朝4時38分。

まだ空は青黒くて、集落はぜんぶ寝てる。川の音だけがでかい。

スマホがぶるっと震えた。山際に仕掛けてあるカメラの自動通知だ。

「……また来たか」

俺――山城 湊（やましろ・みなと）は、寝ぼけた目で動画を開いた。

映ってたのはツキノワグマ。でっぷりしてる。

民家と山の境目にある緑のゴミボックスを前足でがこん、と引き寄せて、鼻でフタをめくり、器用に中をほじくる。

場所は第三集落のいちばん下。ここ、6時50分から小学生が通る細い道だ。

この時間に来るなって前も言ったのに。

俺はすぐ、町の「野生動物・早朝」グループに報告を投げた。

【4:39】クマ確認

場所：第三集落・旧保育所うら（通学路沿い）

住民未起床

連日出没のため、追い払い＋場合によっては捕殺申請したい

送信。

3秒で“共生センター（本部）”のアイコンに既読がついた。向こうも早い。

で、いつもの一文が飛んでくる。

共生センター・森岡

今回も殺処分は避けていただけますか。

まずは人側の対策（ゴミの施錠・見回り強化）をお願いします🧸

🧸ついてた。

この人ほんとにクマが好きなんだな、って毎回思う。

机に白いクマのぬいぐるみとか置いてあるタイプだ。

頭の中のクマは、昼・晴れ・森のなか・親子でじゃれ合うやつ。

こっちは朝4時、びしょ濡れ、民家の横だ。

「……よし」

俺は今朝の動画をもう一度見直した。

最後の3秒で、クマがゴミをあさるのをやめて、ふいっと人家側を向く。

画面の右端に、通学路の白いガードレールが一瞬映る。

その奥には民家の角。あれ、鼻で押したら開く戸だ。

これなら“かわいい”で逃げられない。

俺は動画をそのまま森岡に送り返した。コメントをでかくして。

湊：

これが「今回も」です。

4:39に通学路の横で、ゴミを荒らして、人家のほうを見ています。

7時前に子どもが通ります。

追い払うには3人×30分＝1時間半かかります。

これを「殺さずに」で回すなら、この負担も毎回そちらに送ります。

既読。1秒。

でも返ってこない。

たぶん動画を見てる。カレンダーのクマじゃないやつを見てる。

30秒後、返事。

森岡：

……思ったより近いですね

（ここまで民家のすぐそばとは……）

ただ、やはり今回は追い払いでのご対応が…

まだ言うか。

湊：

追い払いで行きます。

行きますが、「追い払いも人件費と時間がかかる」という現場は毎回送ります。

「殺すな」だけだとそちらでコストが見えないので。

今回以降、こういう動画が毎朝行きます。

また既読。

今度は絵文字がない返事が来た。

森岡：

分かりました……送ってください。

こちらのクマのイメージよりずっと、人の時間に入ってきてますね。

そう。

お前のクマ、光が当たりすぎなんだよ。

こっちのは暗いし濡れてるし、ゴミを引きずってく。

ちょうどそのとき、役場の若手・マコからもチャットが飛んできた。

マコ：

いまの送ったやつ、テンプレにしません？

「殺すなって言われたら現場を丸ごと送り返すやつ」

名前どうしよ

湊：

そのままでいいんじゃないですか

【クマを殺すなって言われたときに送る一式】

マコ：

強すぎて好きです

俺は窓の外を見た。

霧が少し晴れて、ゴミボックスのフタが道に転がってるのが見える。

片付けるのはこっち。

見回りに出るのもこっち。

通学路で「きょうはクマ出たから気をつけてね」って言うのもこっち。

だから送る。

「殺すな」だけ言うなら、これも一緒に持ってってくれ。

俺は自動送信のスケジュールを6:55にセットした。

子どもたちが出るちょっと前。

クマがそこにいる動画を、クマをかわいいと思ってるやつにもちゃんと見せる。