第2話 ダンジョン運営

 サキュバスのアザゼルと文字通り無限とも思える快楽を味わってから、数日が過ぎた。


(最高だ……。魔王、最高すぎる……)


 俺は玉座で、アザゼルの甲斐甲斐しい世話を受けていた。


 彼女がどこからか持ってきた血のように赤い極上のワインを飲み干し、返したグラスに再び彼女がワインを注ぐ。

 そのたびに扇情的な衣装からこぼれ落ちそうな豊満な胸が俺の視界を占拠する。


 夜になれば彼女は俺の寝室を訪れた。


 魔王の強大な魔力をその身に注ぎ込まれることが、彼女にとっての至上の快楽であり、忠誠の証であるらしい。


 底なしの体力を持つ魔王の肉体と、俺の魔力を吸って無限に快感を更新し続けるサキュバス。

 その相性は控えめに言っても最高の二文字に尽きた。


 俺は人間としてのささやかな理性をかなぐり捨て、この堕落した生活を謳歌していた。


 ――こんな毎日が永遠に続けばいい。

 本気でそう思っていた。


 そんなある朝、俺が玉座でアザゼルに膝枕をしてもらっていると彼女がうっとりとした表情のままふと口を開いた。


「陛下。……そろそろ、ダンジョンの運営を再開されてはいかがでしょうか」


「……運営?」


 思わず素っ頓狂な声が出そうになるのを、威厳のある低い声でなんとか誤魔化す。


 アザゼルは俺の髪を指で弄びながら甘く囁いた。


「はい。経営、とも言えます。陛下が眠りにつかれてより、このダンジョンの機能はほぼ停止しております。陛下という核が目覚めた今、再び魔力を満たし我らが城を強固なものとしなければなりません」


(うわ、めんどくさい……)


 元社畜ゲーマーとしては、「運営」とか「経営」とかいう単語は面倒な仕事を連想させて最悪だ。

 だが、目の前の絶世の美女にNOと言えるだろうか。


 ……いや、それ以上に俺には懸念があった。


 このアザゼルという秘書官。

 ゲーム『バビロンズ・ゲート』では、ラスボスであるヴァエルよりも遥かに強い、隠しボスとしてプレイヤーの前に立ちはだかった存在だ。

 

 そんな彼女が――なぜ俺に仕えているのかは謎だが――もし俺が魔王としての知識ゼロのただの転生者だとバレたら?


(無能な上司と判断された瞬間見限られるか……最悪殺されるんじゃないか?)


 この数日間の快楽は彼女の「魔王様、最高!」という心酔があってこそだ。

 その前提が崩れたらこの天国も終わる。


 俺は内心の冷や汗を押し殺し、ゆっくりと身を起こした。


「……うむ。アザゼルよ。我が眠っていた間の怠慢、許せ。早速、ダンジョンの視察と参ろう」


「はっ! 御意に」


 嬉しそうに微笑むアザゼルに先導され、俺は玉座の間を出た。


 磨き上げられた黒曜石の廊下を歩きながら、俺はゲーマーとしての知識を総動員する。


(確かゲームだとこの辺の通路にはスケルトンがうろついていて、次の大広間にはガーゴイルが……)


 だがいくら歩いてもダンジョンは静まり返っていた。

 モンスターの気配が一切ない。


「……アザゼルよ」


「はっ」


「モンスターどもはどうした? ダンジョンがあまりに静かすぎるではないか。これでは人間の侵入を容易く許してしまうぞ」


 俺は魔王らしく、不備を指摘する体で尋ねた。

 すると、アザゼルはきょとんとした顔で小首を傾げた。


「陛下? モンスターはこれから陛下が創造なさるのではございませんか?」


「……なに?」


(え? 最初からいないの? 自動湧きじゃないのかよ!?)


 ゲームとは根本的に仕様が違う。

 俺の動揺を察したのか、アザゼルの完璧な微笑みがほんの少し曇った。


「陛下……? まさかモンスターの創造方法をお忘れに……?」


(ヤバい、ヤバい、ヤバい!)


 疑われている。この有能すぎて強すぎる腹心に!

 俺は誤魔化すように慌てて咳払いをした。


「……フン。馬鹿を申せ。我は創造主たる魔王であるぞ? ただ我が眠っていた間にお前がどの程度ダンジョンを維持管理できているか試したまでよ」


「も、申し訳ございません! 私の力では、力の源たる陛下が眠っている間ダンジョンの現状維持が精一杯で……」


「よい。それより、創造の間に案内せよ。まずは核の状態を確認する」


 俺は知ったかぶりで核というそれらしい単語を使った。

 アザゼルが「承知いたしました」と感心したように頷いたので、どうやら間違ってはいなかったらしい。


 俺たちは再び玉座の間へと戻ってきた。


「アザゼル? 核はどこだ」


「陛下……。玉座の、真後ろにございますが……」


 アザゼルの視線に促され、俺は目覚めたときに座っていた禍々しい玉座の裏側へと回り込んだ。


 そこには拍動する心臓のように青白い光を明滅させる、巨大な魔石が鎮座していた。


(……なんだこれ?)


 ゲームにこんな設定はなかった。

 玉座の裏にこんなものが隠されているなんて初耳だ。


 俺が呆然と謎の魔石を見つめていると、背後からアザゼルの冷ややかな声が飛んできた。


「……陛下?」


 振り返ると、そこにはさっきまでの甘い表情は消え能面のような無表情で俺を見つめるアザゼルの姿があった。

 その深紅の瞳が、俺の真意を探るように細められる。


「陛下。……まさか、長きに渡る封印でご自身の『ダンジョンコア』の存在すらお忘れになられたのですか?」


 アザゼルの纏う空気が明らかに冷たくなっていく。

 このままだと無能認定されてこの生活も、そして俺の命も終わる。


(こうなったらハッタリで押し通すしかねえ!)


 俺はアザゼルを睨みつけ、魔王にふさわしい最大限に不遜な笑みを浮かべてみせた。


「フン……。アザゼルよ。我を試したか?」


「……と、申されますと?」


「我がこの『コア』……すなわち、ダンジョンの命とも言えるこの存在を忘れるとでも思ったか?」


 俺は咄嗟に最大限のハッタリをかました。


「……ッ!」


 アザゼルが目を見開いて息を呑んだ。


「も、申し訳ございません! てっきり封印により一時的にご記憶が混乱されているのかと……! そのダンジョンコアは陛下の命そのもの……。忘れようのないものでございました」


(命!? これ壊されたら俺が死ぬのか!? 超重要アイテムじゃねえか!)


 内心で絶叫しつつも、俺はあくまで魔王の威厳を崩さない。


「よい。それより、モンスターの創造だ。現状のリソースを見せよ」


 何らかの魔法を使うのかこのコアを利用するのかわからなかった俺は、またも知ったかぶりでリソースという言葉を使った。

 

 どうやらその感覚はあっていたらしい。

 俺の的確な問いにアザゼルは満足そうに頷いて現状の説明をしてくれる。


「現状のリソースはゼロにございます。モンスターを創造しこのダンジョンコアを守る防衛機構を再起動させるには、まず贄を捧げ魔力を得る必要がございます!」


「贄、だと……?」


 聞き慣れない単語に俺は眉をひそめる。


 アザゼルは悪魔的な、それでいて最高に美しい笑みを浮かべた。


「はい。手っ取り早いのは、このダンジョンに迷い込んだ愚かな人間ども――冒険者を殺し、その魂をコアに捧げることかと存じます」


「……人間を、殺す……?」


 その言葉に、数日間の快楽に溺れきっていた俺の頭は冷や水を浴びせられたように覚醒した。

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