解き放たれた異世界へ

@runa_yuzuki

第一章 静寂の家

父の目は、いつからか光を失っていた。

けれど、その声はいつも、私の動きを見透かしているようだった。


「マイ、もうすぐ夜だ。カーテンを閉めておくれ。」


言われる前に閉めようと思っていたのに、

まるで心を覗かれたみたいで、私は小さく息を呑んだ。


姉は台所で、静かにまな板を叩いている。

トントン、と包丁の音が続く。

それがこの家の心臓の音のようで、私はその音を聞いていると安心できた。


でもその日、包丁の音は、やけに遠くに感じられた。


「お父さん……」

呼びかけたとき、父は顔を上げた。

濁った瞳の奥で、何かを見ようとしていた。

その瞬間、胸の奥がざわめいた。

次の瞬間、何かが閃いた。


痛みは一瞬で、すぐに温かさが広がった。

——あれ、私、どうして立っているんだろう。


床には“私”が倒れていた。

姉が叫び、父が何度も私の名を呼んでいる。

なのに、どんなに手を伸ばしても、その声はもう届かない。


暗闇のような光に包まれて、私はどこかへ流れていった。

軽く、透明になっていく。

そして、まぶしいほどの白の中に落ちた。


風のない空。

近くで誰かが私の名を呼んだ。


「マイ?」


透き通る金の瞳の青年が、そこに立っていた。


「ここでは、もう痛みも悲しみもないよ。

 君は解き放たれたんだ。」

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