んでくれたらいいから」
ヴィオルは目に涙を浮かべ、俺に抱きついた。
そういえば、ヴィオルは実の父親のことを『伯爵様』と呼んでいた。
もしかしたらお父さんとかパパとか呼ばせてもらえなかったのかもしれない。
この時、俺は思った。
もし、この先この子が俺を殺してしまうような結末を迎えたとしても……この子にだったら殺されてもいい。
もちろん、そんな悲しい結末にはさせないけど。
それくらい、この子のことが可愛いと思ったのだ。
ヴィオル、これからはパパがお前を守るからな。
リリが戻ってきたのは、それから二時間後。
俺たちが入浴を終え、寝間着に着替えた頃だった。
ちゃんと身体には清浄魔法をかけてから入ったようで、服がさっきよりも綺麗に見えた。
「リリ、エドガーの奥さんはどうだった?」
「お薬を飲ませてしばらくしたら、熱が下がりました。まだ咳は残っていますけど、あと数日薬を飲み続ければ、それもおさまると思います」
「よかった……リリ、お疲れ様」
俺がそう言うと、リリは嬉しそうに笑ってから、頬をほんのり朱に染めた。
その様子を、ヴィオルがニコニコと笑って見ている。
「あ、そういえばヴィオル。リリにも何かお願いすることがあるんだろ?」
「あるけど、今じゃないかな……?」
「今じゃない?」
「うん。なんとなく、今じゃない気がするの」
そう言って、にっこり笑うヴィオル。
今じゃない願い事って何だ?
リリにしか叶えられないお願いなら、俺がこれ以上気にしても仕方ないか。
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