地方興行師――祭りを武器に、地方を救え

ソコニ

第1話『燈明市、最後の竿燈』


プロローグ

 燈明市に、夏が来なくなって何年経つだろう。

 正確には、夏は来る。気温は三十度を超え、蝉は鳴き、入道雲は湧く。だが、あの夏は来ない。提灯が夜空を染め、太鼓が響き、街中が熱狂したあの夏は、もう何年も前に死んだ。

 二百八十年続いた竿燈まつり。燈明市の経済を支える、唯一の観光資源。だが、来場者は五年連続で減少している。前年比マイナス十五パーセント。このままでは三年後、祭りは予算を食い潰す「赤字イベント」に転落する。

 市役所観光課の誰もが知っているのに、誰も口にしない事実がある。

――竿燈は、もう終わっている。

 そして、彼女がやってきた。


第一章 興行師の到着

 八月一日、午前九時。燈明市役所の会議室に、柊麻衣は現れた。

「おはようございます。興行師の柊です」

 軽い挨拶。ジーンズにTシャツ、リュックを背負った二十八歳の女は、まるで旅行者のようだった。

 会議室には市長、観光課長、そして竿燈保存会の会長・田沢義男(七十二歳)が座っている。全員が、彼女を値踏みするように見つめていた。

「......これが、あの」

 市長の藤崎が呟く。彼は五十代前半、改革派として当選したばかりの新市長だ。だが今、その顔には不安が浮かんでいる。

「そうです。東京のイベント会社で三年、年間来場者百万人のフェスを担当しました。その後、独立して地方イベントの再生を専門にしています」

 柊はタブレットを取り出し、画面を全員に見せた。

「香川県の離島で開催した『瀬戸内ナイトマーケット』。予算八百万円で、来場者一万二千人。経済効果は二億三千万円でした」

「二億......」

 観光課長の目が見開かれる。

「ただし、地元の漁協とは全面戦争になりました。『伝統の魚市場を観光客に荒らされた』って。結局、翌年は中止です」

 柊はあっさりと言った。

 会議室が静まり返る。

「あの、柊さん」

 市長が咳払いをした。

「あなたを招聘したのは、竿燈まつりを『再生』してもらうためです。『破壊』ではなく」

「わかってます」

 柊は即答した。

「だから、破壊はしません。更新します」


第二章 数字が語る死

 その日の午後、柊は市役所の資料室に籠もった。過去十年分の竿燈まつりの収支報告書、来場者データ、アンケート結果、SNS分析レポート――すべてに目を通す。

 そして、一枚のレポートにまとめた。


燈明市竿燈まつり診断レポート(簡易版)

来場者数推移:


2019年: 132万人

2020年: 中止(コロナ)

2021年: 中止(コロナ)

2022年: 98万人

2023年: 89万人

2024年: 76万人


来場者年齢分布(2024年):


60代以上: 48%

50代: 23%

40代: 16%

30代: 9%

20代: 4%


経済効果:


2019年: 推定24億円

2024年: 推定18億円


市の財政負担:


年間支出: 1億2,000万円

うち保存会への補助金: 4,500万円


結論:

このままでは2027年、赤字イベント化。

2030年、開催不可能。


 柊はレポートを市長に提出した。

「......わかってました」

 市長は深く息を吐いた。

「でも、誰も言い出せなかった。竿燈は、この街の誇りですから」

「誇りじゃ飯は食えません」

 柊は即座に返した。

「市長、質問です。竿燈まつりは誰のためにあるんですか?」

「それは......市民と、観光客のため」

「違います」

 柊は首を振った。

「今の竿燈は、保存会のためにある。平均年齢六十八歳の三十名が、毎年四千五百万円の補助金を受け取り、同じ演技を繰り返してるだけ。観光客はもう飽きてる。若者は最初から興味がない」

「しかし、伝統は――」

「伝統は、更新されなければ死にます」

 柊の目が、市長を射抜いた。

「市長、決断してください。このまま静かに死なせるか、暴れて生き延びるか」


第三章 提案

 翌日、市役所大会議室。

 市長、観光課、財政課、そして竿燈保存会の全メンバー三十名が集められた。

 柊が立ち上がる。

「『竿燈eスポーツフェスティバル』――これが私の提案です」

 スクリーンに資料が映し出される。

企画概要:


開催日: 8月3日〜6日(従来と同じ)

昼の部(15:00〜18:00): 伝統竿燈演技(従来通り)

夜の部(19:00〜23:00): 竿燈VRゲーム大会 + プロジェクションマッピング


予算:


総額: 3,200万円

内訳:


VRゲーム開発: 1,200万円

プロジェクションマッピング: 800万円

会場設営: 600万円

広告宣伝: 400万円

予備費: 200万円




財源:


市負担: 1,800万円

企業協賛: 1,000万円(IT企業3社確保済)

クラウドファンディング: 400万円


想定来場者:


昼の部: 5万人(従来の観光客)

夜の部: 3万人(20〜35歳のゲーマー層)


経済効果試算:

23億円(前年比28%増)


 説明が終わる。

 沈黙。

 そして、爆発した。

「ふざけるな!」

 竿燈保存会会長の田沢が立ち上がった。

「eスポーツだと? ゲームだと? 竿燈は二百八十年の伝統だ! 遊びじゃない!」

「遊びじゃありません。ビジネスです」

 柊は冷静に返した。

「田沢会長、質問です。保存会の平均年齢は六十八歳。十年後、誰が竿燈を支えるんですか?」

「それは......若い者を育てている」

「去年の新規加入者は?」

「......二名だ」

「十年前は?」

「......十五名」

「減ってますね。なぜだと思いますか?」

 田沢が黙り込む。

 柊は続けた。

「若者が竿燈に興味を持たないからです。『古臭い』『ダサい』――彼らはそう思ってる。だから、まず興味を持たせる必要がある。そのためのeスポーツです」

「eスポーツで竿燈に興味を持つわけがない!」

「持たせます」

 柊はタブレットを操作し、画面を切り替えた。

 そこには、VRゴーグルをつけた若者が、仮想空間で竿燈を操作している映像が流れていた。

「これは試作版です。プレイヤーは竿燈を操り、バランスを取りながら技を競います。世界ランキングもあります。優勝賞金は三百万円」

「三百万......」

「eスポーツ大会の賞金としては標準です。この大会に、全国から若者が集まります。そして、燈明市で本物の竿燈を見る。触る。体験する」

 柊は田沢を見つめた。

「会長、これは竿燈の破壊じゃない。入口です。若者に竿燈を知ってもらうための」

 田沢の顔が歪む。

「......認めん。保存会は協力しない」

「わかりました」

 柊はあっさりと頷いた。

「では、保存会なしで開催します」

 会議室がざわめく。

「市長、決断を」

 柊は市長を見た。

 藤崎市長は、長い沈黙の後、口を開いた。

「......柊さんの提案を、採用します」


第四章 分断

 決定は、燈明市を二つに割った。

 市長派(改革派)と保存会派(伝統派)。議会は紛糾し、地元紙は連日「竿燈eスポーツ」の是非を特集した。

 SNSでも炎上が始まった。


Twitter(現X)での反応:

@toumei_love:

「eスポーツとか意味わからん。竿燈は竿燈でしょ。市長やめろ」

→ 8,200いいね

@gamer_akita:

「逆に面白そう。VR竿燈やりたい。賞金300万はガチ」

→ 12,000いいね

@hozon_mamoru:

「伝統を金儲けに使うな。保存会を支持する」

→ 6,800いいね

@toumei_mayor(市長公式):

「皆様のご意見、真摯に受け止めます。ただ、竿燈を未来に繋ぐためには、変化が必要です」

→ リプライ18,000件(大炎上)


 柊は市役所の一室で、淡々と準備を進めていた。

 VRゲームの最終調整。プロジェクションマッピングの演出設計。協賛企業との契約。クラウドファンディングの文面作成。

 そして、八月二日。

 開催前日の夜、柊のもとに一通のメールが届いた。


送信者: 竿燈保存会

件名: 明日の演技について

柊様

明日の竿燈まつりにおいて、保存会は一切の演技を行いません。

伝統を冒涜する行為に、我々は加担できません。

田沢義男


 柊は画面を見つめた。

 そして、小さく呟いた。

「......来たか」


第五章 祭りの夜

 八月三日、午後三時。

 燈明市中心部の大通り。竿燈まつりの会場には、五万人の観客が集まっていた。

 だが、演技者はいない。

 保存会がボイコットしたのだ。

 ざわめく観客。困惑する市職員。報道陣のカメラが、空っぽのステージを映す。

 柊は、マイクを握った。

「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。興行師の柊麻衣です」

 会場が静まる。

「今日、竿燈保存会の皆さんは演技をボイコットしました。理由は、『伝統の冒涜』だそうです」

 観客がざわめく。

「でも、私は思うんです。伝統って、誰のものなんだろうって」

 柊は続けた。

「三十人の高齢者が守るもの? それとも、この街の全員が受け継ぐもの?」

 柊は竿燈を指差した。

「今から、皆さんに竿燈を体験してもらいます。初めての人も、やったことがある人も、誰でも参加できます。竿燈は、みんなのものですから」

 観客が、どよめく。

 そして、一人の若者が手を挙げた。

「やってみたい!」

 次々に手が挙がる。

 柊は笑った。

「じゃあ、始めましょう。新しい竿燈を」


第六章 夜の部

 午後七時。

 燈明市の夜空に、巨大なスクリーンが輝いた。

 プロジェクションマッピングが、街の建物を彩る。竿燈の形をした光が、空を舞う。

 そして、eスポーツ大会が始まった。

 全国から集まったゲーマー三百名が、VR竿燈で技を競う。会場には三万人の若者が集まり、スマホで撮影し、SNSに投稿し、歓声を上げる。

 優勝者が決まる瞬間、会場は最高潮に達した。

 賞金三百万円を手にした二十三歳のゲーマーは、涙を流しながら言った。

「竿燈、めっちゃ難しかった。でも、最高に楽しかった。明日、本物を見に行きます」

 会場が、割れんばかりの拍手に包まれた。


第七章 翌朝

 八月四日、午前六時。

 柊は市役所の屋上にいた。

 街を見下ろす。祭りの後片付けが始まっている。

「柊さん」

 市長が現れた。

「昨日の来場者数、集計が出ました」

「どうでした?」

「昼の部、五万三千人。夜の部、三万一千人。合計八万四千人......過去最高です」

 柊は頷いた。

「経済効果の試算も。二十三億円。前年比二十八パーセント増」

「そうですか」

 柊は淡々と答えた。

 市長は、苦笑した。

「でも、保存会は激怒しています。『二度と協力しない』と声明を出しました」

「知ってます」

「地元紙も、賛否両論です。『伝統が壊れた』『新しい時代が来た』......どちらも正しいような、間違っているような」

 市長は空を見上げた。

「柊さん、これは成功だったんでしょうか?」

「わかりません」

 柊は即答した。

「でも、一つだけ確かなことがあります」

「何ですか?」

「若者が、竿燈に興味を持った。それだけです」


第八章 応募者リスト

 八月十日。

 柊は燈明市を去ることにした。

 市役所の玄関で、観光課長が声をかけた。

「柊さん、これ」

 彼は一枚の書類を差し出した。

「竿燈保存会の、来年の新規会員応募リストです」

 柊は受け取り、目を通す。

 そこには、二百八十名の名前があった。

 全員、二十代から三十代。

 柊は、小さく笑った。

「......そうですか」

「会長の田沢さんは、まだ怒ってます。でも、副会長が言ってました。『変化を恐れていたら、本当に死ぬ』って」

「いい副会長ですね」

 柊はリストを返した。

「じゃあ、私はこれで」

「また、来てください」

「どうでしょうね」

 柊はリュックを背負い、駅へ向かった。


エピローグ

 新幹線の車内。

 柊はスマホを眺めていた。

 SNSでは、まだ「#燈明市竿燈」がトレンドに残っている。


@toumei_young:

「昨日、本物の竿燈体験した。マジで難しい。でも楽しい。来年も行く」

→ 14,000いいね

@hozon_kaichou:

「保存会会長として、今回の件は認められない。だが、若者が竿燈に興味を持ったことは事実だ。我々も、考えなければならない」

→ 22,000いいね

@toumei_mayor:

「今回の竿燈まつり、賛否両論ありますが、経済効果23億円、来場者過去最高という結果が出ました。皆様のご意見を真摯に受け止め、来年に繋げます」

→ リプライ9,000件


 柊はスマホを閉じた。

 窓の外を流れる景色を見つめる。

 その時、着信音が鳴った。

 画面には、見知らぬ番号。

 柊は電話に出た。

「はい、柊です」

「柊麻衣さんですね。初めまして。私、興行庁準備室の者です」

「......興行庁?」

「はい。近日中に設立予定の、国の新しい機関です。地方イベントの支援と、興行師の育成を行います」

 柊は眉をひそめた。

「それが、私と何の関係が?」

「あなたのような人材を、探しています」

 電話の向こうで、男は続けた。

「燈明市の件、拝見しました。見事でした。賛否両論を呼び、経済効果を生み、若者を動かした。これからの時代、地方にはあなたのような興行師が必要です」

「......お断りします」

「まだ何も言ってませんよ」

 男は笑った。

「とりあえず、お会いしませんか? 次の現場、紹介します。阿波島市、ご存知ですか?」

「......阿波踊りの」

「そうです。十年前から主催権対立で大混乱。今年も開催が危ぶまれています。あなたなら、どうします?」

 柊は、窓の外を見つめた。

 そして、小さく呟いた。

「......面白そうですね」

「では、また連絡します」

 電話が切れる。

 柊は再び、景色を見つめた。

 車窓に映る自分の顔を見て、苦笑した。

――次は、どんな街が燃えるんだろう。


【第1話 了】

次回、第2話『阿波島市、踊らない夏』

興行師・黒田竜二が描く、完全商業化という名の破壊。

踊り手は去り、金だけが残る。

これは救済か、冒涜か。

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