白銀の魔女――剣と血と、ぬぐえない劫の物語。

難波霞月

その地獄は、1人の女の手で作られた。

 血と炎。2つの赤に、寒村は包まれていた。

 その中心にいたのは、陶然としてたたずむ1人の女。

 手には脂でてらてらと輝く長剣をぶら下げ、もう片方の手で白銀の髪を整える。

 首筋には汗が流れ、袖の長い羽衣は、返り血で染まっていた。


(……良い汗をかいた)


 女は、剣をぶらぶらとさせながら、周囲を見回す。

 夔州路きしゅうろ石陰村せきいんそん。粗末な家が数軒あるだけの貧しい村だ。


(ああ、血の臭い。屍が焼ける臭い。なんと甘美な――)


 バチバチと音を上げて激しく燃える炎。

 

 その炎に照られされた女の顔は、凄惨なほど美しかった。

 そんな彼女は、剣を地面に突き立て、呆けたように歩む。


「たれかおらぬか」


 隠れている者はいないか。

 いるのなら、見つけ出してくびり殺してやる。

 生きながら、手足をもぐのも面白かろう。


「たれかおらぬか」


 彼女は優し気な声を上げ続ける。

 ふらふらと村の辺りを歩き回り、やがて――。


「……?」


 空の水がめの中から、小さな泣き声が聞こえた。


「……」


 女は、水がめの中を覗き込む。


「……赤子か」


 水がめの底には、幾分かましなぼろ布に包まれた、赤子がいた。

 すでにこと切れたであろう母親を求めて、小さな手を伸ばして泣いている。


「……赤子か」


 この世の理を何も知らぬ赤子は、じわじわと一寸刻みに切り潰してやるのが一番楽しい。

 生きたまま火であぶりつづけて、ゆっくりと丸焼きにするのも一興か。

 

 そう思った女は、にたりと笑い、赤子に手を伸ばした。


 


(――また、抗えなかった)


 雪梨仙姑シュエ・リーが正気を取り戻したとき、彼女は深山の川のほとりにいた。

 乾いた血が貼りついた己の手を見、そして返り血で重く赤黒くなった羽衣に怖気を感じて、どっと冷や汗が出る。


(今度は、何人、殺した――!)


 この数日のことが、ほとんど思い出せぬ。おぼろげに残るのは、血と炎の赤。


(――殺劫せつごうめ)


 幼い頃に師匠から素質を見抜かれ、武術と仙術を極めて羽化登仙うかとうせんして数百年。

 200年を超えたあたりで、彼女の精神に異変が生じ始めた。

 十数年に一度、衝動的に「人を殺したい」と渇望するようになったのだ。

 これを『殺劫』という――今は無き彼女の師が言うには、『日ごろ清浄の気に浴している仙人が、陰陽の調和を取るために濁気だくき導引どういんする』生理現象だという。

 師や他の仙人たちは、「俗人どもの命など虫けら以下」という領域に入っていたから、酒を飲んでの気晴らし程度にしか思っていない。

 

 だが、雪梨にとっては、それは二重の意味で耐えがたいものであった。

 人を殺すことの甘美さと、残虐極まりない行為を行う己のおぞましさに。


 雪梨は、震える手を幽谷のせせらぎにすすいだ。

 そしてふと、隣の岩陰に視線を向ける。

 そこには、血に汚れた布でくるまれて眠る赤子がいた。


「また、赤子を」


 雪梨は、手の汚れをすすぎきると、赤子に向かって手を伸ばす。

 すると赤子は目を覚まし、雪梨の方を見て、無垢な笑顔を見せた。


「この子は――玉鳳ユー・フェンというのか」


 布の端に、赤子の名と思しき名が記されているのを見て、雪梨は声を漏らす。

 すると玉鳳と呼ばれた赤子は、「だぁ」と返事した。


「そうか。そなたは、玉鳳か」


 雪梨は、おそるおそる玉鳳を布ごと抱き上げた。


(この子なら、今度こそ――)


 雪梨は、不思議そうに自分を見つめる玉鳳をみて、わずかな希望を胸にした。



 ◇


 それから、時は流れた。

 夔州路南部、天険の山々のひとつに、馬鞍山ばあんざんがある。

 武術と仙術を修め、病に効く薬を人々に配る雪梨仙姑は、『白銀の魔女』と地元の人々から畏れられていた。

 その馬鞍山の細いけもの道を、1頭の虎が駆けていた。


紅猫ホン・マオ。早く、師匠のところへ帰ろうな! きっとびっくりするぞ!」


 虎の背には、ひとりの少年。

 わんぱくなのを絵に描いたような、ボサボサの髪に粗雑だけど丈夫な服。

 その背には、巨大な猪が担がれている。


 虎は森を抜け、川を渡り、断崖を飛ぶように進む。

 やがて、よく日の当たる谷間の平原に出た。

 そこにあるのは、1軒の小さな家。

 小さいが、山中にあるのはどう考えても不釣り合いな、瀟洒しょうしゃな邸宅である。


「師匠! ただいま帰りました!」


 少年が猪を背負ったまま正門を入ると、回廊型の建物になっている。

 その中庭で、大きなザルで薬草を干していた、白銀の髪の女性が少年を見た。


「玉鳳、おかえり。どうした、その猪は」


「ボクと紅猫で捕まえました!」


 すると女性――雪梨が、優しげに微笑む。


「そうか。もう大猪を倒せるようになったか。だが、あまり無駄な殺生はしてはならぬぞ」


 少年――玉鳳は、猪を背から降ろすと、両手を胸の前で合わせて、師に対する礼をした。


もものところを焼肉にして、あとは腹のところで角煮も作ろうか。残りは、紅猫のエサだな」


 「わあい!」と玉鳳は小躍りして、全身で喜びを表す。


 それを見た雪梨は、(12歳にしてこの成長か。あと3,4年ほどか)と、考えた。


 「ところで師匠」


 ひとしきり喜んだ玉鳳は、急に真顔になって雪梨に問う。


「なんだ?」


「師匠は、いつになったらボクに剣と仙術を教えてくれるのですか?」


 玉鳳の瞳は、真剣だった。

 雪梨は、もう何度目かになるこの問いに、十分な成長をした弟子に対して、今日は襟を正して答える。


「童子の体では、下手に仙術を学ぶと陰陽に歪みが生じてしまう。ありていに言えば、それ以上育たなくなる。玉鳳、そなたはもう12歳になるな。そろそろよいかもしれん。月の巡りもちょうどよいころだ。今晩、そなたの身が仙術に耐えうるか、確かめてやろう」


 師の言葉に、玉鳳は目を輝かせ、「はい!」と返事する。


 雪梨は、少し意地悪そうな顔をして「ただし。食事をしてから、今日は念入りに身を清めること。頭も洗うし、歯もしっかり磨くのだぞ」とくぎを刺した。


 めんどくさがりの玉鳳は、苦い顔を浮かべたが、念願の仙術修行のためだと思ったのか「はぁい」と返事した。



 翌朝。谷あいに、霊気が霧となって流れ込んでくる。

 月の青白い光が、ほの明るく谷間を照らす。

 その月明かりの下で、白い息を吐きながら剣をふるう玉鳳の姿があった。

 生き生きとした顔で剣をふるう彼のそばで、雪梨はどこか遠い目をして彼を見つめていた。



 ◇


 玉鳳は、16歳になった。

 少年の細い体はぐんと筋骨が付き、いまでは雪梨よりもずいぶんと背が高くなっている。

 生気溌溂せいきはつらつとして、才気溢れる好青年に育っていた。

 剣と仙術の技を修めたうえ、師の導きで導引術を続けてきたことから、丹田たんでんに気を深く蓄えている。


「紅猫。ウサギ、捕まえてきたぞ。食べるか?」

 

 紅猫は年老いたのか、最近は邸宅の中庭で寝ていることが多くなった。

 玉鳳が与えたウサギを紅猫はちらりと見て、大事そうに食べ始める。


「玉鳳、戻ったのか」


 建物の奥から、雪梨が姿を現した。

 どれだけの時が経とうと、仙人である彼女は、若さと美貌を保ち続けていた。


「師匠。ちょっと気になることがありました。麓に、兵士らしき連中がいたのですが……」


 玉鳳の報告を聞き、雪梨は、小さく息を吐いた。


「来たか」


「来た?」


 「そなたは、紅猫を連れて、奥の修行場に行け。明日の朝まで、そこで隠れていよ」


「隠れる?」といぶかしがった玉鳳に「早くいけ」と雪梨は厳しく命じた。


 しぶしぶ玉鳳が紅猫を連れて、家から出ていく。

 それから、約2時間ほどの時が流れた。


「来たか」


 そう呟いた雪梨の真横に、矢が飛んできた。1本ではない。いくつもの、殺意を持った矢。

 雪梨はそれをわずかな動きでかわすと、腰の長剣を抜いた。


「弓とは姑息な」


 その言葉と同時に、彼女は駆ける。

 尋常ではない速度で野を走り、飛来する矢を切り落とし、やがて視界に兵士の一団を捉える。


「討伐隊である! 魔女め……覚悟!」


 兵士たちが慌てて武器を構えるも、雪梨の剣はさっと空中を舞い、次々となで斬りにしていく。

 羽毛のごとき軽やかさで剣をふるい、敵を切って捨てる《飛雁風月》の絶技だ。


「くそっ……!」


 動揺した兵士たちが引く。すると、兵士たちの頭上を飛び越え、裂帛の気合とともに強烈な斬撃が雪梨に降り注ぐ。


「っ!」


 雪梨は、ほぼ無意識にその斬撃を受け流し、ふんわりとまとわりつくように剣をまだ見ぬ相手に滑らせた。


「お久しぶりです、師匠」


 相手は、年のころなら3、40ごろの、軍服を着た男だった。


駿ジュン……やはり、来たか」


 雪梨を師匠と呼んだ男は、剣を素早く振るって、雪梨に激しく斬りかかる。


「ええ……育てていただいたご恩はありますが」


 駿は、攻撃の手を緩めず、静かに言葉を続ける。


「わが一族を皆殺しにした、あなたを許すことはできない!」


 この国では、師弟関係の『忠』よりも、親子関係の『孝』が、ずっと重い徳目とされている。


「そうだ……わたしは、かつてそなたの一族を、皆殺しにした――殺劫の所為だが、言い訳にはならぬ」


 剣での打ち合いは、激しさを極めていた。雪梨も駿も、互いの秘術を尽くして、相手の命を狙っている。


(今度なら……駿なら、わたしを殺してくれるだろうか)


 雪梨は、そんなことを考えながら剣をふるっていた。

 これが、彼女の業であった。

 仙人となった以上、ふつうに死ぬことは能わない。

 何度も繰り返してしまう殺劫に苦悩した彼女は、仙人すら殺害できる剣の絶技を編み出した。


「……隙あり!」


 駿が素早く、丹田と心臓、脳を突こうとした。仙人殺しの絶技・《雪花金針》である。


 それをみた雪梨は、これで死ねるかと歓喜を覚えたが、


「……ごふっ」


 次の瞬間、無意識に差し出した自らの《雪花金針》が、素早く相手の三点を刺していた。

 駿は血を吐き、恨みを持ったまなざしで彼女を見て――たおれた。


「まただめだったか……」


 駿の死におびえた兵士たちは、一目散に逃げていった。

 後には、血塗られた剣を持つ雪梨――そして、戦いを隠れて見ていた、玉鳳。


 ◇


 十数年後。

 馬鞍山の麓に、長剣をいた剣士が立っていた。


「師匠――戻ってまいりました」


 それは成長した玉鳳だった。


「わたしは、一族の仇を討ち――そして、貴女を解き放ちます」


 そして玉鳳は、山道を一歩、踏み出した。

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白銀の魔女――剣と血と、ぬぐえない劫の物語。 難波霞月 @nanba_kagetsu

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